『共感』ってなに?
「同感」
◎相手と同じように感じること。意見や考えに賛成すること
「共感」
◎相手の気持ちを想像し、自分もその気持ちになってみること
***********************************************「コトバンク」他より
ドラマを見ていて、登場人物に自分を重ね、涙する。
子どもがイヤな目に遭い、自分のことのように憤慨する。
これって『共感』なのかなあ?
それとも『同感』?
こんなことを考え巡らすのも、NVC(非暴力コミュニケーション)を知り、「共感」の持つ力に惹かれているから。
かつて、他人にまったく共感できなかった自分が、いまや「共感バディ」や「共感サークル」なんぞをやっている。
この変化、自分でも驚いています。
NVCの本によると、共感とは
『自分以外の人の経験を、敬意とともに理解すること』
NVCの学びにたいていは組み込まれている「共感コール」は、ほぼ初対面のパートナーと日時を決めて連絡を取り合い、ライトな話からヘヴィな話までお互い聴き合う、というものです。
最初はちょっと尻込みしましたが・・・
これの持つ意味、パワーはやってみて初めて気づきました。
普段わたしたちは話をするとき、相手の反応を気にしたり、どこまで話そうか考えながら喋ったりすると思うのです。
日記くらいですよね、自分の気持ちを全部ぶちまけることって。
共感バディに話している時は、まるで日記に自分の思いをぶつけるように、どんどん言葉があふれたり、反対にモヤモヤして歯切れ悪く、自分の中で言葉を探しあぐねていることもあります。
どちらにしても、バディはただじっと聴いてくれるだけ。
人は、聞き手が自分に注意を向けて「ただそこにいる」状態を、「受け容れられている」と感じるんですよね。
聞き手によって受容された、と感じた話し手が、次第に自分自身のことも受容していく。
すると、心の奥底にがんじがらめになっていた感情が、ふと解けて出てくることがあります。
この、「聴いてもらえた」という経験は、ひとりで紙に書きなぐったり、自己共感するだけでは得られなかった、深い満足感をもたらします。
どんなに悲しかったり辛かったことでも、自分の感情をじっくり探し出し、表現する「時間」と「空間」を与えられることで、NVC的な言い方をすれば「感情が成仏した」感覚になるのです。
わたしはそうした経験を何度もして、やっと自分に「人の話を聴く」ゆとりが生まれました。
自分の感情を味わうゆとりすらないのに、人の話に「共感」なんてできませんよね。
なので、まずは「聴いてもらう」でいいと。
心のヨユウがいっぱいできた時に初めて、「共感で聴く」に移行する。
ということで、その話は次回していきますね。
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