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ともに育つためにことばを選ぶ

こどもと親の関係性

対等ではなくて、どうしても親が上になりがち。

物理的に歳が離れている(年長者を敬う文脈)
生まれた直後は庇護が必要(力関係)

というのは、あるのだけど、
日々、人との会話や、何かの情報に触れながら、ハッとしたり、口の中がざらつく感覚になることばがある。

生まれながらにしてひとつの個性だ、というのは、キレイゴトと片付けられてしまうだろうか。

親子のコミュニケーションをあらわすことば

読み聞かせ、とか
寝かしつけ、とか

大切なコミュニケーションの一つひとつ
それらを表す言葉がもう、「やってあげてる」感満載で。

なんなら、子育て、もそうだな。

名は体を表す

だから、なるべくそうした「ことば」を使わずに過ごしたいと思っている。
便宜上、使うこともあるけれど。

本は、いっしょに読む。
夜ベッドで絵本を読んだら、おやすみなさい、と寝ちゃうから、寝かす、ために何かすることはない。

相手(こども)の気持ちになりきる

余談になるが、娘がまだ抱っこ紐に入るほど小さかった頃、「抱っこ」のプロに学ぶ機会があった。

「寝かそうと思わない」
「心地よければ微睡むのは大人もおなじ」

抱っこ紐とは、「抱っこ」をサポートするはずのツールでありながら、抱っこ紐を装着しているとき、手で抱っこするときと全く違う場所に子どもをぶら下げてるだけの親も多いのだ、と。

(わたしも到着したその場で直された)

「自分が抱っこ紐に入れられている側だと想像して」

いまの自分が赤ちゃんサイズだとしたとき、大人サイズの人に抱っこ紐に入れられているところを。

出生時の身長50センチと仮置きしたら、
身長170センチのわたしとの差3.4倍
170×3.4=578センチ

約6メートルって言ったら、二階建ての高さか、棒高跳びの世界記録並みです。

あの高さで、抱いてる人の顔が見えない位置で、手足だらりでぶら下げられ、かつ、大人の寝かせたいタイミングで、ゆさゆさ縦揺れ、自分の顔くらいの大きさの手で背中をバシバシ叩かれる。(ちなみに軽く縦揺れって7〜8センチとしたら、25センチの上下動になる計算)

それは恐怖で眠れやしない!

親のスタンスはこどもに丸わかり。

話をもとに戻すと、
こどもたちは、親が思ってる以上に
わかっているし、賢い。

だから、ことばを大切にしたいと思ったのだ。

こちらの思っていることは、
概ね、伝わっているから。

○○してあげる、と思っていたら
「○○してあげてるのになぜ××してくれない」
(抱っこしてあげてるのになぜ寝てくれない的な)
て、なるよなー、と。

こどもとともに育つのだ。
それが私の「子育て」の解釈

皆さんからのサポートは、子どもたちと新しい体験をしたり、新たな学びのために使わせていただきます。