『過ち』という認識の欠如
人間は過ちを認め、反省して改めることが『出来るはず』の生き物である。
他の生物は、場合によっては次が無い。
それが食物連鎖に敗れることに直結することすらある。
少し遅れたが3月末にリーガでは3件の人種差別が発生した。
セビージャ所属のマルコス・アクーニャは「猿」と呼ばれ、試合は一時中断。
また、フローレス監督は一部の観客から「ジプシー」と呼ばれたと審判から報告がされているようだ。
勿論だが「人種差別的、外国人嫌悪的な暴言」としてセビージャは抗議している。
キケ・サンチェス・フローレス監督はヘタフェでの指揮経験が何度かあるが、そのように揶揄されてしまうし、アクーニャに限らずスペインでは選手を「猿」と差別するのが未だに日常的だということを証明している。
彼ら一部の『自称サポーター』は肌の色や、出身地などで見下し、何をやっても問題では無い、むしろその概念が欠如し、それが当然だと思っている。
その行為に罪悪感など微塵も感じていない、そんな気すらするのだ。
また3部のセスタオ・リーベル・クルブ対ラージョ・マハダオンダ戦では、84分にマハダオンダのセネガル出身GKシェイク・カネ・サールがゴール裏の人種差別的な暴言を吐いてきた相手ファンともみ合いになり、レッドカードを提示されて2試合の出場停止処分となった。
するとチームはプレーを続行しないことを決め、試合は後に中止となった。
しかしRFEFは、サールが「重大な侮辱」を受けたとしながらも、彼の対応へは処分を科した。
暴言が最初の時点で報告しなかった為のようだ。
今回の件で、人種差別騒動を起こしたセスタオには罰金6000€が科され、ホーム戦2試合の無観客開催が命じられた。
ただ、問題の試合はマハダオンダの選手が試合の完了を拒否したとして、セスタオの3-0勝利扱いとされた。
スペインメディアから、これについてはスタジアム内での人種差別撲滅を目指すのであればサールを処分すべきではないという声が上がっており、MARCAは「被害者を罰することはできない」と報じた。
そして、ヴィニシウスも未だに人種差別にさらされている。
たしかに彼のパフォーマンスは挑発と捉えられてもおかしくないことは多々ある。
しかし、これが自身の応援するクラブの選手であれば手の平を返す人々の方が大多数ではなかろうか?
結局のところ、自身のパーソナルスペースの中で優劣を決めて声をあげているのだと思う。
人間は優劣をつけて、現代に至ったのは歴史を見れば明らかなのだ。
15世紀半ばに、ポルトガルとスペインは勝手に世界を二分し、大航海時代が幕を開けた。
かつては世界の盟主であった、そして白人こそが偉大だというその『優生思想』は何もイベリア半島だけに限った話では無い。
ブリテン島しかり、アメリカ本土しかり、である。
約80年前のドイツはアーリア人こそが最上位と掲げ、もっと言えば中華思想もだし、大ルーシも広義の意味では優生思想に当てはまると感じる。
日本もまた、大なり小なり差別が日常的におこなわれている。
競争というものがある限り、避けられないのかもしれない。
そうしなければ進歩が出来ず、成長しないのだから。
勿論、『競争』と『差別』によって見下すのは別だとしっかり認識してほしい。
最後に、結果なにを言いたかったのかと問われれば──── 。