かわいそうなお母さんから、幸せそうなお母さんへ
幸せになりたいですか?
Yes、Noの二択でそう質問されたら、おそらくほとんどの人がYesと答えると思います。
では、
「あなたってとっても幸せそうで素敵ね」と言われるようになったら嬉しいですか?
と問われれば、どうでしょうか。なんか嫌な感じがしたり、躊躇したくなる人もいるのではないでしょうか。
そんなの、まるで私が、「頑張ってないみたい」「苦労していないみたい」「本当は悩んでいるのに」。
幸せな人だって悩むことはある、そんなことはわかっている。でも、私の頑張りをもっとわかってほしい。
私、ちゃんと苦労して頑張っているよ。ただ幸せな人だなんて、なんかずるいし、頭空っぽで生産性がない人みたい。
・・・というのは言い過ぎかもしれませんが、実は「幸せになること」に抵抗があるという人は少なくないはずです。
自己犠牲しないとやっていけない。私ではなく家族が私を犠牲的にしているんだ。そんな声もあるかもしれません。
また、時に、自己犠牲することがあなたの存在意義を支えることもあるかもしれません。
でも、続くと疲れませんか。
自分でやればタダだからと、一人で抱え込んで、自分ばっかりバタバタ働いて、でも他の家族は楽しそうに遊んでいて。
私ばっかりこんなに頑張っているのにと、人に当たりたくなりませんか。
自分から引き受けたことであっても、私のおかげでしょと、ありがとうは?と、認めてほしくなりませんか。
結局ストレス解消にお金を使ってしまって、凹むことはありませんか。
あなたは、あなたのことを本当に大切にしようと思っていますか。
ここで少し私の話をします。
私の母はよく「あなたが可愛い服を着られるように私は安い服しか着ないのよ」、
「せっかく買ってあげたんだから大切にしなさい」と言って、自分は安い服を買い、私にはデパートで服を買い与えることがありました。
母の気持ちは理解できました。だから、私は、「ありがとう」と言っていました。
でも、本音では、とても苦しかったです。
買ってもらった服のこともなんとなく好きになれず、タンスにしまいっぱなしになり、また母から同じフレーズを言われてしまう、そんな繰り返し。
生きている上で、自己犠牲が必要な場面もあるかもしれません。でも、往々にして、それは誰も幸せにしません。
勇気を出して、自己犠牲をやめてみませんか。一緒に幸せなお母さんになりませんか。
自己犠牲をやめるメリット
①自己肯定感が高まる
自己犠牲しないということは、自分を大切にするということ。
自分の思いを大切に、自分の心を大切に、自分の体を大切にするということ。
自分に対してより前向きに付き合えるようになり、自分のことをより愛せるようになります。
②パートナーと対等な関係を築ける
パートナーとは好きあって一緒になったはずなのに、気づくと、立場の強い弱いが出てきてしまっていませんか。
自己犠牲をしないということは、自分を特に卑下せず、パートナーのことも自分のことも同じように大切にするということです。
こと育児においてはタスクがたくさんありますが、パートナーも子どもも自分も、同じ「チームメンバー」だと思って、パートナーとタスクを分担したり、意見しあったりできるようになります。
一人で抱え込めば「わたしばっかり」の自己犠牲ですが、二人とも主体になれば「ふたりでいっしょに」、奮闘する仲間になります。
パートナーがチームに貢献してくれるようになるにつれ、感謝や尊敬が生まれ、パートナーに笑顔で接せられるようになります。
目指すは、自分のこともパートナーのことも子供のことも犠牲にしない、ほどほどにそれぞれぼちぼちがんばる、三方よしのチーム、
自己犠牲から共闘するチームへ。
③周囲の優しさに気づけるようになる
人には、「カラーバス効果」という、意識しているものを無意識に見つけると仕組みがあります。
子育てをしていると、やたらと子連れの家族が目に入りますよね。
これと同様に、「私ばっかり」という思いのときは、周囲の優しさが見えにくくなってしまのです。
日本は、子育て世代に優しくない社会だと耳にします。
私自身も妊娠中にそのような話を見かけては、産後どうなってしまうのかと戦々恐々としていました。
産後、実際どうだったかというと、今までの人生で一番見知らぬ人たちに優しくされたと思っています。
コロナ禍で袋詰めはしないと張り紙がされているのに、袋詰めを申し出てくれる店員さんたち。
コンビニでキャッシュレス決済をする際に、読み取り機を翳しやすい位置まで動かしてくれる店員さんたち。
電車で席を譲ってくださる人や、声をかけてくれる老若男女。
トイレやレジの順番を代わってくださった他のお客さんたち。
子育てをめぐる制度や社会の問題は確実に存在していて、その改善の必要には大いに同意するけれども、
このままではたとえ改善がされても当事者の目に留まらないのではないか。
社会の変革が進む横で、我々もその意識も変えることができれば、きっと、もっといい感じ。そんなふうに思います。
NO MORE 自己犠牲
①自分を許そう
月並みですが、これがクセモノ。
「自分を許すってどうやるの?」と、私自身何度「自分を責めない 方法」でGoogle検索したか分かりません。
いろんな本を読んで、いろんなやり方を試した結果、今私がやっているやり方をここではお伝えしてみます。
まず、あなたの中に百人の小人がいるとします。
百人はそれぞれ、あなた(=本体)を幸せにするためにそれぞれ自分の考えを持っており、
各々、「〇〇(あなたの名前)LOVE」と書かれたたすきをかけています。
あなたが何かアクションを起こす時は、百人のうちの誰か一人があなたの操縦席に乗り込み、あなたを動かしています。
操縦席に誰が乗るかは早い者勝ちで、評決はしません。
たとえば、あなたが急いでいて家に財布を忘れたとしましょう。
このとき、「急いでいるから、持ち物の確認はせずに早く出発したほうが本体が幸せになれる」と考えた小人が操縦席に座っていたから、持ち物の確認をしなかったと考えます。
ここであなたが「私はなぜ持ち物を見直さなかったのか」と自分を責めたくなったとします。
このとき、「ここで自分の敗因を分析したほうが同じ間違いを防止できるから、本体が幸せになれる」と考えた別の小人が操縦性に座ったと考えます。
さらにここで、「ああ自分を責めるなんて一番良くないことだ」とさらに自分を責めてしまうパターンもあるかもしれません。
これまた、このとき、「「自分を責めるのはやめたほうがいい」と思い出したほうが、本体が幸せになれる」と考えた小人が操縦席に座ったと考えます。
小人は百人いますので、他にも、「忘れ物しないように出発前に確認したほうが忘れ物を防止できて、本体が幸せになれる」と考える小人や、「財布忘れるなんてサザエさんもしているし、気にしないほうが本体が幸せになれる」と考える小人、はたまた「こんなミスして凹むくらいなら、もっと辛いことが起きる前に今世に別れを告げたほうが本体が幸せになれる」と考える小人も同時に存在しているかもしれません。
みんなあなたの幸せを、本気で考えています。たまたま、そのとき操縦席に座った小人がそういう小人だっただけです。
そう考えると、あなたのどの選択も、「そうだよね」「まあしょうがないかな」「あのときはあれがベストだった」とおおらかになれる気がしませんか。
もっとポジティブに考えてみたいなら、ポジティブな小人たちを積極的に操縦席に座らせるようにしましょう。
彼らはあなたの中に、ずっと前から、確実に存在して、操縦席に座るタイミングをずっと狙っているのです。
②自分を褒めよう
子どもを褒められるけど自分を褒められないという人もいるかもしれません。
おすすめは、子どもを褒めたタイミングで自分を褒めるという方法です。
子どもが一人で立てたときに、「立てたね!」と子どもを褒めるほかに「辛抱強く見守った私も偉いねー」と言ってみる。
子どもが一人で手づかみ食べをしたときに、「よく食べたね!」と子どもを褒めるほかに「食べやすいおにぎりを用意した私も偉いねー」と褒める。
それも抵抗があるようなら、まずはあなたの内臓や腰・肩・腕から褒めてみてもいいかもしれません。毎日、休みなく働いてくれていますよね。
人から褒められるのを待つより、自分で自分をガンガン褒めていきましょう。
自分を褒める方法については、手塚千砂子先生の「ほめ日記」関係の本を読むのもおすすめです!
③自分を知ろう
自己犠牲しないということは、自分のやりたいことをできるだけさせてあげる、自分のやりたくないことをできるだけ避ける、ということです。
掃除が嫌いな人にとってはルンバは救世主かもしれませんが、掃除にこだわりたい人にとっては迷惑なこともあるかもしれません。
掃除でいえば、綺麗になればやり方はなんでもいいと思っていたり、私がやったほうが「タダだから」「勿体ないから」「早いから」という理由で自分でやりたいと思っているのであれば、それはおそらく「本当はやりたくないのに自己犠牲していること」だと思います。
私の場合は、掃除は「やりたくないこと」ですが唯一の例外が「キッチンの水回りの掃除」で、毎日掃除しないとスッキリしません。
料理は「やりたくないこと」なのでコープの冷食に頼って暮らしていますが、献立を自分で決めたいタチなので、コープの発注は私がしています。
自分が本当は何をやりたくなくて、何をやりたいのか自覚しましょう。
④パートナーに認識を共有しよう
あなたが、あなたもパートナーも等しく大切にしたいと思っていることをまず伝えましょう。
この価値観を、パートナーにも刷り込んでいくことが一番大切です。
あなたが今まで自分一人で抱え込んでいた場合、パートナーは「それがあなたにとって最適な状態なのだ」と誤解している場合があります。
あなたが自己犠牲をやめて、パートナーに対等に意見するようになれば、パートナーにとっては一度得た既得権益を失う面があるので、抵抗することもあるかもしれません。
でも、パートナーも、あなたを家政婦にしたかったのではなく、人生のパートナーにしたかったはずですので、
焦らず対話していきましょう。
その上で、あなたのやりたいこと、やりたくないこと、困っていること、悩みをパートナーに開示しましょう。
普段の情報共有は、あなたの頭の中の一部について、パートナーに閲覧権限を共有するイメージで、淡々と、仕事のMTGのように伝えましょう。
愚痴りたい時や一緒に悲しんだり怒って欲しいときは、別に機会を設けましょう。
最初に「四の五の言わず一緒に怒ってほしい」と言ってから始めるのがおすすめです。
⑤三方よしになる方法を探そう
「私が自己犠牲をやめたら、家庭が滅茶苦茶になる」という声もありそうです。
そうかもしれないし、そうでないかもしれません。まずはアクションをとってみましょう。
料理が「やりたくないこと」なら、「ズボラ 離乳食」などで検索してみてください。たくさんの先輩たちの経験談や裏技に出会えます。
子育て中だけど元気そうな友達に、教えてもらうのもアリです。
行政でも、案外色々とサービスやクーポンを提供してくれていたりします。
頑張らず、「死なせない育児」で良いとおっしゃっているお母さんもいます。
今抱え込んでいるタスクたちを、自分の手から上手く離していきましょう。
おまけ:お金はどうするんだ問題
さて、絶対聞かれそうなポイントを取り上げてみました。そうですよね、先立つものは必要です。
まず申し上げたいのは、私の主観ですが、
「自己犠牲しない人の方が、明らかに収入は高い」です。
例えば職場で自己犠牲すると、頑張りが正当に評価されないばかりか、チームプレイが苦手な人という印象さえ与えてしまいます。
自己犠牲をせずに暮らすことは、人生全体で見るとメリットがあります。
また、自己犠牲していると、どこかで自己犠牲に起因する支出をしています。
夜中に食べるお菓子を買う、太ったせいで服を買い替える、ストレスが溜まってカウンセリングに通う、パートナーに当たるとパートナーの飲み会出席率が上がる・・・
結局どちらが安く上がるかはわからないように思います。
おわりに:お母さんは弱者ではない
私は、自分は毎日幸せで元気だと公言していますが、これに対して、「そんなこと言って・・・本当は大変でしょう」と言われると、実は結構もやっとします。
だって、本当に幸せなんだもの。
自分を愛して、大切にして、その余裕を夫や子ども、同僚に還元することは必ずできる。誰でもできる。私がたまたま幸せなんじゃない、再現性があるはずだ。そう信じています。
私はずっと幸せだったわけではなく、人生の大部分を「どうやって生きるか」ではなく「どうやったら死ねるか」考えることに費やしてきました。
そんな私がなぜ、産後をポジティブに過ごせているかというと、主に母のおかげです。
私の母はポケモンで言うと毒タイプで、妊娠初期、目が開かないほどに全身が腫れ上がり、つわりもある中普通にフルタイムで(テレワークですが)仕事していた私に、
「あんたは全然連絡してくれない!体調が悪い悪いと言うけれど、連絡をもらえないこっちの方が辛い」
とメールしてきたのです。
三日おきに連絡とっとるやないかい。と思った私は盛大にキレましたが、
母には「あんたは妊娠のせいであの頃おかしかった」と言われました。がっくし。
私はそんな自己愛強めの母を避けて(表向きはコロナ禍で県を跨ぐ移動は避けるべきということで)、里帰りはしない宣言をしていましたが、
母がそれはそれは執拗に手伝いに来ると言い張りました。
コロナを言い訳にして断るも、「そんなことばっかり言ってたらあんたら不幸になるぞ」と言ってくる始末。
おいおい、子どもの不幸を祈らないでくれよと思いつつ、かなり揉めた末、母に来てもらうことにしました。
丸腰で母を迎えたらやばい。産後のホルモンバランスの崩れもあるし、今度こそ本当に早まりかねない。
産むまでに、メンタルを整えないとやばい。
そう思った私は、Kindleで自己肯定感系の本やワークブックを20冊以上読みまくり、
自分の心を棚卸しし、
毎日ほめ日記をつけ、
毎日ひとつ新しいことをしてその発見をTwitterで仲間内に呟き、
自分のメンタルと整え、
出産し、産後もほめ日記とTwitter投稿を続けながら、母を迎え撃ったのでした。
母が来ても、母が去っても、私のメンタルは元気なままで、
妊娠中までは自分にイライラするとその場にあるもの(スマホとか履いているヒールとか)で自分の頭を殴るというとんでもない悪癖があったのですが、これが出ることもなく
夫と毎日、幸せだね、赤ちゃんかわいいねと会話できる毎日でした。
その後復職しても、仕事も育児も楽しく、がっつり楽しんでいました。
あるとき、とある育児番組の取材を受けた際、「こんなに元気なお母さんもいるんですね」と言われました。
そこではたと、皆が皆、私のように、毎日幸せだと感じているわけではないということに気づきました。
彼ら・彼女らと私や他の幸せなお母さんたちとの差分はなんだろう。
それがわかれば、私の幸せは、再現性のあるものと言えるはずだ。
だって、私はもともとメンタル的にはよろしくない方だったし、親は毒タイプだし、学生支援機構の無利息奨学金を借りられる程度の経済力の家に生まれたし。
今のところ、自分を大切にする勇気があるかどうかが鍵なのかなと思って、今回まとめてみました。
誰かの参考になれば幸いです。