世界の民話~妖精の棲む国より
絶版本である「世界の民話6巻 イギリス」を読みました。
元はLiminalシナリオ制作のため妖精の資料をあたっていたのですが、民間的にどう受け止められていたのか、妖精と人間の距離感や温度感を知るには物語の中での描かれ方が参考になりました。
概要
本書は訳書であり、原シリーズよりイングランド・スコットランド・アイルランド・ブルターニュの四巻からの訳を集めたものになります。
収録されているのは伝説というよりは民間のおとぎ話や笑い話が中心で、壮大な冒険譚やロマンスではなく、親が子にせがまれ語るようなある種未整理の民話ばかりです。
中にはフィオン・マク・クアール(フィン・マックール)やデルマート(ディルムッド)などの英雄も登場するのですが、そういった名だたる人物はむしろ少なく、生活苦にあえぐ農民の娘やなにをやってもうまくいかない愚鈍な男など、ある意味庶民的な主役ばかりです。
また、本書で描かれる妖精はいずれも日本人のイメージする可愛らしいフェアリーよりはむしろ妖怪のイメージに近く、しわくちゃの顔で笑う赤子、霊的な香りのする使いの者など、気安く触れてはならない怪異のような立ち位置です。
彼らに何か悪さをすれば、あるいは何もしていないのに子を連れ去られ、妖精と人間の立ち位置は対立的です。中には妖精たちの力を一時的に授かり人間界で成功を収める者もいるのですが、力を持ち帰ったのがバレたが最後、両目を失明させられたりひどい目にあわされかけたりします。
現代人の好む英雄譚や悲劇というよりは、話の筋書き的にぱっとしない話も多く、読み物として面白いかは人によります。ただそれは物語ることに長けた小説家が書いたものでなく、民間に語り継がれたものを編纂したものだと捉えれば、むしろ味とも思えます。
読んでいて私は、夜な夜な子どもに話をせがまれる父母の、困りながら物語を紡ぐ様子が思い浮かび、微笑ましくなりました。
またありがたいのは巻末にある解説で、訳者による興味深い考察が述べられています。
たとえばイングランドでは口伝えの民話よりも伝説の方が色濃く残っており、物語にもお姫様や王子など高貴な身分の者が登場します。スコットランドでは民話やおとぎ話が数多く残っており、妖精など半自然界の者たちもひんぱんに姿を見せるようになります。アイルランドは独自の文化を残しており、妖精たちが集団で住んでいたりと人里離れた原野の風景が浮かぶようです。ブルターニュを本書で取り上げた理由はアングロ・サクソン人に追われたケルト人たちがフランスのブルターニュで長く文化を保っていたからであり、民話という単位でみればケルトの文化を継承しているとのことです。
巻末にはアールネ=トムソンの昔話タイプによる分類(AT分類)が記載されています。絶版本で、同じ話中でも訳のゆらぎ(doctor→医者、博士、ほか固有名詞の表記ゆれ)こそありますが、民話や民俗学を辿る方には有用な資料となるのではないでしょうか。
収録されたお話の紹介
せっかくなので、読み終えた中で印象深かった話を数話、ご紹介します。
いぐさのずきん
この話を読んだ時、多くの方は既視感を覚えるでしょう。それもそのはず、この話は誰もが知る灰かぶり――シンデレラにそっくりなのです。
いぐさのずきんに限らず、本書にはシンデレラと同型の物語が複数収録されています。これは何も珍しいことでなく、同型の話が派生して各地で語られ、また別の話と交錯してできあがったバリエーションの一つのようです。
シンデレラと違うのは、元々この話の少女は裕福な領主の娘でした。それを領主に「わたしをどれほど好きか」と問われ、姉たちと違って「生肉がお塩を好いているぐらい好きよ」と返します。
一見利口でない答えにも聞こえますが、このたとえの真意は物語の終盤、意外な形で明かされます。娘は館を追い出されて貧しい奉公をさせられ、シンデレラと同じく束の間のダンスに参加しては元の暮らしに戻りますが、最後に幸福に恵まれた時、少女は意外な形で意趣返しを果たすのです。
同じモチーフや物語の構造でも、それぞれに違うたくさんの「シンデレラ」。語り手の数だけ結末はあるのだと実感させられます。
イェレリィ ブラウン
重い石の下から見出だされた不気味な妖精、イェレリィ・ブラウンをめぐる不幸な物語。全身を覆う長く黄色い髪、一歳の子よりも小さな老けた異形。よせばいいのに助け出してしまったことで、主人公のトムは「万事がうまくいきすぎる」ある種の呪いに取りつかれます。
自分の仕事は箒や農具が勝手に動いて片してくれるが、かわりに周りの者たちの仕事は邪魔されっぱなし。しまいにはトムは同僚から恨まれ、職を失ってしまいます。
感謝される事を何より嫌うブラウンに対し、トムはついに口にします。
「イェレリィ ブラウン、大地から出てこい、やくざ者め、おまえが必要なんだ!」
さて、その結末は――妖精の厄介さがよくわかる逸話、ぜひ読んでお確かめください。
トコトコ早足ちゃん
名前からは想像もつかない、魔女と魔術師、それに妖精の子をめぐる冒険譚。ある時まで島に住む妖精と良好な関係を築いていた「ウォッチト」の街は、魔術師が妖精の子を盗んだ事により妖精の幸運に見放されます。
子を奪還すべくダンスターの女は魔女と戦い、また魔術師の元から妖精の子、「トコトコ早足ちゃん」を救い出します。
個人的に目を引いたのは、妖精との接し方。トコトコ早足ちゃんは恐らく妖精本来の名ではありませんが、直接的に名を呼ぶことを避けているのではないかと考えられます。また奪還の際にも人の手で直に触ることは避けており、このことからも妖精に対する「接触」「名付け・名を呼ぶ」行為はよからぬことを招くのかもしれません。
フィオン マク クールと腰のまがった白髪男
ケルト神話、あるいは某スマートフォンゲームに触れたことがあればなじみ深いフィオン マク クール(フィン・マックール)の話。何でもこなしてしまい、フィオナ騎士団の誰よりも優れた白髪の老人の話からはじまりますが、このおじいさんは途中で騎士団の男と仲違いして以降登場しません。
かわりに描かれるのは、フィオンと一行の冒険の話。騎士団は血気盛んな者も多い中、英雄的に描かれるフィオンが目立っていて、他の面々はあまりパッとはしません。
この話以外にもいくつかフィオンは登場しており、関係のない話にもエリン(アイルランド)の王として名前だけが知れ渡っていることから、この地域の人々にはアーサー王のように憧れの象徴であったのかもしれません。
なお、新たに項目は設けませんが、ディルムッド(デルマート)の活躍と駆け落ち、死の話も収録されています。フィオンがディルムッドを救いそびれる場面は一緒ですが、その経緯がネットで広く知られるものとは異なっているため、彼らのファンは一読して損はないかと思います。
ニツダーレの取り替え子話三つ
取り替え子、あるいはチェンジリングとして知られる妖精と人間の子のすりかえの話。文字通りのすりかえが起こる話から妖精の子を一時的に預かる話まで、さまざまなパターンが観測されています。
乳をやってほしいと妖精の子を預かった女性はその後返礼として妖精の国に招かれますが、そこで妖精の香油(薬)により得た妖精を見分ける力で人界に戻って大成功を収めます。けれど終いには授けた妖精とふたたび見え、不用心にも彼女と握手をしようとします。
「どの目であたしを見たんだい」
「両方の目でですよ」
結末は、妖精の性を知る者なら述べるまでもないでしょう。
妖精の矢
返礼や報いでなく、気まぐれに人を害しようとする妖精の話。何かが落ちた音がして家畜が急に死ぬ時、それは自分を狙った妖精の悪意を誰かが逸らしたのかもしれません。
妖精丘の妖精たちは、とるに足らない理由で人を射殺そうとします。自分たちの手でなく、妖精が命じた別な人間の手によって。
戯れに悪意をよせる、短いですが無邪気な残酷さを描いた逸話です。
小束のドナルド
死神を欺き続けた男の話。はじめたきぎ運びの下働きだった男は死神との契約で、死ぬべき人と助かる人を見分け、助ける力を与えられます。
手当てで助かる人を助け、死すべき人を看取る中、男は国王が病に伏しているのを見ます。死神の立ち位置は枕元、つまり国王は死すべき宿命にありました。
男は死神を欺き国王を助けますが、欺いたことが原因で死神に追われます。それでも嘘をついてだましだまし逃れ続けますが、最後には捕まってしまう、そんなお話です。
これに限らず、人間が妖精や死神を欺く話は結構多いようです。
光りの女たちの山
同じように妖精を欺く話ですが、こちらは何とか逃れるパターンです。元はといえば人の子をさらった妖精が悪くも思えるのですが、ともかく七人の妖精女たちは人里に出て、糸紡ぎをする女性を助けます。
糸紡ぎと妖精ははじめ良好な関係を築き、女性は仕事を手伝ってもらって富を得るのですが、ついに女性は妖精の連れ子がさらわれた子どもであると気付きます。隙をついて子どもを助け出した途端、妖精たちは本性を表し牙をむきます。
ここで面白いのが、女性が家中のいたる所にある物という物にまじないをかけ「動くな」と命じること。戸口から締め出された妖精が女性を殺そうといくら物に命じても、先にあった命令から物は言う事を聞きません。
ついには水まで動くなと命じられ、妖精たちは観念して女性をあきらめます。知恵と観察眼で難を逃れた、珍しいタイプの成功者といえましょう。
水晶の城
時間の制約もあり、読み切れたお話はこれが最後になります。
貧しい家から嫁に出た娘イヴォンヌを探し、末の息子イーヴォンは長く険しい旅に出ます。兄たちは道中あきらめて帰ったのに対し、イーヴォンは持ち前の勇気と助言を受け入れる素直さから、無事水晶の城へ辿り着くことに成功します。
水晶の城の中は時が止まったように静かであり、毒蛇といばらの危難に満ちた道中よりは美しく煌びやかに見えました。けれど城の中では王子と妹以外に誰も出会わず、城の中にいる者は腹のすくことも欲求に身を滅ぼすこともなく、眠りながら人らしからぬ生を送ります。
ある種死後の世界にも思える描写は、現世と幻世の境界の概念を思い起こさせます。日本の民話にも同様の、境を跨いでしまった者の話が多く見受けられることからも、親近感のわく話です。
結び
これ以外にもご紹介したい話は数多くありますが、読む楽しみを損なってはなりませんのでこれぐらいに留めましょう。
書いたのはいずれも物語の断片ばかりですが、実際に読んでみると妖精とは綺麗なおとぎの国に棲むというよりはむしろ日常の影に潜んでいて、機嫌を損ねれば破滅をもたらす超自然的な怪異と呼べるでしょう。
けれど完全な怪物というわけでなく、ほどよい距離感を保てば親しみすら覚える、厄介な隣人であるとわかります。
本書に限らず、民話や伝承には数多く、当時の人々の描いた世界観が残されています。フィクションでの妖精とのつきあい方に悩まれた方は、一度手にとってみてはいかがでしょうか。
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