吐き違え
創作活動したくて Twitter をやっていたはずなのに今では何か履き違えた方向に向かっている気がする。 そもそも最初から方向を間違えていた気さえする。
最近は本を買って読んだり読まなかったりを繰り返したのちにインターネット有名人が10年前にやっていた Webラジオを聴いている。 ラジオとは厄介なもので集中するのは耳だけである筈なのにそれ以外が手につかなくなる。麻薬だ
その他にも動画コンテンツも見ていて、これらの行動を自分はインプット期間と呼んでいる。消化して吐き出さなきゃ意味がないのだけれど。
もちろん絵を描けばいいという訳ではないのを知っているし、それにいいねが大量につけば良いわけでもなく、それを生業にしているわけではないのでかくことの意味にすら疑問が湧いてくる。これは自分のみに当てはまる話であって他人には干渉しないフワッとした形になれないただの文字の羅列である。
言ってしまえばこんな書きなぐった文章でもポストでも付箋にかいてすぐに捨てる落書き でも平たくすれば創作とも言えなくはない。むしろ今まで自分が力を込めて描いたイラストたちも他人から見れば大きく変わらないだろう。
大事なのは自分がどう思うかである。 今問題なのは自分が大事と思えていないことである。
鬱とはいわずともこの鬱屈した気持ちが溜まったときに良いものが出せるなんてこともあるかもしれないがそれは結果論だ。
今が楽しいがずっと続けばそれが一番。 消化しているときは確かに楽しいがふと思い返したときにゲロのように吐き出してしまっているのが問題だ。
手段が目的になっている。
この文章は今の鬱屈とした気持ちを吐き出したいから書き出したもの。 自分で生成した毒にも関わらず耐性がないのだから吐き出すしかない。 そして他人に押し付けるなんて迷惑な野郎だ。ただしっかりと目的が目的になっている。
絵を描きたいのに描きたいものがなければ描かなきゃ良いし、 他人が面白いと思わなくても自分が面白いならポストすれば良いし、誰も読まない文章でも書いてスッキリするならそれで良い。
これらの悩みなんて仕様がない。 見えない悩みより今眼の前にある課題をこなして楽になって暇なときに考えるべき悩みだ。
そういうことじゃないがこういうことでいい
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