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社会は家庭、家庭は社会。

最近、自分より若い人が会社で一生懸命働いているのを見ていて、本当に心から尊敬しています。
休みもしっかり取ってねと思っています。

サラリーマンは一見すると安定しているようですが、大変だというのもなんとなくわかります。
私の父がサラリーマンだったので、何十年もその姿を見てきました。

家族関係が難しいので、私は父に対してあまり良い印象がありません。
ただ、父の取り巻く環境を知ると、知れば知るほど、全てを否定できるものではないとも思っています。

父は中間管理職でいつも忙しく、休日というのがお盆かお正月くらいしかありませんでした。平日は毎日深夜まで帰って来ず、土日も休日出勤をしていて、休みは子供と遊ぶという洒落た余裕はありません。

その休日出勤に、私は何度かついて行ったことがあります。
私は兄姉と歳も離れていますし、母は体が弱いので、家庭の中でも小さい子供を持て余していたのかもしれません。
会社で遊ぶものはありませんが、紙とえんぴつがあったので、退屈ながら落書きをして遊んでいたんだと思います。

父は基本一人で休日出勤をしていましたが、若い人がポッと来たことがあります。彼が何をしに来たのかはわかりませんが、少し職場に来て、父と何か話をして、そしてヤレヤレといった顔と微笑を浮かべて、私に

「お父さん、バカだね」

と言ったことを覚えています。

まぁ否定できませんが、なかなかモラハラな職場です。上から抑え付け下からも突き上げ、プライベートもなく、また個人の資質とは無関係に中間管理職を父に与えていたように思います。

父は『左遷』されていたので、その役職でした。


左遷の理由

左遷の理由は、父の入っている新興宗教と支持政党が、会社の労働組合が支持している政党とは違うことと、また宗教に対する偏見も多分にあったと思われます。

父は経済学部を出ていたので、当時は大手企業の内定が5社とれていましたが、内定の後にガサ入れが入りました。ただの面接ではなく、実際に家に来たようです。
新興宗教していることがバレると4社は落ち、残りの1社は「『家の宗教』はなんだ?」→「浄土真宗です」という会話で首の皮一枚でバレず入社、その後すぐ「家の宗教は浄土真宗だが本人は新興宗教である」ということが暴露され、左遷となった動きです。

信仰も支持政党も、今ではごくごくプライベートな理由ですが、団塊世代の父の時代に『プライベート』なんてそんな気の利いたものはなく、特に一度左遷が決まると後々に改まることもなく、左遷のままでした。

他に選択肢がなかったとはいえ、父の仕事適正や業務はともかく給料は我慢料だったのかなぁとか、色々思います。

まぁ、この我慢が非常に厄介だったわけですが。
我慢ができる・するというのは、他でシワ寄せをつくっているというのも、私は体感として知っています。

このシワは自然にはピンと張れません。

特殊な技法で直す必要がでてきます。

個人と自由

世の中は個人のことを少しずつ大切にするようになってきました。
これはとても良いことだと思います。
自由なことは、選択肢が増えることですから。

ただ、個人を守りすぎて孤立することは違うと考えますから、繋がりを保ちつつ個人を守るバランスをどう維持できるのかが課題なのかな。

繋がりは大切です。

個人も大切です。

社会を1つの家族や家庭として眺め、どこに何が足りず過剰しているのか感じ考えていこうと改めて思うのでした。

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