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【エッセイ】プペル批判する人を叩いても意味がない件

作品批判する人を叩いても意味がない

「えんとつ町のプペル」については非常に多くのNOTEがある。手放しで称賛している人もいるし、方々の視点から批判する人もいるし、賛否両方の意見を持っている人もいる。

前提として、作品があれば鑑賞する人の数だけの見方がある。前エッセイでも述べたように、好きなこと(作品)を批判されると、あたかも自分自身が批判されているように感じる時があったりする。そうでなくても、作品が好きな余り作品批判をする人を叩く行為をよく見る。これについては、コントロールできない他人の価値観(感性)を否定しているだけの無意味な行為だと思う。

作品が好きなら、まずその理由をどれだけ自分が理解しているかを考えた方が良い。その上で、根拠を示して批判をする人の意見とを戦わせて、新たに一つの意見としてまとめあげれば、より高いレベルでの理解につながっていくはずだ(根拠を示さないで批判している人は話にならないので除外した方がいい)。どうせなら建設的な考え方をしたいし、感情的に人を叩くと碌な結果にならない。

【根拠】自分の楽しい時間を多くしたいから

自分の作品鑑賞は「楽しかったら考察して楽しむ」「楽しくなければその理由を考察した後、別の作品に切り替える」と割り切っている。倫理的、生理的に受け付けない作品については考察の対象外だ。これを続けた影響か、いつからか作品を良い・悪いの2択で判断せずに、理由付けで良い所と悪い所を並列するようになっていた

経験的に、根拠も無く作品批判をしている人を見た際はいちいち叩き潰しに行くのではなく、無視をするのが最も良い。その理由は、先述の通り他人の価値観はコントロールできないということと、自分の自由時間まで負の感情に支配されてストレスをためたくないからだ。本来気分が悪いはずだった時間を”無視”することによって消し去り、自分が楽しいと思える時間に変えていけばいいと思う。

結論としては「自分が楽しければそれでいい、でも自分と違う考えを持った他人にそれを押し付けるのは間違っている」となる(当たり前か)。

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