有閑階級としての暮らし
わたしの生活は毎日が暇で、けれど退屈はしていない。暇を存分に味わい、暇の中でたゆたう自分の肉体の存在が愛おしい。
昔読んだ江國香織さんの本の中に「本を読むことしかしてこなかった」(意訳)というフレーズが出てきたのだけれど、わたしもそうなりたいと思った。この発言をした人は、妻であり母でもあったのだが、 娘曰く本当に読書しかしていなかったらしい。読んだ当時から憧れすぎて、母役はやる予定はないが、妻役は現在進行形であてがわれているけれど、妻をやっている自覚はないしこれからもやるつもりはない。
暇な今日も本を読み読み、メモを記し、からだを温め、ブランケットを触り確かめ、洗濯やら掃除やらをしてご褒美にフラッペを買ってもらった。
そして最近はポーカーにお熱。この間はフォーカードをぶちかました。最高に気持ちよかった。ポーカーをしながらも読書はやめない。今読んでいるのは『うたうおばけ』(くどうれいん)、『暇と退屈の倫理学』(國分功一郎)、『短編伝説』(集英社文庫編集部編)。
ただベッドに寝転んでTwitter(現𝕏)の中を流れる言葉を眺める日もあれば、Pinterestで好きな感じのWant's in my bag?を探したり集めたりする日もあるし、仕事中の夫の靴下の毛玉取りをしたりする日もある。別に楽しくはない。好きでもない。ただの暇つぶしだ。退屈しないための方法なだけ。
それでいいし、それがいい。楽しいことは無くていい。そして、わたしには似合わないけど綺麗な服やサイズの合わない素敵な靴、目を奪われる装丁の読んだこともないジャンルの本などをネットで買う毎日。
それがわたしの有閑階級としての暮らしだ。
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