私のプライベートが一年で激変している話
すべては「オレ、受験やめるわ」という言葉から始まった
おおよそ1年4ヶ月前のこと。
ちょうどコロナの感染者数が増え始め、安倍元首相が突然「3月から学校は一斉休校にします」と突然宣言した頃だった。もはやコロナの話題になれていて、皆さんも遠くの記憶になっているに違いない。
長男(現在6年生)は当時、中学受験塾に通っていて、私は他の中受親(特にママ?)と同じように、ツイッターで情報を検索し、新たな知恵を仕入れる中受沼生活を送っていた。週3回お弁当を作り、ごくごく小さな水筒を持たせ、夜は夫が無理なら迎えに行き、帰宅は9時頃。勉強を一緒にやり、長男にやる気が見られないと「誰のためなの!」と言い、しばしば喧嘩もするというごくごく当たり前の毎日を送っていた。
そんな中、ある朝、長男がはっきりと、ある言葉を口にしたのである。
「ママはさ、受験を辞める!というと、否定するよね」
「辞めてもいいけど、喧嘩していない時に言って欲しいってだけだよ」
「じゃあさ、オレ辞めるわ」
そもそも、中受をしようと考えたのは、長男が決めたというよりも、私が長男の性格を考えて先回りしたという要素が大きかった。長男は特に小2〜4頃、忘れ物が多い、先生の言うことを聞いているのか聞いていないのか分からないといった要素で、先生に怒られ続けていた。それはそれは可哀想なくらいに。だからこそ、この子は高校受験で内申点を取るのは厳しいのではと思い、先回りしたのだ。長男も、学校見学である学校の生物部の様子を見てからは、「あそこに行きたい」と言うようになっていた。(その学校の合格ラインからは程遠かったけど)
こうして我が家は中学受験から撤退することとなった。
家庭内、一人ヤクルトファンの誕生
さかのぼること2019年8月。
母と姉の子どもが東京に来るのをきっかけに、ぜひ見せたいと思って東京ドームのチケットを取得した。対戦は巨人VSヤクルト。
何を隠そう、私は小学生の時大の巨人ファンで、初めてファンレターというものを書いたのがあの!敬遠球を打ったのが記憶に残りまくっている(私だけかも)のクロマティなのである。背番号49。
今思えば、私が大学で国際関係学科という学部を選んだ根本のきっかけはクロマティにあるのではと思う。当時、日本の野球選手が(今も)プレイをしながらガムを噛むという行為は見たことがなかった。でも、クロマティは、塁に出ながら、ピンクの風船ガムを「ぷーっ」と膨らませるのである。感情をそのまま出すプレイスタイルも、なんと自由なんだろうと憧れを感じていた。私はクロマティに海外の文化を見ていたのである。
しばらくは、野球から離れていたけど、そんな背景があったから私が取るチケットは巨人戦以外にありえない。しかしここで問題が発生する。かろうじてチケットが取れたのはヤクルトファン専用の外野席。そんなことは知らなかったが、そこにはかなりの強力なヤクルトファンが存在する。だからこそ、私たちは静かに観戦するしかなかった。当時の私は、山田哲人も、ソフトバンクに移籍したバレンティンも全く知らなかった。しかし、「アーチを描け」というバレンティンの応援の仕草は非常に印象に残っている。
試合は、巨人が大量な点差で負けていた。もう負けだなと思い、みんなで東京ドームから離れ、電車の中で野球速報を見ていると、巨人が逆転していた。
「すごい、逆転している!」
そう騒ぐ私たちの一方で、長男はなぜかこう言った。
「オレ、結構ヤクルト好きだったのにな。残念」
我が家には大阪出身の夫がいるのだが、夫も巨人ファン。ヤクルトファンは今まで一人もいない。
「オレ、東京に住んでるし、ヤクルト好きだし。ヤクルトファンかも」
長男はそう言って、家庭内で一人ヤクルトファンになったのである。
週末は野球漬けの日々
それからというもの、長男の野球熱は加速していった。
放課後の遊びは全部野球。見るテレビも野球。さらに、「野球チームに入る」と言い出した。通常、野球チームに入るのは小3くらいが多い。コロナ禍で練習が停止されていたこともあり、長男が実際入団したのは小5の夏、ちょうど1年前だ。タイミングとしては明らかに遅いのだが、長男は怯むことなく、あっさりと
「オレ、入るわ」
と入団を決めた。そこからだ、急に「週末は全て野球漬け」の日々が始まったのは。
父親の狂気!?
もしかしたら今は全国的にそうなのかもしれないが、「野球チームの練習の量」というのが、私のイメージからはかけ離れていた。土日は朝家を出て、夕方暗くなるまで帰ってこない。グランドを渡り歩いて、ずっと野球をやる日々である。東京というのは、中途半端が許されない土地だ。受験するにも、スポーツをするにも、「本気」である。ゆるく、「野球しようかなー」というレベルでないことだけは確かだ。(そして中受と野球をどちらも本気で成し遂げる猛者も存在する)
こうして、塾弁の時に持ち歩いていた小さな小さな水筒から、2リットルも入る超デカ水筒に変わった。鉛筆がバットとグローブに変わり、そして、長男もご多分に漏れず、臭さを纏うようになった。特に、バッティンググローブの臭さったらすごい。私は男児母なんだということを、否応なく感じさせる臭さである。
そうした長男の変化が、我が家にも大きな変化をもたらした。
野球経験のない夫が非常に熱くなりはじめたのである。野球チームは、主にパパがコーチを担うことが多いのだが、そのパパたちが非常に熱い。熱苦しい。私が担っていた朝勉が、夫と長男との朝野球自主練に変わり、私と長男との「誰のためなの!」というケンカが、夫と長男との全くそれと同じものに変わった。中学受験に必要なのは、父親の財力と母親の狂気という中受マンガの有名なフレーズがあるのだが、少年野球(もしくはその他のスポーツもかも)は父親の狂気的な匂いが漂っている。
長男とともに、小学生時代を取り戻す
さて、ここからは私の変化だ。
私が野球に熱くなっていたのは、ちょうど長男が野球に興味を持ち始めた5・6年頃。その後、中学でソフトボール部に入ったのだが、ソフトボール部とは野球をやりたい女子が集う場所という様相がある。
話は変わるが、MAJORというアニメを知っているだろうか。シーズン1は一人の少年が少年野球〜高校野球、プロ野球を経て、メジャーリーグで活躍するまでを描いているのだが、シーズン2はその息子の様子を描いていて、現代が舞台だ。息子くんが入る少年野球チームも、中学軟式にも女子が活躍している。それを見ていて、そんなに進んでいるの?と思ったのだが、実際の少年野球チームでも女子がいて、普通に活躍している。(長男のチームにはなぜかいないが)。これは、時代が変化しているなと感じさせられるポイントだ。
そして私はたぶん、今の時代に長男と同じ環境にいたら、野球チームに入りたい女子であったことは確かだ。だからこそ、なんだか少し小学生時代を取り戻す感覚で、かなりの間、週末はグラウンドに行き、野球の応援をし、一喜一憂しまくっている。「野球チームって、当番とか大変なんでしょ!?今の少子化の時代に大変ね」とか他人事だった時が嘘のようだ。(当番問題は今もいろいろあるけれど)
そして、長男に多大な影響を受け
今や仕事が終わっている時には、5時45分になると積極的にDAZNをつけるし、ツイッターで「山田哲人」と「ヤクルト」を検索しまくっているし、なんならヤクルト1000まで購入して、山田哲人の年棒に貢献しまくっている。山田哲人を知らなかった時が嘘みたいだ。
今のプロ野球、敬遠は実際投げないし、リプレイ検証なんてあって、一人の審判の判断が全てではないし、30年も経てばいろいろと変化はしていて、それもなかなか面白い。
そして、私は今、神宮球場で飲む生ビールが一番美味しいと思っている。