この家の者は誰も働いていない 6
吝嗇家って言葉をこれで覚えた 《父の話》
父は調和の男である。子供の頃、かなり手厳しい躾をする父親(私にとっては祖父)とはムチャクチャ相性の悪かった父は、人と争うこと、人に無理強いすることを極端に嫌がる男に育った。要は祖父は教育のため、という理由でやたらに父への当たりが厳しく、自分の考えを押し付けるタイプだった、ということらしい。
そんな父なので以前にも書いた通り、決して自分から意見を言うことがない。
ただしこれは家の中限定。会社生活では自分から意見したり、など主張できない人、というわけではない。これは時々、私も家の外で目にして確認している。だから父の察してちゃんは家の中では極力、平和に過ごしたいという願望の上の行動なのだと思う。
だが一旦、家の敷居を跨ぐと、たとえ自分の中に強い希望があろうが、相手が空気を読んで自分に譲ってくれるのを誘導し、待ち続ける人物に変貌する。ガチで究極の「察してちゃん」なのである。
そしてそんな父に私は時々、イラっとする。
結局、アンタは自分の言葉に責任を持つことが嫌なんだろう?と。
ただ、父のこの性格も悪いことばかりではない。彼のおかげで我が家はかなり争い事が少ない家だったし(まぁその分、母とはぶつかる事も多かったが)結果、それが原因のストレスも最小限に抑えられた。
が、そんな父が、家の中でも目付きを険しく尖らせる瞬間がある。
それは金を無駄遣いした、と彼が認識した瞬間だ。
一言で言えば、彼はかなりの吝嗇家なのである。
生真面目で努力家の父は、定年前には会社でまぁまぁの役職に就く所までたどり着いた。収入もそれなりに貰っていた。
にも関わらずある日、憤懣やるかたないオーラを放出させながら帰ってきたのだ。早々にそれに気付いた母が理由を尋ねる。
その答えは
「お偉いさんの付き合いでランチに行くことになり、2,000円も使わされた!」
だったー。
当時、昭和から平成に年号が変わるか変わらないか、くらいの頃の地方都市のランチにしては、確かにその値段は高かった。
(その頃は、700〜800円も出せばそこそこに美味しい昼ごはんを楽しめた)
父としてはディナーならまだしも、ランチで2,000円は許し難いものだったようだ。さすがにいい大人の社会人なので、会食中は顔に出さなかったと思うが、家に着くなり「そんな必要あるか?!」と不満をぶちまけた、というワケだ。
普段、怒りを出さない人だけにこういう時の不機嫌はよく目立つ。
2,000円も出したのだからさぞや高級料理だったろう。が、それを味わって楽しむどころか、払わされた金額が気になって美味しさなど感じなかったらしい。
食道楽(グルメ)な人はお金を払って味の良い料理を楽しむが、父のような人は、吉野家の牛丼でお金をかけずにご飯を食べられることが値千金の行為だし、そうやって食べる料理の方が、彼にとっては美味しいのだ。
「グルメの人も父も、意味は違っても“お金”を食べているのだなぁ」と、後になって私はその思い出をそんな考えと共に反芻した。
もちろんそれだけではない。
無人の部屋に電気が点いていたら、まるでネットのパトローラーのような速やかさで父が現場に駆けつけ、これを消していく。
また、車両点検で車をディーラーに持ち込んだ時にもこの性格は、いかんなく発揮される。こういう所ではよくお茶とお茶菓子を無料で出してくれるのだが、父はこれを全て持ち帰る(しかもその役目は私にやらせる)。免許の更新に行って、交通安全協会から押せ押せで入会を勧められ、500円取られた、損をした、と不機嫌になる。
反対に安いガソリンスタンドを発掘した時の彼は、側から見ていても明らかに有頂天だ。弟の発作があるためほとんど外食はしないが、たまにお弁当を買って帰る時、今や加齢により少食となった父は、すき家のミニ牛丼を選んで至福の笑顔を浮かべる。
若い時は、そんな父の姿がとても醜く見えた。普段は自分の意見をハッキリと口にしないで責任から逃げる癖に、他人が手に入れた物より安く手に入れた時だけ、鬼の首を取ったように語る父が。
そんな父を表現するために、「吝嗇家(りんしょく=ケチンボ)」という単語を、私は割と若いうちに覚えた。
ぶっちゃけてしまえば今でも、父のそんな姿を快く思っているわけではない。けれどその吝嗇の裏には、私の想像を絶するレベルでお金に苦労した父の人生が、息を潜めながらも確実に、黒々とした影を落とし続けているのだ。
何よりそんな父がケチって積み重ねて貯めてきたお金で、私は成人を迎えられた。
それが見えるようになったのは、恥ずかしながら最近のことだ。だから彼のそんな姿を見ても、近頃はさほど抵抗なく「ハイハイ」と、受け流すことができるようになっている。
こんなふうに生きることもアリだ、と、ようやっと認められるようになったのだ。
父は人生の損失、と思っているものを、吝嗇に徹することで取り戻そうとしているようにも見える。
だとしたら、お金と共にその元が取れるようになっていたらいいな、と思いながら娘はそれを見守ることにしている(あくまで人に不愉快な思いをさせない範囲でなら…)。
※今回は haseyo さんの画像を使わせていただきました。