僕の壮絶転職記①(プロローグ)
幼少期
僕は早生まれのせいなのか、常に周囲より成長のタイミングがワンテンポ遅い。体は常に同級生と比べて一回り小さかったから、小学校の遠足で遊園地に行ったときなんかも身長制限に引っかかってしまって、楽しそうにジェットコースターに乗っている友達を下から眺めてるしかなかった。
異性やファッションへの目覚めも遅かったから、小学生から中学生になって、周りが短パンからジャージへとファッションシフトしていく中でも、ずーっと短パンで鬼ごっこをしていたような子供だった。
家が貧乏だった為に高価なジャージを買えなかったというのも関係していたけど、精神的な成長スピードが遅かったから特に気にしてもいなかった。
当時は上下セットのジャージを着るのがオシャレで、周りはみんなadidasとかのイケてるブランドで身を固めたり、青とか白とかのベースに黄緑や黄色や赤いカラフルでオシャレなラインが入ったやつとかを来ていたのだが、それらはいずれも結構高価なものだったから、僕がようやく買ってもらえたジャージはよくわからないブランドの、深紫色の単色ジャージだった。
ファミコン
それでいうと当時爆発的なブーム&社会現象となった「ファミコン」も、当然我が家を訪れることはなかった。
みんながドラクエⅢで長蛇の列をなし、ドラクエⅣではライアンがどうとかトルネコがどうだと盛り上がる中、僕はどこかからお下がりで回ってきたドラクエやウィザードリィの攻略本を読みながら脳内RPGを楽しむしかなかった。ファミコンは本体もソフトも高価だったから。
でも当時の攻略本はよくできていたから、僕はキャラクターや武器のイラストとそこに書いてある説明書きから勇者たちの冒険や行く手を遮るモンスターとのバトルを想像しては、夢中でページをめくっていたのを覚えている。
その後、ソフト単価の安い「ゲームボーイ」をようやく買ってもらえたのだけど、初代ゲームボーイはファミコンのサブ機みたいな扱いでブームのメインストリームではなかったし、誰かと楽しむってものでもなかった。
でも当時の僕には憧れの「ゲーム」を体験できるマシンだったから、手垢で茶色く変色するくらい、たくさんのソフトを遊んだ。
忍者龍剣伝、ONI、レッドアリーマー、スーパーマリオランド、聖剣伝説、魔界塔士Sa・Ga、ゾイド伝説、ラクロアンヒーローズ、飛龍の剣、どれも「外伝」的なものが多かったが、僕にとってはこれらが「本伝」だったりする。
初代ゲームボーイはバックライトがなかったから、夜や暗い部屋でのプレイにかなり苦労したのを覚えている。
少しして「ライトボーイ」という「本体に装着する巨大なライト付き虫眼鏡」が発売されるのだが、それと合体したゲームボーイはポータブルの意味を見失う程の重量感だった。
ここら辺を掘り下げるとどんどん脱線していってしまうので、また機会があれば当時の思い出を書いてみたいと思う。
高校時代
高校時代も、成長のズレと貧乏がいい感じにクロスオーバーしていく。
周りがどんどんオシャレに垢抜けていく中で、「エアマックス'95」が大ブームを巻き起こすのだが、僕は母親がスーパーで買ってきてくれた「エアナックス'95」を履いて学校に通っていた。
「airnax」のロゴが堂々と刻印されているそれは、エアーの部分にはクリアなプラスチックがハマっていて、クッション性のかけらもないモッサリとした完全なパチモノだった。
さすがに僕もこれはイケてないんじゃないかと思ったが、世間の流行りに息子を乗り遅らせまいとする親心を無下にすることもできず、いつ周りにバレるんじゃないかとドキドキしながらも学校に履いて行く決心をして、履いていったその日のうちにバレていじられて、泣いた。
お金もセンスも成長も足りず、絶妙にダサい思春期を過ごしたなぁと思う。
それでもしばらくは履いていたけど。
取り返しのつかない失敗
大学に入ってようやく周りの成長スピードに追い付き始めるのだが、それでも過去数年で累積していった相当な成長ギャップがあったわけだから、4年間で追い付ききることはできず、人生において一番大事なタイミングで遅れてやってきた中二病を発症し、決定的なミスを犯してしまう。
「就職活動」だ。
(続く)