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【短編】知能症BOKUに演技して

 さっくり一人称短編が書きたくなったので。


 知能症BOKUに演技して


 尖った言葉を使うと、自分が傷ついた人みたいな気分になれて心地が良かった。被害者面すれば、誰かを傷つけても許されるってことを知ってから、ずっとそうしている。頑張ったふりをして、苦しいふりをして、慰められる度に顔面の裏側のよくわからないところ、ぐちゃぐちゃした筋肉で笑っている。自分のことは自分で思い通りにできるんだ。だから、何でもかんでも自分の世界にしちゃえば良いって気づいて、大分人生が気楽になったよ。
 この世のことを理解するのは、思ったよりも簡単だった。自分の手の届く範囲、自分の目に見える範囲で世界を完結させること。そうしたら、きっと単純で明快になる。勝手に条件分岐を多くして悩んでいるだけだった。無知は罪だ。でも、人生の慰めにはなる。知らないことを知れば知るほど、条件分岐が増えて、考えなければいけないことが増えていく。いっそ知らないほうがマシだった。今からでも、記憶喪失にならないだろうか。そんなことを考えながら、僕は煙草を吸う。満足はしないけど、納得はする。言葉の違いに敏感になったのは、物事を言葉で量るようになったからだろうね。事実は僕を裏切らない。善悪と正しさは同じじゃない。曖昧なものよりも、事実を大切にしたほうが、よっぽど建設的なことに気づいたんだ。知らない誰かに気を使って事実を捻じ曲げるよりも、事実を明らかにして知らない誰かを傷つけるほうが、よっぽど僕にとって良いことのように思えた。それが正しさだと、僕は思っている。
 結局のところ、自分の世界を正しく知るためには、自分にとって何が一番正しいのかを認識するのが手っ取り早い。なんだかんだ、僕はダサいかダサくないかが一番大切だった。ダサいのが嫌いなんだ。ダサいことを言うのも、言われるのも嫌なんだ。何もしていないのにしてるフリをして被害者面するのもされるのも。相手のことを勝手に決めつけて一人で裏切られた顔するのもされるのも。正しく傷ついていないのに、傷ついた顔をする人がダサいって思うんだ。僕はダサい人間になりたくないと常日頃から思っている。それでいうと、社会は良い。学生も社会人も、学業と仕事というわかりやすい指標が与えられるから。学業ができるか、仕事ができるか、そのことを考えれば良いんだから。その筈なのに、何故かそれだけじゃ上手くいかないんだから社会は恐ろしいよ。泣けば許されると思ってる奴も、優しくしてやれと言う奴も、事実を明らかにしながら周囲に配慮しろと当然の顔をしてのたまう奴も、全員ダサいよ。ほらね、曖昧だ。だから、曖昧なことは嫌いなんだ。自分の曖昧さを許すために、自分以外の世界の曖昧さを許さなければいけないなら、僕は自分の世界だけで曖昧さを排除したいと思う。
 僕は大分自罰的だ。自覚はある。でも、自罰的であることは悪いことじゃないと思うんだ。ちょっと大袈裟な例になるけれど、自己満足のリスカでも、そうすると「自分の痛みってこんなもんなんだな」って思えて、何でもできる気がしてくるんだ。後ろ向きなんじゃない。前向きなんだ。早く立ち上がるために、自分を殴ってるだけなんだよ。それが一番手っ取り早いから。僕の世界のことなんて、他の誰にも関係ない。僕がそうしてきたからだ。僕は自分の世界で生きている。それを許されてきた。それは、僕が自分の世界で生きていても、未だ生きていて良いと、それでも何かしら役に立つと思われているからだ。だから、僕は自分一人で立ちあがらないといけない。そうしないと、僕はまた外の世界に引きずり出されてしまうから。
 大袈裟だと言わないでくれよ。そして、こんな僕は可哀想な奴だと言わないでくれ。僕はこういうほうが気楽なんだ。曖昧な世界で曖昧なことに巻き込まれるほうが、よっぽど苦しいんだから。そう思いながら、時折僕は尖った言葉で全てをぐちゃぐちゃにしてしまいたくなる。心の中では少しも思っていないのに、強い言葉を使って普通の人に見せかけようとしてしまう。つまりは、被害者面する自分の演技。それが一般的だって知ってしまった日から、ずっとそう。お前は可哀想な奴なんだと言われて、もっと幸せになるべきだと言われて、僕の口内に無理矢理注がれた希望とかいうクソみたいなゴミが咀嚼できなくて、身体がぐずぐずと膿んで起き上がるのが苦しくなる。そういうとき決まって僕は、可哀想な自分を演技したくなるんだ。
 通常一般的で普通とされる気色の悪い希望の残骸が、顔の裏側から胃にへばりついて、全身が引っ繰り返るような気色の悪さが消えない。ああ、一生こうして生きていくよ。二度と人と関わるなと思われながらも、僕は生きていくよ。それでも、僕という人間が時に傷ついて苦しむ日があるのは、本当のことで、正しいことでもある。それも、人間だから仕方がないことなんだ。僕は機械にも二次元もなれやしない。だから、僕は自分の世界で生きていく。その中で、僕の世界の残濁をどこかに落としていく。それが、生きるってことなんだ。
 多分ね。

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