心を強く持て
こんばんわ、灰音ハルです。
仕事仕事仕事で、自分はどこで逃げだせば良いのかわからなくなってしまいました。でも、わかってたんだよね。だから二十九歳のときに正社員になろうとしたんだ。普通とか一般的な道って、なんだかんだ正しい。人気なゲームや漫画が、後々読んだら面白いように。なんだかんだ、一般的なものっていうのは正しいんだな、って思うことが多い。
なんだかんだ仕事してるけど、何が良くないんだろうな。やる気なんねー。でも、これは元々そんなこともあったし。別にそれぐらいで仕事を辞めるとかどうのこうのじゃないんだよね。何で今こんなに鬱々としているんだ、っていうと自分でも良くわからない。いや、わかってるんだけど。
これまで見ないフリしてきた場所に、改めて自分が立つってなると苛々するじゃん。自分が歩いてきた道だったら良いんだけど、他の人がやってきた道にポイッて立つとさ、無性に苛々するでしょ。そういうことなんだよね。面倒なんだよね、そういうのが。
孤独なのだ、そうでもないけど
誰でもそうだと思うんだよね。自分が本気でやってきてないとこに立たされてさ、前に歩いてた人の足跡がぐちゃぐちゃな道を歩かなきゃいけないってなるとさ。そういうときって、前に歩いてた人にイライラすると思うんだよね。何でこんなきたねぇ足跡つけてんだよ、とかさ。何も成長してねぇんだな、とかさ。こんなきたねぇ道にしといて、それでそっちはこれから新しい道でのんびりやるんだな、とか。
この考えって本当に人間らしいと思う。僕は役職持ちで、どっちかというと会社側の人間だから、こういう従業員視点を持ってはいけないんだけど。だけど、やっぱり思う。なんだろうな。絶対に言えないし、そこまでのことでもないんだけど、いや、でもそこまでのことか。「お前、謝れよ」って心の中で百回ぐらい思う。汚い足跡残して、この数年間歩いてきた道なのに、何も残ってないことを、次に歩く人に対して謝れよ、ってすごい思っちゃうのね。
僕は平等性を大事にするから。道が汚かったら、次歩く人が綺麗にするんだよね。でも、道を汚くした人は、また別の道に飛んでさ、真新しい道を歩くわけじゃん。その人が汚くした道は、他の人が綺麗にすることになるんだけど、そこに何の平等性があるんだろう? お金なのかな? やっぱり世の中って平等じゃねぇんだな、って凄く思う。僕は平等性を大事にしたいけど、そうはできないんだよね。
一方でさ、思うんだよね。とんでもなく道を汚くしなければ、ぼちぼちの汚れだったらそれで良かったんだ。毎日、誰が掃除してるかはわかんないけど、その道から外されることなんてなかったんだ。だから、結局、この道が合ってないんじゃなくて、この場所があってないんだよね。だからさ。
なんだろうな。苛々するんだよな。僕は立派な人間性を持ち合わせてるわけじゃなくて、ただそうしてるだけだから。ただ僕は利用されたいだけだった。誰かが僕を利用したいってなったら、居場所はなくならないでしょ。だから、僕は自分の利用価値を高めてるだけなんだ。自分磨きなんて1mmもしてない。自分がこれからどうなるかもわからない。だから、求められた自分を全うしているし、それが仕事だとわかりやすいから良いんだ。多分。与えられたゴールに辿り着くためなら、自分は幾らでも変われる。
と思っているから、平等性を思えるんだけど、自分を変えられない人っていうのはそうでもない。被害者面してさ、誰かがまさか自分の歩いた道を掃除してるなんか、1mmも思わない。そういうのが我慢ならない。
ってやってきて、ときどき疲れる。んだねー。
うだうだ言わずに変われよ
部下がいたり、若手社員だったり、中堅社員だったり、まぁまぁ長くいる社員とかと話す機会も増えて「うるせーな、変われよ」って思うことが増えた。というより、それが大体問題になってることが多い。
どうして〇〇さんの遅刻が減らないのでしょう。どうして〇〇さんは報告しないのでしょう。どうして〇〇さんは相談をしないのでしょう。ってなったとき、会社として遅刻が減るような対策をとりましょう、報告や相談ができる環境を作りましょう。ってアホかよ。周囲というか環境を相手という人間に合わせようとするから、本人は一生変わらないんじゃないの? と思う。そうやって、人間は勘違いするんだ。いつまでも自分は助けてもらえるって。自分には常に誰かや何かが周囲にいて、その人や環境が助けてくれるって。あほくさすぎて、怠くなる。ばっかじゃねーの、って思う。
人間なんて誰しも孤独なわけだ。家族だの学校だの社会だのあるけど、そんなの明日隕石降ってきたら終わるくない? そんな良くわからんものより、自分を強く持ったほうが良いと思う。もっと強くなれ。心を強く持て。自分にくっついている誰かや何もない場所で、自分だけは強くあれるように心をもっと訓練しろ。周囲が変わってくれるのを待つんじゃなくて、自分が変われ。そうじゃないと、もうこれからの世界は生きていけないと思う。そうなのかな? 生きていけるのかもしれないけど、それって本当に自分なのかな。
ところで、周囲に相談できる環境があることは恵まれている。そして、今の僕も恵まれていると思っている。だから、苛々することがあったり辛い気持ちになっても、周囲を信じてもう少し頑張ろうって思えた。そんなことが、この数年の間に何度もあったし、その度に色々な人に助けてもらえたんだなぁ。自分が変われば、周囲も変わるって本当にそうなんだな、ってときおり思う。
だけど辛いときもある
元々、僕は個人主義というか。孤独主義というか。単語の意味はわからんけど、一人で何とかするタイプだし、利用し利用されの関係は大歓迎なタイプなので、周囲とか環境とかもあんまり興味がなかった。だから、僕は何度も転職できたんだと思う。つまり、どんな場所でも自身の最低限の能力が担保されているともいう。おかげさまで、というのも変な話だけど。
だけど、こうして数年間も同じ場所で働いていると、辛くなる瞬間がある。そう、環境や人間の所為にしている人と会ったときだ。会社の中の人は変えられない。新しく入る人だったら僕の権限で…というのもあるけど、今いる人たちは変えられない。そういうときに、僕は良く思うことがある。
どうせ、僕が我慢するのはあと数年だ。この人たちは数年後にはこの会社から消えている。だから、この数年我慢すれば良いんだ。
という風に考える。
こういうときに数字は便利で、あとどれぐらい自分が我慢するかがわかりやすい。ゴールが見えないから悩む。どうして良いかで悩むんじゃない。相手が何を求めているかがわからないから、人は悩むのだ。と、偉そうに言ったけど、僕が悩むのはそういうところだ。
社会に出てよく悩んだのは、そういう「結局何がゴールなのか」をハッキリ言わない人たちが多いからだ。手段ばかり言って、結局どうしたら満足するのかを言わない。そういう人が、僕は苦手だ。だから、僕は部下には「つまり、ここがゴールなんだ」と言うようにしている。結局、これが一番わかりやすい。
もし、相手が手法にアレコレ言ったとしても「ゴール」の話をすれば、なんとでもなる。だって、お互いのゴールが一緒であれば、一番の手法なんてみんな同じだからだ。一番良くないのは、ゴールがないまま、方法や内容で議論することだ。そうすると、誰も正しさがわからなくなって泥沼になる。そういうのを、この数年で思い知った。でも、そうなるまでに、ちょっと疲れた。
つかれたけど、まだ前を向いている
なんかつかれた。真面目に書いたからかもしれない。小説を最近書いていない。書く余裕がない。それが良いことなのかもわからない。でも、僕が小説をまた書こうと思っても、会社の役割がそうはさせないかもしれない。それで良いのかもしれない。小説を書いてきたことは、無駄じゃなかった。それは、仕事でもよく思う。僕が多種多様な仕事を任されるようになったのも、会社で評価されているのも、小説を書くことで培われた文章力が多分にある。何故か、社外にだす文章の添削を頼まれることもある。だから、何事も無駄にならない。
僕は個人主義で、孤独主義だけども、だからこそ自分がこれまでに得た経験や培ったスキルは1mmも無駄にならないと確信している。そして、それを与えてくれた人には、いつまでも感謝をしている。僕がこうして評価されているのは、これまで出会った優しい人達のお陰なんだな。何故なら、僕は机に向かって勉強したのなんて数えるほどで、ほとんどが出会った人たちから教えてもらったからなんだ。
仕事、頑張ってます。
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