【短篇】カルデネに捧ぐ 下
本編
勇者と魔王の争いに、勇者は勝ちました。勝ちました。勝ちましたので、人間は幸せに生きていけました。勇者は、勇者は、勇者は、ゆう
「そうだ、取引をしよう」
と、魔王は言いました。勇者一行は、勇者以外は口も聞けない状況でした。それだけ、魔王は強かったのです。勇者も、もう虫の息でした。
「何の取引だ?」と、勇者は言いました。
「俺は一度人間になってみたかったんだ。お前の身体を寄こせ」と、魔王は言いました。
「勿論、お前に損はさせない」と、魔王は続けます。
「俺とお前の身体を取り換えようじゃないか。お前は俺と同じ魔族に、俺はお前と同じ人間になる。それを、そうだな、五百年続けよう」
「何を、どうせお前は五百年後に世界を滅ぼそうとするだろう」
と、勇者は言います。それに、魔王は、こう答えるのです。
「馬鹿を言うな。今ですら、お前しかここに立っていないのだぞ。詰まり、俺からしたら人間を滅ぼすのは容易いことなのだ。だけども、もしお前が、俺にお前の身体をくれるのなら、この後五百年の平穏は守ってやると言っているのだ」と。
その答えに、勇者は何も言えませんでした。魔王も、何も言いませんでした。それでも、勇者はこう言うのです。
「そんなの、何の約束でもない。お前が、魔王、お前が悪なんだ。その悪を倒すために俺は生きてきた、だから、ここでお前を倒さなければ全てが報われない」と。魔王は答えます。
「そうか、それなら俺を殺せば良い。だが、もしお前が俺を殺せなかったそのときは、俺は人間全てを殺す。それで良いのか?」
そう言われて、勇者は答えられませんでした。これまで、魔王を倒すために生きてきた。そうやって生きてきた勇者には、知らない内に背負うものが多くなり過ぎていました。そして、仲間はもうどこにもいませんでした。勇者は、もう一人では魔王を倒せないと悟るのです。
そして、勇者は魔王と魂を交換することにしました。魔王の魂は勇者の身体へ、勇者の魂は魔王の身体へ。それは、全ては、五百年の約束。五百年の平穏のために、勇者は魔族となり、魔王は人間となった。だから、勇者は魔王に勝ったけれど、元の世界に戻れなかった。
「どうせ、五百年後の世界なんか、お前は興味がないだろう。このことを知る人間は、五百年後には死んでいる。お前が天寿を全うした後の、知らない世界で知らない人間が殺されたところで、何をそんなに悲しむ必要がある?」と、魔王は言いました。
勇者は、何も言い返せなかった。自分は、魔王を倒すことができない。それでも、これから五百年の平穏が約束されるのであれば、と。自分を犠牲にしたことが、正しいのかどうか、わからなかったからなのでしょう。
**
「……へっくしょん!」
くしゃみをすると、木々が揺れた。今日は、強い風が吹いている。木の騒めきは何かを予感させる、ような気がする。でも、今日においては、それは正しいと思った。ユチはペルシャから貰った新品のコートを着ながら、小屋の端に丸まっている黒いかたまりに声をかける。
「リリィ、そろそろ出るが」
と、言った瞬間にリリィの身体の端から長い毛が飛び出す。ユチの顔の直ぐ前で止まった毛を、ユチは一瞥して撫でようと手をあげる。すると、その毛はみるみる内に黒いかたまりの中に納まってしまうのだ。そして、小さな声がした。
「ふざけるな、俺はお前と行かない」
あの湖の出来事から、一日経って、二日経った。ユチは半ば強引にリリィを小屋に連れて帰り、この二日の間に、リリィはすっかり人間の言葉を喋られるようになっていた。
「何度言ったらわかる? お主は、ワシの傍にいないと生きてはいけんのじゃ」
「……もう、死んでも良い」
リリィの答えに、ユチは溜め息を吐いた。ユチとリリィは身体と魂を交換したが、ユチがリリィにかけた魔法は、五百年の間に限定したものだった。五百年より先のことを想定していなかったのだ。だから、今のリリィはユチが傍にいなければ、自我を保つことすら難しい。恐らく、リリィはこの五百年、人目につかないように生きてきた。しかし、魔法が解け始め、自我が崩壊するにつれて、人間を求めてあの場所まで辿り着いたのだろう。それが勇者の魂故なのか、ただ寂しかっただけなのかはわからない。でも、ユチは前者だろうと思っている。
「別に、俺はいなくても良いだろ。人間を殺したいなら、それは……」
そこまで言って、リリィは口を噤む。嘘でも、人間を殺しても良い、とは言えないのだろう。五百年経っても、リリィはずっと勇者のままだった。そんなリリィのことを、ユチは好ましくもあり、憎くもある。
「何を言っておる、リリィ」
「何が?」
「わからん奴じゃのう。今のお主なら、ワシを殺せるじゃろう」
「……は?」
リリィの身体がのっそりと動く。真っ黒な大きな毛のかたまりは、お世辞にも可愛いとは言えない。でも、ユチはリリィの昔の姿を知っている。だからだろうか。のそのそとした動きが、少しだけ可愛らしく見える。ユチはリリィの前に立ち、リリィの身体に手をあてる。
「今のワシは、ただの人間じゃ。しかも、いっとうか弱い。馬鹿な人間共は、ワシが人間を皆殺しにするだなんて、一欠けらも考えておらん。お主だけが知っておることじゃ」
「だから?」
「だから、お主しかワシを止めることはできん。リリィ、お主がワシを止めてみよ」
「……」
何を言っているんだ、と。リリィは思っているに違いないだろう、とユチは思った。実際に、そうだった。リリィは黙り込む。ユチは続けた。
「この五百年の間、ワシは待っておったのじゃ。ワシを止めてくれる、唯一の人間を。それが、お主じゃ」
「……何を、出まかせだ」
「そう思うんならそうするが良い。ワシはもう出る」
リリィから手を放し、ユチは小屋の扉へと向かう。扉に手をかけると、背後から、ずち、ずち、と呑気な音がした。ユチが振り返る。リリィが、毛を集めた手のようなもので、床をひっかいているところだった。
「何じゃ、来るのか?」
「そ、れは」
「来るのか、来ないのか。どっちじゃ?」
「だってお前、人を殺すんだろう!」
「……当たり前のことを聞くでない。それで――」
「だったら!」
リリィの手が、床の隙間を掴む。全身の毛が、ぶわりと逆立つ。ぞぞ、と毛が伸びる。伸びて、伸びて、伸びて。狭い小屋に明らかに不釣り合いな質量をもったそれに、ユチは目を丸めた。
「だったら! 止めるに決まってんだろ!」
「ばっ、」
ユチは咄嗟に扉を開く。ユチが小屋を出るよりも先に、リリィの毛が扉に突っ込んだ。ユチも毛に巻き込まれる。どんどん質量を増す毛の所為で、小屋の壁に押しつけられて、そのまま――。
「ばばばばば、馬鹿者ーーっ!」
ドガッシャーン。
で済んだかはどうかは置いといて。こうして、ユチが長年過ごした小屋は、バキバキに割れて吹き飛んだのだった。
**
どうして。どうしてなの、カルデネ。カルデネ、答えてよ。どうして、あんな奴の傍にいるの。僕は、カルデネの傍にいたいだけなのに。どうして、カルデネはあいつについていくの。酷い、酷いよ。酷いよ。嘘だよ。酷くない。カルデネは、とても優しいんだ。僕は、僕だけはカルデネを信じてる。カルデネとの約束を守ってるんじゃない。あいつは嫌なやつだ。僕は、あんな奴大っ嫌いなんだ。だけど、だから、カルデネがいつかここに戻ってきてくれるって、そう信じてるから。だから、ずっとここにいる。カルデネ、お願い。お願い、はやく、はやく戻ってきて。そして、今度こそ、僕を連れていってね。
**
「……不思議に思わんのか?」
「何が?」
ユチの問いに、リリィはスパゲッティを口に運びながら答えた。あれから、一ヵ月。あの、ユチの小屋が木っ端みじんに砕け散った日からだ。ユチはリリィを引き連れて旅にでた。今は、港町のレストランにいる。
リリィはあの黒いかたまりのような身体を制御することを覚え、今は人間の形を作ることもできるようになった。但し、あくまで形を作っているだけだ。元々あった口の部分を顔として、顔以外の場所に毛を移動させているだけなので、黒いフードのコートを脱げば、人間ではないことがわかってしまう。凹凸のある表面に、単眼と口だけがくっついた顔は、顔とは呼べないだろう。とはいえ、口以外の顔の部分を包帯でぐるぐる巻きにすれば、外で食事をとっていても驚かれないぐらいにはなった。やはり、人間の言葉を話せるのが良いのだろう。そこまで、客の顔を凝視する人間はいない。
「ワシが五百年もお主の身体でいられたことが、じゃよ。一応、お主も人間だったのじゃろう? 人間が五百年生きるか? 少しは疑問に思わんのか」
「一応って何だよ。でも、確かに。お前よく生きてるよな」
「そうじゃろう。ワシはな、この身体に思い入れがあるんじゃ。お主の身体にな」
「はぁ」
「気のない返事じゃな。まぁ、良い身体じゃよ。流石は勇者と言ったところでな。今のところ、困ったことがない」
「はぁ? それは嘘だろ」
「嘘なもんか。お主は、勇者が故に、勇者だったんじゃよ」
ユチはマリネを口に放り込む。少し酸っぱい。随分と昔に食べたような、食べたことがなかったような。そんな味だった。ユチはその味を思いだそうとして、思いだせなかったのでどうでも良くなった。
あとがき(という名の設定)
オイ! 意味不明すぎやろがい!!
という感じなのですが、これはカルデネ系列の話ですね。S君系列とかもあるけど、同じ設定で書き過ぎやろ。まぁ良いか。
思わせぶりにも程があるし、多分この後の長い話は書かないのでここで書いておこうと思います。ていうかこういう役割がハッキリしてる系のも好きっちゃ好きだよな。
今回はユチ(元魔王)とリリィ(元勇者)の話ですが、この二人は五百年前に戦って、ユチの提案にリリィが乗ったかたちです。その提案っていうのが「身体と魂を交換しようぜ。そしたら、今後五百年は人を殺さんからさ」っていうやつです。このネタは昔から好きなんですが、勇者って大体魔王を倒すじゃないですか。もし魔王に負けたとしても、そのまま死ぬじゃないです。でもさ、もし負けたらその後人間はどうすんの? って。それでいて、勇者が守りたいのって”今”の人間なんじゃないの? って思ったんですよね。だから、圧倒的にもう負けるだろってぐらい力差があったときに、「五百年間だけ人間を殺さないでいてあげる。五百年後のことなんて、どうせ人間のお前は死んでるわけだし、どうでも良くね?」って言われたら、勇者はどうするんだろうって思った。このネタを考えたときにはもっとエグくて、勇者は仲間を守るために魔王の提案を飲むんだけど、「魔王は死んだ」って嘘を吐く必要があって、更に全人類から「勇者さまー!」って持ち上げられることに病む、みたいな話だった。確かに、今の人たちは救ったけど、五百年後に世界は滅ぼされるんだ、みたいなね。そんな苦悩から病んでおかしくなっちゃうっていう話でした。
今回のユチとリリィの話は割とライトですね。まぁ、そこが本題ではないので。この後、何でユチがリリィと身体を交換しようとしたのか、とか。どうしてユチはリリィに執着してるのかっていう話がでてきます。それが、タイトルにもなっている「カルデネ」の存在なわけです。
言っちゃうと、魔族と呼ばれるものは元々カルデネが人間の世界に連れてきたものです。言ってしまえば、カルデネが魔王だったわけですね。そんなカルデネは、人間の王様に恋をして、人間の王様を愛するが故に「これは魔法なのです」って言って、魔族の力を使って王様を助けていました。カルデネについていった魔族も、王様の国では人間と仲良く暮らしてたんですわな。なんですが、王様が他の国の女王と結婚するってなって、カルデネは心を病んでしまいます。そんで、魔族の仲間に「私は少し遠くに行くけど、その間、あの人のことをお願いね。私は必ず戻ってきます」って言って、去ってしまうわけです。こう書くと、カルデネってどうなの。まぁ良いか。
カルデネの言葉を信じて魔族は待っていたんだけど、カルデネは戻ってこない。カルデネを失った王様は精神を病み、女王はカルデネの存在を憎み、カルデネは魔女だと言い、魔族は迫害されるようになった。そうして、カルデネの仲間たち(魔族)は、人間を酷く恨むようになったわけです。そうして魔族と人間の争いがはじまるんだけど、一応女王は王様のことが昔から好きで、なのに知らん変な女にメロメロだったのが気に入らなくてそうした(他所の国の女王ははじめて魔族を見たわけで、魔族は造形も不気味だったので)、っていう裏側もある。
ここでようやくユチが出てくるんだけど、ユチは元々カルデネの一番親しい仲間といか、臣下みたいなもんだった。だから、カルデネの言うことを聞いて大人しくしていたんだけど、人間が魔族を殺そうとするからもう大変。カルデネが大好きだった人間のことを嫌いたくないけど、でも人間は魔族のことが嫌いだから、もうどうしようもなくなる。カルデネへの思いを拗らせまくった中、勇者という存在が現れたことを知ります。どう考えても人間じゃない強さの勇者が何なのかを調べていく内に、勇者はある日突然精神を病んでいた王様が連れてきた子供だということがわかります。その子供を、女王が酷く嫌っていることも。城内では、カルデネと王様の子供と呼ばれていることも。ユチは、勇者がカルデネの子供だと知り、並々ならぬ執着を見せることになるわけですね。まぁ実際、勇者はカルデネの子供なんですけども。そういうわけで、ユチは勇者と出会い、カルデネにしようとするんですね。何かこの辺は難しいんですけど、まずはカルデネ(勇者)に人間を嫌いになって欲しかった。だから、魔族にすることによって人間を嫌いになって欲しかった。そして、人間が嫌いになったカルデネ(勇者)と一緒に生きていきたかった、ということなんです。
なんだけど、結局カルデネ(勇者)は人間を嫌いになんてならなかった。という現実に直面して、ユチは昔にカルデネについていかなった自分を悔やんでいるのもあって、カルデネ(勇者)が望むなら、ということで一緒に人間の世界を旅することにしたよ、というような話なんですわな。最終的にどうなるんだろうな、この話。まぁ裏側にはこんな話がありましたよ、ということで。カルデネって良いよな、この単語がさ。
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