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バカンス de GOGO!1

ちょっと前に書いた作品。完結させたいので掲載。長いのとBL風味。


バカンス de GOGO!1


 ここは不思議な町。
 まるで普通の町・ウォルデンド。
 ウォルデンドの住人は、皆思い思いの生活を送っている。甘くて酸っぱい学生生活。涙の卒業式を乗り越えて、いざ社会人に。アルバイト、自営業、公務員、サラリーマン。その誰もが、就業後にはバーに駆け込む。家が隣の幼馴染と恋に、時には名も知らぬ旅人と恋に落ちる。家族に囲まれ子を産むのも、一人静かな部屋で産むのも自由。誰もが、生きるために生きている。ウォルデンドはそういう町だった。
 ある日、ウォルデンドに「俺は別の世界から来たんだ」と言う、少し頭のおかしい男が現れた。しかし、近くに住む家族が手厚くもてなすと、数ヶ月も経てば男は、この町にすっかりと馴染んでいた。まるで普通の町なのだ。男は、近所の家族の中でもとびきり美人な娘に恋をした。娘も満更ではないようだった。
 ある夏の暑い夜、夕涼みにと誘ったバルコニーで男は娘にプロポーズした。娘は白い肌を赤く染めて、小さく頷く。薬指に嵌めた銀の指輪が月灯りに照らされて、一際眩しく輝いていた。

◎◎

 真っ白な砂浜と、真っ青な海。空は快晴。カッと眩しい太陽が、半袖から伸びた手をじくじくと焦がしていく。水色のシャツと七分丈のズボンを履いた色素の薄い男は、掌で太陽を遮りながら呟いた。
「海だ」
 波音がする。直ぐ目の前に海がある。そして、海の上に木の家があった。水上の家だ。窓を開ければ直ぐに海に飛び込める。大概お洒落だとは思うけれど、まさか自分がこんな家に住むとは考えたこともなかった。コンクリート造りの家にしか馴染みがない。
 彼の名前は、ムーン・ウォーカー。彼が生まれた場所では性を先に、名を後に名乗る。だから彼はウォーカーと呼ばれていた。しかし、今後のことはわからない。何しろ彼は、二十数年生きてきた場所を捨てて、この町――ウォルデンドにやってきたからだ。
 ウォーカーの細い身体は、色素の薄い肌と相まってより貧相に見える。鬱陶しい長さの髪は、青と灰色と白が混ざった何とも形容しがたい色をしており、瞳は濁ったドブのような色をしていた。荷物は黒のショルダーバッグに、旅行用の大きな丸い鞄が一つ。家具の類は事前に運び込んで貰っていた。
「どうした? ボサッとして」
 自分ではない声がして、ウォーカーは振り返る。そこにはサンディ・マイルが立っていた。彼の生まれた場所では、名を先に、性を後に名乗るらしい。だから、ウォーカーは彼のことをサンディと呼んでいる。サンディもウォーカーと同じように、自分の生まれ育った場所を捨てて、ウォルデンドにやってきた一人だった。
 サンディは名前だけでなく、人間性や外見もウォーカーと正反対とでも言うように、比べるまでもなく屈強な体躯をしている。それなのに、顔の造りはえらく童顔だった。大きくて丸い透き通った瞳と、無骨な鼻筋に大きな唇。前も後ろも短い赤い髪は清潔で、いかにもな好青年である。
 ウォーカーとサンディが出会ったのは、つい二ヶ月前のことだ。未だ出会って間もないので、そのときのことは直ぐに思い出せる。
 二ヶ月前に、二人はウォルデンドの市役所で出会った。二人共、ウォルデンドに住むことを希望していたのだ。二人は、受付からウォルデンドの一人用住居が少ないことと、二人用の住居なら直ぐに入居できることを伝えられた。ここ最近、ウォルデンドに住みたいと希望する輩は後を立たない。入居を希望する輩で、市役所は人が溢れかえっていた
 だから二人は、数分たっぷり考えて手を組むことにしたのだ。ウォーカーは自分以外のことに興味がない。それについては、サンディも同じだった。だから二人は手を組んで、二人用の住居に申し込んだのだった。
「こういう家は想定外だった」
 ウォーカーが目の前の水上コテージじみた家を眺めながら言えば、サンディは楽しそうに言う。
「俺も想定外だけど、これはこれで面白そうじゃない?」
「本気で?」
「暑いと思ったら直ぐに海に入れるし」
「……」
「暇だと思ったら、海で遊べる」
「死にたいと思っても、直ぐに海に飛び込める」
 ウォーカーの台詞に、サンディは苦笑した。そして、はたと二人空を見上げる。さっきまで快晴だった筈が、曇り空になっていた。サンディが肩にかけたバッグを背負い直す。
「市役所の人が言ってた通りだ。直ぐに天気が変わるって」
「なんだか、余計に海に入る気がなくなった」
「元からない癖によく言うよ。ほら、さっさと入ろうぜ」
 サンディに促されて、ウォーカーは家へ続く木の階段を上る。ここが今日から自分の家になる。その筈なのに、何の感動も浮かんでこない。ドアノブに手をかけたまま開こうとしないウォーカーに焦れたサンディは、ウォーカーの手ごとドアノブを回した。ぎょっとしたウォーカーが批難めいた声をあげる。
「僕が開けるって昨日決めただろ?」
「このまんまだったら、日が暮れるなぁって思って」
「このクソガキ! わかったから離してくれ。僕が開ける」
「はいはい」
「……」
 サンディが離れるのを見て、ウォーカーは溜息を吐きながら、いざ玄関のドアを開いた。そして、先ずはウォーカーが、その後にサンディが続く。
 家の中は、思ったよりも広かった。最低限の家具しか置かれていないからだろうか。濃い茶色の木の壁で囲まれて、海側には開放的な大きい窓が並んでいる。窓の向こうのテラスに向かうドアもあった。室内でも、潮風の匂いがする。
 玄関から入って直ぐの右手にトイレとバスタブ。真っ直ぐに進むと、リビングがある。海の真ん前にダイニングがあり、海を右手にベッドルームがあった。リビングが広いお陰で、そこまで窮屈に感じない。
「良いところじゃないか」
 と、サンディが荷物を置きながら言う。ウォーカーはそれには同意した。
 サンディとウォーカーが二人で暮らすのは、これが始めてではない。この家に住む前に、お試しと称して狭いアパートで数週間暮らしたのだ。そのときのことを、ウォーカーは「散々な日々」と語り、サンディは「愉快な日々」と語った。
「ウォーカー」
 と呼ばれてサンディを見ると、大きめのディーゼルを段ボールだから出したところだった。そのディーゼルはウォーカーの私物だ。かさばるので、先に運んでおいてもらった。
「これ、ここで良い?」
 そう言いながら、サンディは海側の窓の前にディーゼルを設置した。しかも、ソファの直ぐ横にだ。
 これまでウォーカーはたくさんの絵を描いてきた。だとしても、こんなに開放的な場所で描いたことはない。目の前には海が見えて、直ぐ傍にはソファがあり、更にソファの前にはテレビも置いてある。そんな場所で自分がどんな絵を描くのか想像すら出来なかった。だから、ウォーカーはサンディに言う。
「もっと端っこで良いよ」と。
「何で?」と、サンディは心底不思議そうに言う。
「折角なんだから、好きな場所で描いたほうが良いと思うけど」
 そう続けられて、ウォーカーは言葉を飲んだ。改めて、設置されたディーゼルを見る。汚れたディーゼルが、海の直ぐ傍で煌いている。曇り空の所為で薄暗い室内で、佇んでいるその姿が、思った以上にしっくりくることに気がついた。
「……そうだね」
 やっとのことで言うと、サンディは一つ頷いて自分の荷物を解くのにベッドルームへと消えて行った。ウォーカーはソファに座り、直ぐ横のディーゼルを見上げた。その向こうに曇り空が見える。潮風で冷えて湿った自分の腕に鼻を寄せると、不思議な香りがした。

◎◎

 サンディ・マイルは二十になっても定職に就いたことがなかった。決して裕福な家庭ではなかったにも関わらずだ。それでも働かなくても食っていくことは出来た。
 サンディが自分の人生について考えたのは、十代の頃だった。その日、学校帰りのサンディに声をかけたのは近くに住む富豪の娘だった。その娘は、サンディよりも十歳ばかり年上だった。娘はサンディを気に入り、自分の家に呼んだ。それから、二人は何度も逢瀬を繰り返すことになる。
 サンディが娘に従うのは、美味しい食事と甘いお菓子をくれるからだった。そして、自分の知らない世界を教えてくれるからだった。娘とサンディの逢瀬は二年ばかり続いた。終わりは唐突で、一瞬のことだった。
 ある日、娘はサンディを自宅に呼んだ。そこには、娘の友人だという女が数人並んでいた。娘の友人達は優しく可憐で、サンディをおおいに歓迎してくれた。長く、楽しい一日だった。会もお開きになった帰り際、その中の一人がサンディにそっと耳打ちをする。
「今度は、二人で会いましょう」と。
 言葉の通り、サンディとその女は二人きりで会うようになった。一ヶ月と経たずその事実は娘の知るところとなり、発狂した娘はサンディを詰る。しかし、サンディは平然として言ったのだ。
「貴女と彼女の何が違うんですか?」
 その台詞に、娘は何も言えなかった。そして、自分がどれだけ愚かで惨めな勘違いをしていたことに気づいたのだった。
 サンディが娘に食事と菓子を求めるように、娘はサンディに愛を求めていた。そのことにお互いが気づいたのは、奇しくも二人の最後の日だった。
 娘は遠くに越していった。それでも、サンディは一人にならずに済んだ。十二歳のときだった。サンディは、如何に自分の顔や仕草が他人の興味を惹くかを知り、それを活かす方法をこの数年で学んでいたのだ。
 残念ながら、サンディのそういった生き方は定職とは呼ばれなかった。サンディが生きていくためにしていることは、仕事ではなかった。他人には馬鹿にされ、家族はサンディの存在を見て見ぬフリをするようになる。それでも、サンディは相手に困らなかった。これまで何人もの女がサンディを愛そうとし、愛を強請ってきた。
「ねぇ、一緒にウォルデンドに行きましょうよ」
 と言ったのは、既婚者の女だった。サンディはウォルデンドをどこかの観光地かと思い、適当に「行ってみたいね」と返した。
 如何にウォルデンドが素晴らしい町かを恍惚として語る女の瞳に不気味なものを見ながら、サンディはそのとき始めてウォルデンドの存在を知った。
「そこで、あたしたち、真に偽りのない愛を知るのよ」
 その女とは、それが最後の日になった。その会話をした次の日に、女の住居が空き地になっていたからだ。噂話では耳にしても、本当にどうなったかはわからない。次の相手を模索しながら、サンディはウォルデンドという町についてぼんやりと考えていた。
 真に偽りのない愛がどういうものなのかを、未だにサンディは知らずに生きている。

◎◎

 ウォーカーは、絵を描いていた。
 窓から差し込む太陽の灯りだけを頼りに、絵を描く。ただ、ひたすら目の前のキャンバスに没頭する。カモメかウミネコだかわからない生物の鳴き声がする。潮風が香る。触れる空気が生暖かい。その全てを混ぜこぜにして、キャンバスを埋めていく。時間はわからない。でも、きっと正午を過ぎた頃だろう。自分の感覚がわからない。暑いのか寒いのか、空腹なのか満腹なのか。そんなことはどうでも良い。今この瞬間に、この絵は描ききらなければいけない気がしていた。
 水面を走る。飴玉のような水泡。触れた水の冷たさと、肌を焼く熱さの反比例。それを曖昧にぼかしていく。くっきりと描かれた絵に、水を溶かした筆をのせる。のせる。のせる。何度ものせる。パレットの水が足りない。そう、水が足りない。瞬間、喉が渇いていることに気がついた。
「……」
 ゆっくりと身体を離して見た絵は、これ以上ないぐらいに完成していた。傑作と言っても過言ではない。きっと、今この瞬間、自分はこれ以上の絵は描けないだろうと思った。だから、今日だけは明日の自分に期待することにした。
 ウォーカーはパレットを近くの棚に置き、一つ伸びをする。ふと見た時計は、やはり正午を越したところだった。早朝目を覚まし、ハッとしてキャンバスに向かったところまでは覚えている。つまり、数時間ずっと没頭していたのだ。道理で喉が渇いているわけだ。
 とりあえず水を飲み、冷蔵庫に残っていたサラダを食べた。皿を洗って、肌がべたべたするので、ついでにシャワーも浴びる。
「ふぅ、」
 生き返った身体をそのままに、リビングに出る。窓の向こうには海があった。そして、海で泳ぐ一人の男を見つける。サンディだった。未だ仕事まで時間があるので、海に出たのだろう。ウォーカーにとってはどうでも良いことだが、サンディにとっての暇潰しが直ぐ傍にあって良かったとは思う。でなければ、こうして作品に没頭することも難しかっただろう。
 ウォーカーは濡れた髪をタオルで拭いながらソファに座った。背もたれに横向きになって、ディーゼルに置いたままのキャンバスを見る。じっと眺めて、そのまま視線をずらしていく。どうやら、今日は良い天気らしい。その下で、相変わらずサンディは泳いでいる。
 ウォルデンドは、定職に就くことを移住の条件にしていない。でも、光熱費や家賃は発生する。良い物を手に入れようと思うのなら、その分の金は必要になる。その日暮らしにゴミ箱を漁る気概があるのなら、働かなくても良い。サンディはさて置いて、ウォーカーは最低限の生活は送りたいと思っていた。だから、絵を描いては売る仕事をしている。
 計らずとも、自分の絵を「欲しい」と言ってくれる人が一人でもいたことは本当に有り難いことだったとウォーカーは思っている。その人はウォーカーの絵を買い、小さな自分の美術館に展示しているらしい。それだけでなく、その「欲しい」を仲介しているとも言っていた。ウォーカーはその人と直接話したことがないので、顔も年齢も性別も知らない。それでも、こうして暮らしているのは、その人のお陰だと思うことがあるのだ。自分は絵を描くことは出来る。でも、その売り方を知らない。
 ガチャン、と音がしてウォーカーはソファの中の身体を翻した。丁度、サンディが海から戻ってきたところだった。水着一丁で、身体がびしょびしょに濡れている。ソファに隠れたウォーカーが見えないのか、一目散にシャワールームに向かって行った。
 そういえば、とウォーカーは思う。二人の生活は想像以上に上手くいっていた。活動時間が違う所為かもしれない。あの安アパートに二人引っ付きあって暮らしていた期間は最悪だった。サンディは別として、ウォーカーは兎角パーソナルスペースが広いいのだ。誰かが近くにいるだけでピリピリしてしまう。だから、毎日のようにサンディにイチャモンをつけていた。しかし、サンディはそんなウォーカーにへらへらと笑うだけだった。
 全ては、今思えばである。当時のウォーカーの理屈はほとんどが屁理屈だった。本気でサンディのことを憎く思っていたわけではない。むしろ、一緒に暮らしていたのがサンディではなくとも、ウォーカーは屁理屈を並べたてて糾弾していたに違いないのだ。
 ある意味、とウォーカーはソファに寝転びながら考える。サンディのように、頭が空っぽなのが良かったのかもしれない、と。もし自分の屁理屈に対して真っ向から勝負を挑むような奴なら、この二人暮らしもなかったに違いないのだ。
 シャワールームのドアが開いて、数刻前と同じ姿のサンディがリビングへと足を踏み入れる。そこで、ようやくソファに寝転ぶウォーカーに気づいた。
「おかえり」
 と、ウォーカーが言うとサンディは「ただいま」と言いながら、ディーゼルに嵌められたキャンバスを見た。じっと眺めて、ウォーカーに言う。
「良い絵だね」
 サンディが続ける。
「俺、絵のことはよくわかんないけど」
 ウォーカーも珍しく笑った。
「僕も、海遊びのことは良くわからないから」
 お互い様だね、と言いかけて口を噤む。今日一番の傑作は、快晴の中、青い海の中で泳ぐ男の絵だった。曖昧にぼかしたのは、それが想像だったからだ。でも、輪郭ははっきりしている。妄想にするには、直ぐ目の前にあった。だから、少しだけ気恥ずかしい。

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