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【短編】サイクル+

短編です。



 サイクル+

 今この瞬間に、死んでしまおうかな。そう考えて、私って馬鹿みたいだなと思い直す。別に死にたい訳じゃない。ただ、考えるのが面倒くさくなっただけのこと。死んだらどうなるのかな、と口にするともっと面倒なことになるから言わずにおく。いつから、そんなに命は大切なものになったの。軽々しく死ねと言う癖に、私が言ったら駄目なのは何故。自分のことばかりが大切。自分のことだけが大切。そんなお前等が、僕は大嫌い。

 小さい頃は、そんなに見目について言われたことなんてなかった。でも、男にしては女っぽい顔立ちをしていたように思う。高校生ぐらいになると「綺麗な顔立ちをしている」と言われることが増えた。はじめは、お世辞だと思っていた。だって、周囲を見渡したら直ぐにわかる。僕は特別じゃない。小さい頃から、それだけは理解していた。世の中には凄い人がたくさんいて、僕はそうじゃない。所謂、僕は底辺ってやつだ。恵まれた人ではない。だけど、他人の誉め言葉が、僕の心の拠り所になっていたのも確かだった。大学生になって世界が広がると、とうとう僕は出会う人のほとんどに「綺麗」だと言われるようになった。それと同じ頃、幼馴染から「女みたい」だと言われた。
 その瞬間、僕の中のピースがカチリと嵌まる音がした。今でも不思議なのだけど、そのときの僕は、人生を悲観していたわけではなかった。僕という人間が嫌いなわけでもなかった。それこそ、捨て去ってしまいたい過去があるわけでもない。なのに、僕は自分の過去をいとも容易く捨てる決断をした。そんな大層なことではない、と他人は言うかもしれない。でも、それが僕のはじまりだったような気がする。つまり、別の人間になるっていうこと。その日から、僕は私になった。
 化粧をして、時にはスカートを履いて。そんな私は、ますます見目を褒められるようになった。「本当の女より女らしい」という褒め言葉なのかわからない評価も貰った。馬鹿々々しいと思ったけど、満たされない心の内が、点滴を受けたときのように少しずつ満たされているような気はした。僕から私になってから、私は幼馴染と同じ家に住むようになった。幼馴染は、唯一、昔の私を知る人だ。そして、僕のことを知る人でもある。幼馴染は、僕じゃなくなった私をすんなりと受け入れてくれた。それが愛なのだと言われれば、そうなのだと思い込んだ。私たちが恋人と呼ばれる関係になるのも、そう時間はかからなかった。おままごとみたいな、恋人ごっこ。ああ、馬鹿々々しい。そう思うときもあれば、ぬるま湯のような空気に癒されることもあった。
 でも、未だに治らない悪癖がある。夜中、目が覚めるともう朝まで眠れない。自分でも自分がわからなくなる。自分は何がしたいのか。自分は何なのか。自分が僕なのか、私なのか、はたまた別の生き物なのか。無性に、寝間着姿のまま外に出てどこか遠くへ行ってしまいたくなる。自分のことを誰も知らないどこか遠くへ。そこで、またもう一度やり直す。
(やり直す?)
 そこまで考えて、ハッと目が覚める。現実の私は、寝間着を汗でぐっしょりと濡らしている。心臓が苦しくて、もしかしたらもう死んでしまったんじゃないかと錯覚する。そして、いつも思うのだ。
(死にたくない。死にたくない、死にたくない……)
 繰り返して繰り返して、全部夢だったのだと馬鹿みたいなことを考える頭を落ち着ける。わけもわからず流れる涙は、悪い夢を見たことにしよう。と、言い訳を考えながら、もう一度目を閉じる。
(死にたくない、死にたくない。こんなところで、死んでたまるか)
 こんなくだらないことで、苦しんでたまるか。そう言い聞かせて、私は今を生きている。

 私に慣れて数年経った。大学を卒業して社会人になった私は、新卒で入社した会社を辞めて、転職を繰り返している。一方で、幼馴染は新卒で入社した会社でずっと働いている。幼馴染は、私を責めることは一度だってしない。ただ、馬鹿みたいに優しい。数ヵ月の間、仕事が見つからなかった私にも「お前がそばにいるだけで良い」と言ってくれる、とてもとても優しい人だった。それなのに、私は心の中で「気色が悪い」と思った。そう思うのはいけないことだとわかっているのに、ただただ気持ちが悪かった。幼馴染が私に向ける優しさの理由がわからなくて恐ろしい。どうせ外も出ないうえに、銀行の預貯金がわずかになっても、洗面台に高い化粧を並べる私に「今日も綺麗だね」と言う幼馴染は、私からしたらただの化け物だった。そして、そんな化け物から離れられない私も、また化け物だったのだ。
 ある日、幼馴染が動画配信サイトを見ていた。そこに映っていた人は、芸能人のように綺麗だった。私が横から見ていることに気づいたのか、幼馴染から動画の感想を求められて、私は「綺麗な人だね」と答えた。幼馴染は「お前のほうが綺麗だけど」と、普段と同じ調子で言う。不思議なことにそのときの私は、幼馴染を気持ち悪いと思わなかった。だから、軽い調子で「そう? 私も配信してみようかな」と雑談のつもりで続けた。冗談のつもりだった。それなのに、数日後、私は幼馴染のパソコンの前で、幼馴染に見守られながら、動画配信サイトを開いていた。何故か、私よりも幼馴染のほうが乗り気だった。きっと、毎日家にいる私のことを幼馴染は気遣ってくれたのだろうと思う。馬鹿々々しいと思いながら、私は人生はじめての動画を撮った。ただ、どうでも良い話を延々と垂れ流すだけの動画。それを幼馴染は甚く気に入って喜んでいた。どうせ、誰も見ないだろう。その日の私は、動画の編集を幼馴染に任せて早い時間に眠りに就いた。
 結論を言えば、私がだらだらと話すだけの動画は、それなりに人気だった。私の顔を褒めるコメントばかりが並んでいる。それが、少しだけ嬉しかった。いや、違う。昔に感じた、あの、私が私になったときに感じた、満たされない心に一滴、二滴と何かが滴って落ちてくる感覚。あれと同じ感覚だった。そのことに気づいた瞬間、全身が粟立つのを覚えた。カラカラに乾いた心に慣れはじめていた。それなのに、ぽつりと落ちた一滴が染み込んでいくのを感じれば感じる程、私は私じゃない何かに侵食されていくのを感じた。見ないようにしようと思うのに、呼び覚まされた快感が私を捉えて離さない。
 次の日、私は幼馴染のいない間に動画を撮った。次の日、私は幼馴染のいない間に動画を撮った。次の日、久しぶりにスマートフォンで自撮りをした。画面に映る自分の姿に、くらくらする。この高揚感を、どう表したら良いものか。動画だけではなく、生放送もはじめた。リアルタイムの「綺麗」という言葉は、私からしたら、今あるどんなものよりも魅力的だった。生放送を続けると「頭が良い」と言われることもあった。それすらも嬉しくて、アーカイブを何度も何度も見直した。満たさない心が満たされていく。もっと、もっと、もっと。もっと、愛されたい。そう思ったつもりだった。愛されたいと思っていたつもりだった。私に足りないものは愛だと思っていた。そう、思い込んでいた。
 動画配信サイトに夢中になって暫くの間は、何の問題もなかった。と、私は思っている。だけど、数ヵ月経つと、夜中に目を覚ますようになった。そして、またあの良くない癖がでるのだ。どこか遠くへ行きたい。私を見ないで。私に優しくしないで。誰も、私のことなんて知らない癖に。何もかもわからない癖に。嫌だ。触らないで。わかったふりをして、私に触らないで。そうやって、私の中に入ってこないで。私を殺さないで。
 そうして、目が覚める。汗だくの身体が気持ち悪くて、洗面所へと向かった。鏡に映る私は、酷い顔をしていた。この世の全てを恨んでいるような、憎悪に満ちた表情。憎んでいるわけじゃない。苦しいわけじゃない。それじゃあ、この心はいつになったら晴れるのだろう。ふと、洗面台に並んだ化粧品が視界に入った。手を伸ばそうとして、震えていることに気づいた。それがあまりに滑稽で、よくわからないまま笑った。ひとしきり笑って「馬鹿々々しい」と呟く。それだけだった。

 動画配信サイトでお金が手に入ることを知った。幼馴染も喜んでくれた。満たされずカラカラに乾いた心は、今はもう乾いていない。それなのに、注がれた液体がぐずぐずと腐って、どうやら私の心の底が膿んでしまったらしい。ぐちゃぐちゃになったままどんどんと注がれて、底から漏れた液体が私の身体を侵食していく。もう、私でも私がわからない。それなのに、幼馴染の目には私は変わらないように見えるらしい。
 ある日、ふと唐突に。洗面台に並んだ化粧品をすべて処分した。高い化粧品を捨てて、化粧水もつけずに数日を過ごした。肌に触れると、少し乾いているような感じがした。でも、視聴者の誰も気づかない。幼馴染すら気がつかない。「今日も綺麗だね」という言葉に、心臓が掴まれたように息が止まった。どろりと、私の口から何かが垂れていくのがわかった。これも、誰も気づいていないだろうけど。
 瞬間、全て理解した。私のこと、いや、僕のことを。理解して、もっと苦しくなった。自分のことを理解すれば楽になるだなんて嘘っぱちだ。と、僕は過去の記憶で聞いた言葉を反芻する。気分が悪くなって、トイレでゲロを吐いた。さっき飲んだばかりの炭酸水に混じった薬の残骸があまりに滑稽だった。もう、とっくの昔に僕はおかしくなっている。今更気づいたのかと言われれば、その通りだ。まともになりたかった。そのために、泥を啜って血反吐を吐いたのは、ただ生きたかったから。そのもっと次の段階、喚いて泣きださないだけマシだと思っている。ああ、どこか遠くへ行きたい。僕のことを誰も知らない場所へ。そして、そこで僕はもう一度人生をやり直す。そうやって、長いこと僕は僕という人間を延命させていた。そんな単純なことに、ようやく気がついた。

 愛されたい。もっと愛されたい。もっと、もっと愛されたい。もっと、もっと、もっと。幸せが何なのかわからず、ただ愛されたいと願った。子供の頃に読んだ絵本のハッピーエンドは、必ずといって良い程に主人公が愛されていた。愛されることは幸福なのだと思った。だから、愛されたい。もっと愛されたい。僕を愛して欲しい。だけど、現実の僕は愛されれば愛される程に苦しくなるばかりだった。僕のどこが愛されるに値するのだと、相手を糾弾してしまいたくなるのだ。何を言われても納得できない。僕が愛されるに値する人間だというその理由を、事細かに教えてくれ。僕は僕じゃない人間にならなければ、生きている価値なんてない。そう言ってくれ。そのままの僕で良いだなんて、今更言わないでくれ。
 たかが、人間だ。僕の命なんて、ただ一人分の価値しかない。それなら、僕なんかを見ないで。僕なんかに優しくしないで。僕なんかを愛さないで。僕なんかを許さないで。そのままの僕で良いだなんて、お願いだから、これまでの僕を否定しないで。何もない、空っぽの僕を愛して。これまで、僕なりに僕を生きてきた。でも、それじゃ愛される筈もない。だから、そうじゃない僕じゃない僕を見て。だけど僕の中を見ないで。そうやって生きてきた。誰も彼も、自分のことにしか興味がない。愛されたい。そして、愛したいのはお互い様だ。
(だから、今更)それを言いたい相手なんかもわからず思う。ただ、今更なことだと。
 だから、今更、僕に触れないで。

 動画配信サイトはやめた。アーカイブも消したけれど、知らない内に録画されていたそれは、一生残り続けるだろう。でも、それでも良い。そして、僕は幼馴染と今も同じ家で過ごしている。時折、遠くに行きたくなることもある。化粧もしていない僕を「今日も綺麗だね」と言う幼馴染を見て「気持ちが悪い」と思うこともある。だけど、僕はそれを言わずにいる。きっと、幼馴染も同じだろうと思うからだ。お互いに化け物だと思い合っている。そうであって欲しい。そうじゃなくても、そう思い込む。そうやって、私の皮を被って、僕は今日も生きている。きっと、お前等もそうでしょう。

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