【小説】あの山に埋めた
注意
グロ表現、暴力表現有。倫理観が狂ってる。
狂った話が好きな人のみ、ご覧ください。
あの山に埋めた
まさか死ぬとは思っていなかった。本当だ。いつもと同じぐらいの力で首を締めたら、呆気なく相手は死んでしまった。ぎゅうと感じる手のひらの緊張が緩んだ瞬間の変な感覚は、今も覚えている。何なら、てのひらの皺に刻まれてしまったような気がした。暫く、息をしない人間の身体を眺めていた。だらしなく開かれた口から舌が覗いている。不思議なことに、ゆっくりと身体がかたまっていくように見えた。絶命した瞬間は、どろりと溶けたのに、今はその形のまま固まろうとしている。これもまた、新たな発見だった。
さて、この人間の残骸はどうしよう。そう考えても、何も浮かばない。仕方ないので、子守歌を歌ってやることにした。人間の世界では、死と眠りは同意義だという。だから、黄泉路が寂しくならないように歌ってやったのだ。慈悲の心で。
ふと気づけば、自身と全く同じ顔の男が部屋の隅に立っていることに気づいた。彼は、自身が何をしたのかをよくよく知っているようだ。無表情で、眼下の死体を指さした。
「山に埋めよう」と、彼は言った。だから、僕はこの人間の残骸を、あの山に埋めることにしたのだ。
◎◎
ゾイ・サイトとタンザ・サイトは兄弟だ。ゾイが兄で、タンザが弟。しかし、このタンザという弟の存在はなかったことになっている。ゾイが呼んだときだけ姿を現す不思議な存在。また、サイト家でもタンザの存在は認知されていない。だから、ゾイはサイト家の一人息子ということになっていた。
このことを、ゾイは子供の頃から不思議に思っていた。ゾイが呼べば、いや、呼ばなくてもゾイがいて欲しいと思うタイミングで必ずタンザは姿を現した。自分と全く同じ姿をしている、と二人並んだ鏡を見て思う。ただ、違うところもある。ゾイの瞳が暗い深海だというのなら、タンザの瞳は眩しい浅瀬の色だ。些細な違いではあるが、ゾイにはそれだけで十分だった。また、ゾイとタンザは外見はそっくりでも性格が全く違う。正反対とまでは言わないが、明るく陽気で物事を深く考えないゾイと違い、タンザは思慮深く冷静で落ち着いていた。
ゾイの部屋には、二人分の服が並んでいる。ただでさえ贈り物が多く、着られていない服もあるというのに。タンザに似合うと思えば、ゾイは値段も見ずに服を買った。そのことについて、タンザは呆れるだけで文句を言うこともない。着てくれるかは別として。ただ、幼い頃にゾイが買った赤くて丸い宝石が嵌められた指輪だけは、タンザはいつも着けてくれていた。
二人がはじめて人間を山に埋めたのは、ゾイが十五歳のときだった。その日、ゾイは深夜の町を一人で歩いていた。キラキラ光るネオン街。それに憧れた。キレイだな。キラキラしてる。触ってみたい。そう思って、足を踏み入れたのが数分前。酒臭い男と肩がぶつかって、何だと思う前に顔面を殴られた。鈍い衝撃と、何かが破裂する音。鼓膜に直に捻じ込まれたその音に、ゾイは何が起こっているのかさっぱりわからなかった。
「子供がこんなところに来たらダメだよ」
と、聞いたことのない声がした。でも、声色は優しかったように思う。おぼろげな視界に、見知らぬ誰かが映る。薄黒い肌の、目の細い男だ。ぐ、と喉が詰まる。首に薄ら寒い温度を感じる。そして、男の指先が迫った。その指先には、煙草が握られていた。薄暗い中、ぼんやりと煌めく赤い光。じゅう、と音がした。それから、肉が焼ける臭い。お世辞にも、あんまり良い香りだとは言えなかった。
「オイ」
と、首元を揺さぶられる。ゾイは何もしなかった。正確に言うのなら、男にされるがままで、微塵も反応しなかった。普通なら、痛みに叫ぶか涙を流して許しを乞う筈だ。いや、そもそも、ゾイは殴られたときも、煙草を押しつけられたときも、ぴくりとも反応しなかった。
「お前、トンでんのか?」
その言葉の意味も、ゾイには理解できなかった。ぱちぱちと瞬きすると、瞳が潤う。それだけだ。男はつまらなそうに、もう一度だけ煙草の先をゾイの鎖骨辺りに押しつけた。音と臭い。それだけ。ゾイはぼんやりと男の顔を見つめていた。そんなゾイを値踏みするように眺めて、男は吐き捨てる。
「チッ、めんどくせぇ奴に絡んじまった」
「そんなことないよ」
咄嗟にゾイは言った。男は目を丸くする。どうやら、喋れるとは思っていなかったらしい。ゾイは笑いながら続けた。
「とっても楽しかった。だから、僕も」
やってあげるね。
その声と同時に、ゾイの手は男の首に伸びていた。その指先に敵意はない。ただ、純粋な優しさに溢れていた。だから、男も避けることが出来なかったのだろう。いとも容易く、男の首はゾイの手の中に収まった。そのまま、ぎゅうと力をこめる。自分が知っている強さで。男はようやく事態を理解したのか、ゾイから逃れようと暴れる。しかし、血が巡らない手足はか弱く、次第に男の四肢はびくびくと震えるだけになった。
ゾイはそんな男の姿を恍惚として眺めていた。
ああ、不思議だな。面白い。やっぱり、とっても面白いことなんだ。
ゾイは男の首から手を離して、無邪気に笑う。
「ねぇ、どんな感じだった? 気持ちよかった? 面白かった? 楽しかったでしょ」
ねぇ、ねぇ、と男の身体を揺さぶる。しかし、男はぴくりともしない。どうしたんだろう。さっきまで、あんなに楽しそうだったのに。首を傾げながら、ゾイは男の顔をまじまじと見つめる。男の瞳は瞬きをしていない。開きっぱなしの瞳からは、涙が溢れていた。人間とは、瞬きをしなくても生きていけるらしい。ああ、やっぱり面白い。そう思って、男の肩に手を置く。ふと、男の横に煙草が落ちていることに気がついた。すっかり火が消えてしまっている。
「ゾイ、そろそろ帰ろう」
「タンザ」
聞き慣れた声がして、ゾイは顔をあげる。タンザは、男を挟むようにしてゾイの前に立っていた。タンザは何の興味もなさそうな表情で、横たわった男を見下ろす。
「これは、どうする?」
「どうするって?」
タンザの問いに、ゾイは素直に返す。どうもこうも、さっきから男は何にも反応してくれない。どうしたら良いのかは、ゾイにもわからなかった。
「部屋に飾る、なんて言いだしたら反対するつもりだった。でも、心配する必要はなかったみたいだな」
「飾るんだったら、宝石が良いな。あ、そういえばこの前、アリアドスで見つけたのがあってぇ」
ゾイの興味は、目の前の男から先日見かけた宝石に変わってしまったようだ。タンザは呆れて言う。
「その話は後で聞こう。この人間をどうにかしてからな」
「どうにかできるの?」
「ああ、」
そして、タンザは珍しく楽しそうに笑った。
「山に埋めるんだ」
それから、二人はたくさんの人間を山に埋めてきた。そうなった理由の大体は、ゾイの好奇心。残りは、サイト家に向けられた憎悪故だった。
サイト家は、冥府の住人だというのに、生者と親交がある。親交といえば聞こえは良いが、実際は商売だ。人間相手に、商売をしている。それも、冥府の住人である息子を見世物にして。それは、自身が亡者であることに誇りを持った冥府の住人の嫌悪を刺激してやまないのだ。
「死ねぬことを見せびらかすとは、恥知らず」
「あの家は、すっかり人間に魂を売ってしまったのさ。いや、売る魂もないか」
「ああ、臭い。人間の臭いがする。欲望の権化が、汚らわしい」
そう言われても、ゾイは気にしていなかった。彼らは口ではあれこれ言えど、ゾイに危害を加えることはない。危害を加えるのは、もっぱら人間だった。確かに、ゾイは見世物として毎晩人間相手にショウを行っている。ただ、それはあくまで商売だ。それなのに、客の中にはゾイが「そういう奴だ」と思いこむ輩もいる。ゾイの見世物は刺激的で、普通ならあり得ないことを平然とやってのけてみせる。それも、全てはゾイが冥府の住人だからだ。しかし、人間はそのことを知らない。ゾイも、自身と同じ人間だと思いこんでいるのだ。
ある日の夜更け、自室でベッドに横たわるゾイの視界に、黒い影が走る。タンザだ。どうやら、窓から入ってきたらしい。暗闇の中、うっすらと見えるタンザの手足は泥で汚れていた。そして、手には錆びたスコップの柄が握られている。タンザは、穴を掘るのが上手い。埋めるものと同じ大きさの穴をあっという間に掘って、あっという間に埋めてしまうのだ。ゾイは、そんなタンザの横顔を眺めるのが好きだった。ふと、歌声が聞こえる。タンザの声だ。自身とは違って落ち着いた歌声に、ゾイはゆっくりと瞼をおろした。優しく綺麗で、慈愛に満ちた歌。この歌を、ゾイは子守歌だと思っている。
◎◎
その日は、唐突に訪れた。今日も見世物が終わって、店を後にするゾイは一人だった。だから、誰かが後をつけていることにも気づかなかった。今日は帰りに、アリアドスに寄ろう。アリアドスは行き着けの宝石店だ。そして、タンザとお揃いのアクセサリーを買っても良い。そんな夢うつつなことを考えながら、ゾイは歩いていた。
「あの」
と、声がした。振り返ると、どこかで見た顔の男が立っていた。数秒考えて、ああと合点がいく。この男は、ショウの観客だ。今日、何度か目が合った。ずいぶんと気に入ってくれているんだな、と思ったことはあった。でも、それだけだ。男は至って普通の、真面目そうな相貌をしていた。
「声をかけて、すみません」
頓珍漢なことを言いながら、男は頭をさげる。謝るぐらいならやらなければ良いのに、とゾイは思うからだ。ゾイは真新しい傷跡がついた首を掻きながら、どうでも良さそうに笑ってみせる。
「いいよ。何か話があるの?」
「あの、私、ゾイさんの大ファンで」
許しを得たからか、男は手を弄りながら続けた。頬が紅潮している。黒縁の眼鏡は、いかにもといった感じだ。ゾイは「ありがとう」と軽く返した。男は「はい、あの」ともじもじしながらも続ける。
「大変失礼なことを聞いていたら、すみません。あの、ゾイさん、その、痛くないのですか?」
その質問は、ちょっと良くわからなかった。恐らく、ショウの内容について言っているのだろう。今晩のショウはつまらなかっただろうか。そう考えて、ゾイは口を開く。
「え。僕、下手だった?」
「いえ、下手とかではなく! でも、今晩はこれまでよりも酷かったので……」
そう言いながらも、男はちらりとゾイを伺う。その視線が首筋に注がれていた。そういえば、今日は首を切られたんだった。瘡蓋になった傷跡を相変わらず掻きながら、ゾイは答える。
「それならいいや。アハ、これからももっと楽しめるようにするから」
「違うんです!」
ゾイの台詞を遮るように男は叫ぶ。ぽかん、とするゾイから視線を逸らしながら、男は急に興奮したように話しだす。
「わたし、私はゾイさんのことが好きなんです。憧れていました。いや、憧れというか、本当に美しいと思ったんです。大変恥ずかしい話ですが、私は昔から美しいものが汚される瞬間というのにひどく興奮しまして、それもあってか、ゾイさんに夢中になっています。でも、今日のはやりすぎです。こんなことを続けたら、ゾイさんは死んでしまいます。私はゾイさんに死んでほしいと思っているわけではないのです」
「……ふぅん」
としか、ゾイには答えようがなかった。今日のショウは、確かに普段よりも過激だったかもしれない。何をしても死なない身体だから、ちょっとばかり遊び過ぎた。でも、ギリギリ生きているラインで止めた、のだと思う。というのも、ゾイは切られる側であって、切る側ではない。相手は、上手い塩梅でやってくれる。そのためにも、ゾイを切り刻む役はわざわざ「そういう人間」を選んでいるのだから。
これがもし、お互い冥府の住人であれば、あんな御飯事で終わるわけがない。お互いを切り刻んでも満たされない。どうしたら魂すら奪えるのか、そこまで深く考えなければいけないだろう。それと違って、人間は楽だ。皮膚を切れば良い。指を落とせば良い。脳髄を噴き出せば、それだけで何らかの形になる。いわゆる、愛のカタチだ。そして、どうやらこの目の前の男は、歪んだ愛のカタチを本物だと思い込んでいるようだった。
「ご忠告どうもぉ。僕も死にたくはないし、次回はもっと面白いショウを見せてあげるね」
そう言って、さっさと帰ろう。と、踵を返すと同時に手首を誰かに掴まれる。いや、相手はわかっている。振り返ると、案の定、男が息を荒くしてゾイの手を掴んでいた。何故か、手が震えている。
「ゾイさん、私は、私は、わたしは」
そうして、男は震えた声で言った。
「あなたのことが、好きなんです」
「へぇ、そうなんだ!」
と、ゾイは明るい声で言う。男の頬が益々赤くなっていく。それを見つめながら、ゾイは言った。それはもう、綺麗な笑顔で、無邪気に笑いながら。
「でも、僕は君のことを好きじゃない」
これで良い? とゾイは首を傾げる。
男は呆然としていた。まさか、といった表情だ。ゾイも「まさか」と心の中で笑った。ゾイは冥府の住人だ。こうして人間と戯れているとはいえ、根本的に違う。それに、男の体臭はまるで腐った魚のようで、それもゾイには耐えられなかった。愛も恋も知らない幼子ではない。でも、この目の前の男とそうなるつもりは毛頭なかった。
「それじゃあ、またね」
そう言ったものの、男はゾイの手を離してくれない。心なしか、さっきよりも力が強まった気がした。どうしてだろう、と男の表情を伺おうにも、俯いているのでさっぱりわからない。しかし、チカ、と一瞬だけ目が合った。男の瞳は、眼鏡越しでも鈍く輝いていた。
次の瞬間、腹部に鈍い感覚。見下ろすと、ナイフが刺さっていた。
「あれ」と、口を開くと血が滴る。腹部に刺されたナイフは内臓を傷つけて、逆流した血が溢れてしまったようだ。ゾイはナイフを握った男の手に、自らの手を重ねる。やはり、男の手は震えていた。可哀想なくらいに震えている。男の頭は、ゾイよりも下にあった。だから、ゾイは男を見下ろしてやる。男はぶるぶると震えながら顔を上げる。視線が合って、男は何故か涙を流しながら口を開いた。
「き、きみのことが、すきなんだ」わたしのものになってくれないなら、と。
その台詞に、ゾイは唇だけで笑った。
◎◎
十五歳の頃。それは、丁度ゾイとタンザが二人ではじめて人間を穴に埋めてから数週間経った頃だった。その日、ゾイはタンザと自身の役割を交換するように持ちかけた。タンザは面倒臭そうな顔をしつつも、受け入れてくれた。そして、タンザは丸一日、ゾイの代わりをしてみせたのだ。自室で息を潜めてタンザが帰ってくるのを待っている間、ゾイはタンザはいつもこんな心地なのだと思った。そして、それと同時にやはりタンザは存在しているのだと確信する。それなのに、誰もがタンザの存在をなかったことにしようとしている。
タンザが自室に戻ってきて、ゾイは隠れていた衣装ケースから飛び出した。そして、タンザに今日の話を強請る。タンザはつまらなそうに、つまらない話を語ってくれた。でも、どれもがゾイの日常と変わらない。ゾイは首を傾げて言う。
「ねえ、どうしてタンザは僕と一緒に歩けないの?」
ゾイの心からの素直な質問に、タンザは一瞬息を飲んだ。そして、苦笑して答える。
「俺達が双子だからだよ」
「双子?」
「そう、双子は駄目なんだ。魂が二つに分かれた存在だから。冥府の住人にとっては、見た目よりも魂が何より重要なのさ」
「どういうこと?」
「ここまで言ってもわからないのか? 魂の重さが格式になるこの世界で、俺達は一人の半分しか魂がない」
そう言って、珍しくタンザはゾイの頭を撫でた。その瞳は慈愛に溢れている。緩く眩しい、浅瀬の色。おぼろげな光は、確かに今にも消えてしまいそうだ。
「だから、俺はいないことになった。そうすれば、ゾイ。お前は一人分の魂として生きていける」
「でも、タンザはいるのに」
「俺の戸籍はもう消されているし、俺の魂はお前に吸収されたことになっている」
「それって、」
言いかけて、口を閉じる。でも、やはり聞きたくなってゾイは閉じてしまった口を開いた。
「タンザは、それで良いの?」
ゾイは、自身が何を言っているのかをそれなりに理解していた。今放った言葉が、どれだけ残酷なことかも。今更、変えられないことだろうとわかっている。それでも、タンザの気持ちが知りたかった。タンザはふとゾイを見て、微笑んでみせる。そして、どうでもよさそうに言った。
「何を馬鹿なことを。勿論、良いに決まってるじゃないか」
「どうして」と、また素直に聞いてしまう。
タンザは珍しく歯を見せて笑いながら、愉快そうに答えた。
「お前にしか、俺は見えない。それの、何て心地の良いことか。逆に言えば、ゾイ」
呼ばれて、ゾイは顔をあげる。ゾイの頭を撫でていたタンザの手が輪郭をなぞって、頬に触れる。お互い視線を合わせて、タンザは内緒話のように呟いた。
「俺からしたら、お前のほうが可哀想だ。人間相手に笑って誤魔化して生きていかなければいけないお前のほうが、余程。でも、お前はそれだけじゃ我慢できない」
だから、とタンザは浅瀬の瞳を煌めかせて微笑む。薄い色素の髪に、美青年と称される顔立ちは一緒だ。それなのに、瞳や表情はこんなにも違う。
「安心してくれ、そのために俺がいる。俺の愛は、死者も死ぬほどに重い。お前の魂の半分は、未だここにある」
その台詞の声の美しさといったら、なかった。思わず、うっとりとしてしまう程に。好きや愛してるの言葉よりも、よっぽど美しくて素敵で可憐で、この身が燃えてしまうのではないかと思うぐらいに興奮したのを、ゾイは覚えている。
◎◎
「可哀想な男だ」
と、タンザは愉快そうに言った。ゾイを見る男の目は、なんとも言えない色をしていた。さっきまでは、恋慕の表情だったというのに、ここまでわかりやすい人間も珍しい。男の表情はありありと心情を表している。おぞましい。気色が悪い。そういう顔だ。
ゾイは、腹部を刺されて唇から血を流しながらも笑った。むしろ、男の手からナイフを取り上げて、自分の首に刺してやったのだ。
そのときの男の顔といったら、ない!
可笑しくて可笑しくて、声をあげて笑ってしまいそうになった。でも、こんなのは序の口だ。自身の魂の半身の笑い声が聞こえて、ゾイは見せつけるように服のボタンを外した。
そして、自身の腹に空いた穴に手をかけ、まるで服を千切るように皮膚を裂いた。男がヒッと息を飲む。ゾイは剥き出しになった内臓を撫でながら笑う。
「アハハ、ご覧! 公開解剖ショウのはじまりだ!」
男の顔色は真っ青で、今にも倒れてしまいそうだった。おっと、それはつまらない。まだまだ、楽しんでくれないと困る。何しろ、ここにはゾイと男しかいない。であれば、止める人間もいない。いわゆる「そういう人間」がいない中での、ショウはどうなるのか。そう考えるだけでわくわくが止まらない。
ゾイは首筋に刺したナイフを抜く。ぶしゅう、と血が溢れだす。その血を指ですくって舐めながら、今度は自身の胸元にナイフを突き刺した。
「ヒイッ!」と、男は情けない声をだす。
ゾイは心の中で悪態をつく。
「これがお好みだったんじゃないの? 変なの!」
どうやら、声に出てしまったらしい。でも、どうでも良い。ゾイは胸元のナイフに手をかけて、引き裂くようにゆっくりと動かす。それを止めたのは、男だった。
「も、もう止め!」
「ええ、何で? まだまだ、いこう」
そう言って、ゾイはナイフにかけた手を解いて、赤黒い臓物にぐちゃりと触れた。やわやわと揉むその指先が、あまりに悍ましく、男は咄嗟に口元を覆った。指の隙間から隠し切れない汚物が溢れる。臭い。ゾイは笑いながら、濡れた指先で自身の頬を撫でた。自分の血の匂いは嫌いではない。
「アハ、大丈夫。僕は何したって死なないから。折角だから、一緒にどこまでいけるか試してみる?」
深海を映した瞳が緩く細められた様は、あまりに蠱惑的だった。それでも、男は吐き気を止められない。最早、床に這いつくばりながら胃の中のものを吐き出す機械と成り果てている。まるで悪夢のようだ、と男は思った。まさか、こんなことになるとは思ってもいなかった。その隙間、声が響く。
「さて、お前もそろそろ理解しただろう」
と、静かな声が路地裏に落ちる。ゾイは嬉しそうに口角を上げ、男はハッとして顔をあげた。
そこにいたのはタンザだった。ゾイと全く同じ顔をしているのに、そこに優しさはない。明るい碧の瞳の色に似使わない慈悲のない声だ。タンザは微笑みながら男に向けて口を開く。
「彼はお前とは違う。何しろ、公開解剖ショウを毎晩やっていた奴だ。腹を刺したぐらいでは死なない。ただ、お前は運が良かった。彼は、お前に毛ほどの興味もないようだ」
道端の石ころのほうが、余程面白い。と付け加えて、タンザは楽しくて仕方がないといった風に額を押さえて笑う。男はがくがくと震えながら、縋るような瞳でタンザを見つめた。
ああ、可笑しい!
その瞳は、救いを求めてさまよっている。どうやら、未だ自分は人間として生きていけると思っているらしい。いや、その可能性があると信じているのだろう。なんと愚かで、悲しい生き物なのだろう。やはり、人間とは。そう思いながらも、タンザは優しい声で続ける。
「安心してくれ。俺は彼と違って、穴を埋めるのは得意なんだ」
◎◎
十歳になるまで、ゾイは常に情緒不安定な日々を過ごした。爪を噛む癖が治らない。すぐに癇癪を起こす。その原因は、冥府の医者にもわからなかった。小さい内は未だ良かった。身体が大きくなるにつれて、不安定な心は色々な形になって露見した。授業中に、突然前の席の同級生の背中を突き刺したり、はたまた、自身の目を穿ってみたり。深夜、一人でずっと墓場を掘り続けていたこともあった。そこには何もないのに、ずっとずっと、夜から朝になるまで穴を掘っていた。その、あまりにも意味不明な行動は、周囲を震えあがらせた。
そんなゾイを、タンザはいつも近くから眺めていた。その頃のタンザには、身体がなかった。下手をすれば、魂も消されてしまうところだったのを、未だ赤ん坊だったゾイが逃がしてくれた。周囲はゾイの魂を人間の身体に詰め込むのに忙しくて、吹けば消えてしまいそうな魂は、誰に見つかることなく、その場から逃げおおせることが出来た。所詮はした魂だ。暫く経って、風の噂で、親は自身のことを「元から塵のような魂だったのだ」と言っていることをタンザは知った。弔うこともしないその様に、何ともいえない心地になったことを覚えている。
ああ、自分は元からいなかったのだ。
その筈なのに、こうして生きている。いや、死んでいる。死んでいるのに、魂だけが残ってぐずぐずと未練がましく、サイト家に縋りついている。
本当に?
ふと考えて、違うと首をふる。自身が執着しているのは、サイト家ではない。あんな家、どうでも良い。どうせ、向こうもどうでも良いと思っているのだから。ただ、ゾイだけは違った。赤ん坊ではなくなったゾイは、時折何かを探すように視線を巡らせる。その瞳が誰を探しているのか、タンザにはすっかりわかってしまった。自惚れではない。何せ、ゾイがそうした素振りを見せるだけで、タンザのないはずの心臓がぐらぐらと音をたてて沸騰してしまうからだ。きっと、ゾイもそうなのだろうと思う。
タンザは身体なき魂のまま、ゾイに付き添うことにした。傍にいてあげたい。その思いは、ゾイが不可解な行動を重ねる度に、募っていった。
もし、自分が傍にいられたなら。
あの同級生の代わりに刺されてやったって良い。瞳を穿りだされても良い。そして、代わりに一晩中穴を掘ってやろう。流石に墓場はあまり品が良くないから、少し離れたところにある山で。もし、もし、もし、自分がゾイに触れられるのなら。話しかけられるのなら。同じ人間の身体を得られたのなら。
魂の半分を失いながらも、普通であることを強いられるゾイを、救ってやれるかもしれないというのに。
ある日、ゾイは相変わらず病院で医者と対面していた。タンザは部屋の壁にはりついて、二人の会話を聞いている。
「少し、強い薬を増やしましょうか」
「それって、何が強いの?」
ゾイの瞳は眠そうに細められている。実際に眠いのだろう。ここ最近は、めっきり薬漬けになっている。人間の身体を上手く扱えていないだけだ、と医者はゾイのことをそう診断したらしい。
「嫌なことを忘れてしまう薬ですよ」
「嫌なことなんか何もねェよ。全部、俺が好きでやってンだからさ」
先生、とゾイは机に肘をつきながら前のめりになる。それと同じ距離だけ、医者は身を引いた。その姿を舐めるように見つめて、ゾイは唇だけで笑う。
「ビビってンの? お前等がやったことの癖に、全部俺の所為にして恥ずかしくねェのかよ。さっさと認めりゃあ良いのに、金欲しさに騙くらかしやがって」
「ゾイ君」
「先生、俺は不良品なんでしょ。だったら、新しい身体にすりゃあ良いじゃん。何だったら、俺が取ってきてやろうか? 俺、生きてる人間の身体に興味があンだよね。ちまちま薬飲むより、そっちのほうが早くねェ?」
「ゾイ君、何か勘違いしているようですね。貴方の人間の身体は完璧です。何もおかしなところはない。だから、こうして……」
「俺で実験してンだろ? 先生、アンタ馬鹿だね!」
「……」
「先生、さっき正解を言ってたよ。俺の身体はどこも悪くない。悪いところは」
そう言って、ハッとしたようにゾイは顔をあげた。ぱちりとゾイとタンザの目が合う。いや、タンザには目がない。だから、目が合うこともない。それなのに、お互いを見ていた。見つけてしまった。
ゾイの眠そうな瞳が見開かれて、心底嬉しそうに歪む。医者はどこか遠くを見つめるゾイに声をかけた。
「ゾイ君? ちょっと、」
声をかけても微動だにしないゾイに焦れて、医者はゾイの肩を揺らす。ふ、と医者を見たゾイの瞳はぞっとする程に冷たかった。瞬間、医者は椅子から立ち上がろうとした。しかし、それよりもゾイのほうが早い。自身の肩を掴む医者の手を握り、机に置いてあった羽ペンをそのまま医者の手の甲に突き刺した。
ギッ、と低い悲鳴。ゾイは椅子を蹴飛ばすように立ち上がり、口を開いて叫んだ。
「うるせェなぁ!」
「ウ、きみ、」
「先生、俺、今物凄く気分が良いんです。アハ、鼻血でそう。ああ、先生。もう薬は要りません」
ようやく、見つけたので。
そう言って、医者が止めるのも聞かずにゾイは去って行った。そしてその晩、ゾイは崖から飛び降りた。その日は、ゾイの十一歳の誕生日だった。
ゾイが発見されたとき、四肢は折れ曲がって、かろうじて息だけが残っている状態だった。元々、ゾイは死なない。死なないのに、どうしてこんな人間の自殺じみた真似をしたのか、誰もが不思議に思った。
ゾイの身体は修復不可能と判断され、別の良く似た人間の身体に魂を移植されることになった。元の身体は、売り物にもならないので、サイト家の倉庫に防腐処理をして保存しておくことにした。そのことを知っているのは、サイト家の限られた者だけ。そして、ゾイもそのことをよく知っていた。だから、新しい身体になって、すぐに倉庫へと足を運んだ。逸る心を抑えきれない。目当ての物を見つけたときは、どうしようもない多幸感に包まれた。
ああ、ようやく見つけた。小さな傷は修復されているけれど、四肢を元通りにするには骨が折れるだろう。でも、そんな労力は、これからのことを考えれば苦にもならない。
ゾイはひんやりとした箱に詰まった自身と同じ姿の人間の身体を見下ろしながら、恐らくこの部屋にいるであろう魂に向かって声をかけた。
「タンザ、ようやく君が僕の穴を埋めてくれる」
◎◎
人間の残骸は、あの山に埋めた。もう、どこに何を埋めたのか忘れてしまった。でも、どうでも良いと思う。ゾイは血だらけの自身を眺めて、静かに笑う。ただ、笑っただけだった。タンザは埋め終わった穴に、スコップを刺す。そして、手ぶらで歩き出した。
「あれ、タンザ」
スコップは? そうゾイに問われても、タンザは何も答えなかった。ゾイはスコップとタンザを交互に見て、慌ててタンザの後を追う。それでも、気になって振り返って見てしまう。夜明けの眩しさが、冷たい身体を焼いていく。タンザに声をかけるのも憚れて、最後に、とゾイは振り返る。
夜明けに照れされたスコップが、まるで墓標のようだった。隣のタンザの腕に手をかける。それを、タンザは振り払わなかった。だから、ゾイはそのまま、山を下りる道を歩いた。山を下りる頃には、この心に残った甘い疼きも消えてしまうことを願う。
聞き慣れた歌が聞こえて、ゾイは口を開いた。
「その子守歌、綺麗だよねぇ」
「子守歌? 何言ってるんだ」
ゾイの台詞を一蹴して、タンザは続けた。これは子守歌じゃない。鎮魂歌だ、と。でも、ゾイにとっては同じものだった。
そう、全ては――あの山に埋めてきてしまった。
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