俺がいないと君は死んじゃうから
俺がいないと君は死んじゃうから
中学二年生
中学二年生の頃、親友の駒がいきなり”見える”人になった。あの、ほの暗い放課後の教室で、顔を突き合わせて他愛もない話をしているとき、駒は思いだしたように言ったのだ。
「俺さ、なんか見えるんだよね」と、得意げな顔で。
その頃の俺は、読書家の父と母と姉の影響で、家にある本は片っ端から読んでいて、同級生よりも少しだけ世の中の物事に詳しかった。だから、目の前の男の言いたいことも、なんとなくわかってしまったのだ。
「それってさ、」と、俺は口を開く。駒は、どこか嬉しそうだ。
「幽霊が見える、ってこと?」
「やっぱ幽霊なのかなぁ?」
「幽霊じゃないの?」
そう問うと、駒は後頭部をガリガリと掻いた。何故、人は得意げになるとき、こうして後頭部を掻くのだろう。駒は、そのまま頭の後ろで手を組んでみせる。
「いやぁ、俺、そういうのわからんからさ」
「わかんないってことは、見えてないじゃん」
「いや、見えてるの! それはマジなんだって!」
「だから何が見えてるんだっつーの」
「だからぁ、なんか、やばいやつがさぁ」見えてるんだよ、と駒は言う。
コイツの話はまるで嘘なんじゃないか、と俺は内心思いはじめていた。でも、ここで話を打ち切ってしまったとして、もし”見える”というのが本当だったとしたら、少しだけ駒が可哀想な気もした。だから、俺は少しの間だけ、駒の話に付き合ってやることにしたのだ。
「何が見えてるの?」
と、俺は質問してみる。と、駒は即座に口を開いて答えた。
「なんか、やばいやつ」
その答えに、ちょっとだけ呆れた。いや、盛大に呆れた。話にならない、というか話ができない。俺の表情をなんと読み取ったのか、慌てたように駒は続ける。
「な、なんつーの? 黒いってか、白いってか、灰色みたいな。そういう、影みたいな霧みたいな変なのが見えんだよね」
「どういうときに?」
「んー、授業のときとか。ぼーっとしてると見えることが多いかもな」
「それ……」ただ、寝ぼけてるだけなのでは。
と、言いそうになって、口を閉じた。自慢のつもりなのか、何なのか。駒は、やっぱりどこか得意げな顔をしている。俺は、じっと駒を見つめて、色々思うところもあったが、とりあえずこう言ってやった。
「それ、幽霊なんじゃね?」
「だよなー?! やっぱりー?!」
弾かれたように勢いよく駒は言う。ものすごく嬉しそうなので、俺は「うん、そうだと思う」と答えた。駒は、わざわざ椅子に座り直して「俺さぁ、前に……」と次の”見える”話をしはじめた。俺は、それに「うん」とか「なるほどなぁ」と答えてやる。楽しそうに唾を飛ばしながら喋る駒と、それに頷いている俺。ほの暗い放課後の教室の窓の向こうに、夕暮れが見える。夕陽が、駒と俺を照らして、教室の床にはたっぷりと影が落ちていた。
ふと気づけば、駒の話に頷き続けて、自然と少し俯いた姿勢になっていた。ぽつり、と何かが頭に落ちる感触がして、顔をあげる。
目が合った。
「それでさぁ、山岸がキレたじゃん、あんとき」
と、喋り続ける駒に「うん」と俺は答えた。でも、俺の目は駒を見ていない。駒の、頭上。そこに、”あれ”はいた。真っ黒な影を集めたような何か。輪郭はざわめく波打ち際のようで、覚束ない。”あれ”は、駒の頭に手をかけて、俺を見下ろすように、身を乗り出していた。おそらく、頭だろう場所だけ歪な丸のように盛り上がっている。そして、その頭の中央に、白いタンポポの綿毛のようなほわほわとした何かがあるのだ。そのタンポポの綿毛がどこを向いているかわからない筈なのに、俺を見ているのだと確信できる。つい数秒前に、目が合ったのだ。”あれ”は、ますます身を乗り出して俺に近づこうとした。タンポポの綿毛から、一粒、二粒、得体の知れない何かが、はらはらと落ちている。ああ、あれが当たったのか。"あれ"から、手のような細長い何かが伸びる。その手は、駒の首に向かって伸びていく。駒は、未だ話を続けている。だから、俺は咄嗟に手を伸ばした。
とん、と。そんな音はしないけれど、俺は駒の肩を叩いていた。駒は、ぽかんとした顔で俺を見る。だから、俺は努めて冷静に口を開いた。
「そろそろ帰ろうぜ」
そう言うと、駒は不満そうに「えー」と非難めいた声をあげた。それを無視して、俺は椅子から立ち上がる。
「だって、もう直ぐオッチャンが来るじゃんか」
「えっ、もうそんな時間? うわっ、もうこんな時間だ!」
教室にかかっている時計を見て、今度は駒が慌てて椅子から立ち上がった。床に置いてあった鞄をお互いに手に取り、教室の出入り口ともいえる扉へと歩きだす。
「まー、でも結構話したか」
と、駒は満足そうに言う。
「結構、話してた」
と、俺はいつも通りの声で言った。駒は「聞いてくれてあんがとネ」とおちゃらけて言う。駒が教室の扉を開いて、二人で教室から出て、俺が教室の扉を閉めた。廊下を見ると、駒はもう歩きはじめている。
そんな、駒の頭の上。そこには、”あれ”が大人しく座っていた。さっきよりも、だいぶ小さくなっている。それを見て、俺は「良かった」と思う。駒が振り返り俺を見て「早く行くぞ~」と呑気な声で言う。俺は、小走りで駒の隣に並んだ。
中学二年生の頃、親友の駒がいきなり”見える”人になった。そして、俺は駒と出会った小学六年生のときから。
”あれ”が駒を殺さないように付き合い続けている。
高校二年生
高校二年生の頃、駒に彼女ができた。文芸部の先輩らしかった。俺はと言えば、中学と同じ生活を続けている。つまり、駒の親友という立ち位置で過ごす学生生活だ。俺は、小学六年生になるまで、親の転勤の都合で色々な学校を転々とする羽目になった。それに対して、何か不満があるわけではない。ただ、なんとなく部活に入るのを避けてしまう。それに、相変わらず、駒には”あれ”がくっついたままだ。”あれ”は、俺がいないといけない。だから、俺には彼女ができないんだ、と文句を言う気もない。”あれ”に駒が殺されたら、寝覚めが悪いのだ。ただ、それだけの理由で、部活には入らず、駒とは親友として付き合い続けている。
「お祓いしたら良いじゃん」
と、幼馴染の奈由はあっけらかんと言った。子供の頃に転校が多かった俺の、唯一の幼馴染だ。奈由とは、中学生まで同じ学校だった。出会ったのは、多分小学一年生の頃だったように思う。こんな偶然があるのか、と言うぐらいに、引っ越し先で何度も奈由と出会った。もしかして、親同士が同じ会社なのではないか……という話を奈由ともしたが、そんなことはなかった。本当に、ただの偶然なのだ。奈由は、高校受験で私立の女子高に進んだので、学校は別々になった。それでも、家が近いのは相変わらずなので、こうして休日に奈由の部屋で話をすることもある。
「お祓い?」と、言った俺に、奈由はなんてことないように答える。
「うん、お祓い。だって、やばいやつなんでしょ?」
「お祓いってどうやんだよ」
「知らなーい。でもさ、小学……六年生の頃からってさぁ、ながーい。長すぎない? どうかと思うね」
「そんなことないだろ」
「あるね。だってさ、アンタはいつまで駒君と一緒にいるつもりなわけ?」
「なに?」
奈由は寝そべっていたベッドから起き上がり、枕を抱きしめて言う。
「駒君、彼女できたって言ってたじゃん。アンタは、駒君と会える時間が減るでしょ。そんでさ、どんどん会わなくなるじゃん。そしたら、その、なんだっけ。そのやばいやつはさ、もっとやばくなるんでしょ」
「まぁ、そうかも」
「そしたらさ、どうするの? 彼女だけじゃないかも。それこそ、アンタがさ、明日交通事故に遭う可能性だってあるんだよ」
それはそうだな、と俺は素直に思った。奈由の言うことは最もで、俺は今更考え込んでしまった。奈由は、面倒そうに続ける。
「だからさ、お祓いしたほうが良いよ。だって、どう考えても幽霊じゃん」
「幽霊、なのかねぇ……」
「あたしは見えないからわかりませーん」
そう言って、奈由はベッドから降りて、颯爽と部屋の扉を開いた。そして、大きな声で叫ぶ。
「ママ―! お茶お代わりー!!」
「自分で取りに行けよ」
「やだよぉ。今日はだらだらしたい日なの」
部屋の扉から戻ってきた奈由は、ベッドに座らずに俺の隣に座った。黒髪ボブの、黒目が大きい女だ。ふと、奈由の頭の上を見る。”あれ”はいない。当たり前だ。奈由は、俺の肩を小突きながら言う。
「ねぇ、ってかさ。その、やばいやつ? なんで、アンタのこと気に入ってるんだろうねぇ。なんかさ、理由とかないの?」
その問いに、少し、言葉に詰まった。俺が、知っていること。”あれ”が何なのか。”あれ”は、俺の言うことしか聞かない。そして、”あれ”は時折、駒を殺そうとする。そんなとき、俺が駒に触れると、”あれ”は大人しくなるのだ。だから、俺は”あれ”が駒を殺そうとするとき、駒に触れなければいけない。そのためには、親友という立ち位置が一番便利だと思ったんだった。
「知らない。覚えてない」
と、俺はいつも通りの声で言った。奈由は、ちらりと俺を見ると、少し間をおいてから「ふーん」といつも通りの声で返した。だから、バレているんだろうと思った。
その日は、奈由の家の晩御飯をご馳走になって、家に帰った。スマホを見ると、駒からメッセージが届いていた。どうやら、今日は彼女とデートだったらしい。楽しそうなメッセージだった。それを見て、俺は「良かったな」と返信をして、そのままベッドに寝転がった。
目を閉じると、視界が真っ黒になる。その中で、ぼんやりと白い輪郭を描く”あれ”が見えた。身体が真っ黒なのに、暗闇の中でも現れるらしい。”あれ”は、きょろきょろと辺りを見回して、不安そうに身体をもぞつかせる。その動作が、少しだけ可笑しかった。もぞもぞとしていた”あれ”が、ふと思いだしたように頭を抱える。いや、違う。頭を抱えているのではない。”あれ”は、頭の中央の、あの白いタンポポの綿毛を、一粒、一粒、千切っていた。はらはらと、タンポポの綿毛が落ちる。真っ暗な世界の中で、大粒の雪のように落ちていく。
だから、俺は手を伸ばした。未だ、遠い。”あれ”には届かない。だけど、手を伸ばした。俺は、いつも手を伸ばしている。すると、”あれ”が急に姿勢を正した。白い輪郭が、さざめく波打ち際のように凪いでいた。そして、”あれ”は、もう一度、白い、タンポポの綿毛を、掴み
リーーリリリリリリーーーーーーーーーー!!!!
「……」
けたたましい目覚ましの音で目が覚める。ベッドから起き上がり、昨晩はなかった筈の枕元の目覚まし時計を、渾身の力で叩いた。ぴたり、と音が止まる。その横で、スマホから慎ましやかなアラームの音が鳴っていた。俺は、目覚ましはスマホのアラーム派だ。だとしたら、何故こんな良くわからない物体が俺の部屋にあるのか、と考えて、どうせ、姉の悪戯だろうと思った。
「……はぁ」
溜息を吐くと、どっと疲れたような気がした。時計を見て、学校に行く準備をするか、と腰をあげる。パジャマを脱いで、ベッドに投げ捨てる。すると、ふわりと何かが浮かんだ。思わず、手を伸ばす。手を伸ばすと、その手のひらにぽつりと何かが落ちた。
白い、タンポポの綿毛。
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