見出し画像

【小説】IZ#20

文字数25000字ぐらいのものです。
ノリと勢いのまま、書きました。こういうゲームシナリオちっくなのって難しいな、としみじみ思ったりもしたり。

あらすじ

20XX年、世界が崩壊すると決まってから数十年が経過した。この世は、終末に向けてゆっくりと進んでいる。特別変異体と呼ばれる、人間とは異なった生物や、人の生き血を吸う赤い木の出現。そんな混沌とした世界から隔離された絶海の孤島。島の名前は『パラディス』。そこには、各所から集められた若者が至って普通の学園生活をおくっていた。そう、至って普通の。

本編

 西暦二〇XX年、世界は崩壊した。
 とある研究者が秘密裏に行っていた研究が失敗し、暴走した。その結果、地球全体を巻き込んだ大規模な崩壊が始まり、残された人類が出来たのは世界の終焉を遅らせることだけだった。つまりは、世界が終わるのは約束された未来なのだ。誰もがそれを知っていた。しかし、「まさか自分の代で」と思っていたのだろう。各首脳陣は、誰もが躍起になって、崩壊を止めるための対策を声高に論じた。その言葉の甘さに人類は酔いしれながらも、どこかで思っている。
「どうせ、この世界は終わらない」と。

 ――それから暫くして、西暦■■■■年のこと。
 世界は終焉に向かって進みながらも、かろうじて終焉を迎えていない。崩壊が始まった日から大陸図は幾度も書き直されている。それでも、未だ人間はこの世界で生きている。
 全てが曖昧だった。誰もが、生きることに夢中だった。
「イズ、起きて」
 その声がして、イズは目を開いた。視界が曖昧でぼやけてみえる。その先に、少女の姿があった。少女の瞳がぼやけているのは、泣いているからだろうか。
「イズ、死なないで」
 その声と同時に、掌に柔らかな温度を感じた。イズは頭を振ろうとしたが、首の痛みに苛まされて身動き一つとれない。背骨が抜かれたように、身体が動かない。何度か瞬きすると、視界がゆっくりと開かれる。イズの前には、一人の少女がいた。そして、少女はイズの手を握っている。その瞳には、やはり涙が零れていた。
「イズ、イズ、おねがい、しなないで……」
 その声と同時に、どこかで爆発音がする。少女が背後を見る。その首筋を眺めながら、イズはゆっくりと目を閉じた。掌に感じる温度だけが、心臓と同じように脈打っていた。

◎◎

 ふと目を覚ますと、教室だった。汚い救護室に転がされていた訳ではない。どうやら、白昼夢を見たらしい。額、瞳、頬、唇、首、肩まで触れて自身のバイタルに矛盾がないことを確認した。薄汚れて古ぼけた教室には、自分以外にも数名の少年少女が、思い思いの席に座っている。いや、最早座っていない者もいる。
「アン、報告を」
 この厳かな声は、クイチだ。片目に眼帯をした金髪の少女は、紺のブレザーを身に纏っている。常に腕組をしていて、偉そうな――実際に偉い人特有のオーラを放っている。クイチに促されて、赤毛の小柄な少女が教壇に立つ。水色のセーラー服の胸元のリボンが揺れるのを押さえて、アンは口を開いた。
「救護班01のアンです。よろしくおねがいいたします」
 そう言って、アンはぺこりと頭を下げた。アンはいつもこの挨拶から話を始める癖がある。例え、何度会っていたとしてもだ。アンは手元の書類に目を落とした。
「先週から本日までの、負傷者及び死傷者の数を申し上げます。全体で二十。その内の十六名が、プロジェクト0910の参加者です。それでは、詳細な内訳を……」
 次の瞬間、ガン! と机を蹴飛ばす音がした。音の先を見ると、青い短髪の少年が椅子にふんぞりかえって座っていた。そして、足元には倒れた机が転がっている。
「……軽傷の者から申し上げます。奇襲班03配属、ミリエット。同班配属、アンジェ。同班配属、サガミ」
「おい、アン。オレの班のことはもう良い」
 淡々と続けるアンを遮ったのは、未だにふんぞりかえったままの青い短髪の少年だった。よれたシャツに、皺だらけのスラックスをかろうじて着ているという感じだ。彼の名前はバルト。奇襲班03の班長だ。バルトは、苛立たしげに短い前髪を弄っている。
 プロジェクト0910――九月十日のプロジェクトのメインはバルトの班だった。自分の班からこれだけの被害者がでているのが、気に入らないのだろう。クイチが窘めるように、バルトを制す。
「バルト、お前は全てを把握しているかもしれないが、私達は全てを把握しているわけではない。それとも何だ? お前は、私達に隠したいとでも言うのか。自分の失態を」
「オレの所為じゃねぇ! 発端は、グズなオペレーターだ」
「時には自身を責めることも必要だ。自分の成長に必要な場だと思えば、どうということはない。そうだろう?」
「このサイコパス野郎が!」
 吐き捨てて、バルトは椅子に深く座り直す。その瞳には、怒りと、もっと複雑な感情が入り混じって見えた。コホン、と咳払いをしてアンが報告を続ける。
「続いて、重傷者を。奇襲班03配属、メグラ。同班配属、アヤセ。同班配属、ノワキ。奇襲班02配属、ナツノ。以上、四名は未だ昏睡状態です」
「あれ、ナツノはもう目が覚めたんじゃあ」
 そう言ったのは、救護班のハッカだった。緑の髪に、黒縁の眼鏡の少年だ。学生服の上に白衣を着ている。アンは書類を捲り、首を傾げた。
「そう、ですか。報告書にズレがあるのかもしれません。ナツノについては、事実確認の必要がありますね。クイチ、報告書は後程修正版を改めて配布いたします」
「ああ、そうしてくれ。報告は以上か?」
「はい、私からは以上です。ハッカ、後程お時間をいただいても?」
「ああ、勿論。ここのところ救護班は忙しかったから、報告まで手が回らなかったのかも」
 そう言って、ハッカはちらりとバルトを見た。バルトが舌打ちする。ひんやりした空気の中、クイチは淡々と会議を進める。
「では、エラン。報告を」
「は、はいっ!」
 指定されたエランは、椅子から立ち上がり、もたもたしながらも教壇に立つ。手には、乱雑にまとめた書類。焦げ茶のショートボブが乱れて、目の下には隈ができていた。
「すぅ、あ、げ、ほ、報告です。オペレーター03より、施設890の『手足』の殲滅を確認しています。だから、その、えと」
「一応、九月十日のプロジェクトは成功だった、と言いたいわけか」
 クイチの言葉に、エランは俯く。はらり、と長い前髪が表情を隠して、エランがどう思っているのかまではわからない。バルトは何かを耐えるように、自身の爪を噛んでいた。
「つ、続いて、あ、現状の、報告です。施設321より、微弱ながらも『手足』の兆候が見られます。本当に微弱、ではあります、が」
 エランの報告に、一瞬教室にいる全員が殺気立つ。全員がエランを見ている。いや、見ているようで見ていない。恐らく、誰もが自身の班や今後について思考した筈だ。つまり、次に被害を被るのは自身なのか、と。誰もがクイチの言葉を待つ。クイチは「ふむ」と呟いて、口を開いた。
「鉄は熱い内に打て、だったか? 放っておいても良いことはなさそうだが、どうだ? エラン」
「確定とは言えませんが、放っておいても良いことはないと思います。これまでの、経験、ですが。ただ、」
 そう言って、エランはバルトを一瞥する。そして、恐る恐る続けた。
「現時点では、情報が少なすぎて、闇雲に、その、しても、ただ被害者が増えるだけ、の、可能性も」
「被害を恐れていては何もできない。必要な犠牲だったと割り切るべきだ」
「だったら、テメェの班でやりゃあ良いだろうが」
 バルトがクイチに食ってかかる。それを誰も止めない。教室にいるほぼ全員が、冷ややかな目で二人を眺めていた。ただ、エランだけが困ったように忙しなく手を動かす。
「バルト、しつこいぞ。私の班には私の班なりの仕事がある。個々が為さねばならない仕事を遂行していけば、結果は自ずと出る筈だ」
「つまり、オレの班が為さねばならない仕事を遂行してなかったって言いてぇのか?」
「そんなことは言っていない。必要な犠牲だった、と言っただろう? お前の班は為さねばならない仕事を遂行した。だから、プロジェクト0910は成功した」
「このっ!」
 椅子を蹴飛ばすように立ち上がったバルトが、クイチの胸元を掴む。しかし、クイチは微動だにせず、バルトの燃え盛る視線を真正面から受け止めた。怯む様子一つ見せない。
「ふざけるな! グズなオペレーターがマトモに情報を寄越してりゃあ、もっと被害は少なくできた!」
「それは、今後の改善点だ」
「メグラもアヤセもノワキも未だ目が覚めねぇ! 軽傷の奴等も心が折れかけてる! 全部、お前が大好きな『情報統制』の所為だ! クイチ!」
「……情報統制は必要なことだ。必要な場所に、必要な分だけ伝えなければ、物理的な統制もとれない。バルト、お前は私が謝れば満足なのか?」
「クッ、ソ野郎!」
 バルトが握り締めた拳を振り上げる。そこに割って入ったのはエランだった。
「落ち着いてください! バルトさん、私から謝罪させてください。オペレーターの不手際は、私のミスです。いいえ、そんな言葉じゃ足りないのもわかっています。でも、でも、」
 エランの語尾が震えて、伏せた瞳からぽつりと涙が落ちる。クイチは涼しげな顔で言う。
「エラン、お前の所為ではない。だから泣くな」
「いえ、いえ、違うんです! でも、やめてください。ごめんなさい、ごめんなさい、メグラさんにも、皆さんにも、申し訳なくって……」
 その言葉の合間にも、エランの瞳から大粒の涙が溢れては教壇に落ちる。殴るタイミングを逸したバルトは、バツが悪そうに視線を逸らした。そして、舌打ちをすると、突き飛ばすようにクイチから離れ、空いた椅子に座り直した。ガシガシと頭を掻き毟る。
 クイチはそんなバルトを一瞥し、シャツの胸元の乱れを直しながら言った。
「エラン、報告を続けてくれ」
 クイチの声に、エランは何度も頷きながらも、それでも『手足』の報告に戻るには多少の時間を要した。

◎◎

 ひびの入ったピンクのマグカップは、エランのお気に入りだ。もう、ずっと前から使っている。塗装も剥げているのに、使い続けているのはお気に入りだからなのか、それとも代わりがないからなのか。
 ピンクのマグカップにたゆたうミルクティーの湖を眺めながら、ぽつりとエランが呟く。
「ごめんね、イズ」と。
 自分とエランは学校の校庭にあるベンチに並んで座っていた。校庭と言っても、今ではただの荒れた大地だ。砂漠の真ん中で、二人はミルクティーを飲んでいる。
「私、すぐ泣いちゃう。もっと強くならなきゃ、って思うんだけど」
 そう言いながらも、既にエランの瞳には薄い膜が張り始めていた。少し考えてから、口を開く。
「シンクロニティ、って言うんだっけか。でも、その値が高いほうがオペレーターとして優秀なんだろ?」
「うん、そう。そうなんだけど、でも、ううん。だから、ああいう場所は苦手なの」
「ああいう場所?」
「たくさんの人がいて、皆が私を見てる。そうすると、皆の気持ちが見えちゃって、悲しくなったり、怖くなったりする。今日のバルトさんも、そう。怒ってるんじゃなくて、悲しんでるだけなんだって思ったら」
「あれ、悲しんでたのか?」
「そうだよ。凄く凄く悲しんでた。でも、バルトさんは強い人だから、そういう姿を見せちゃダメだって思ってる、んだと思う。最近、そういうことに気づくようになっちゃった。だから、余計に、なのかな」
 そう言って、エランはそっとマグカップに口を寄せた。それに倣って、自身も手元のコップに口を寄せる。エランはミルクティー。自分は、ただのブラックコーヒーだ。苦味が口内に広がる。
「実際、オペレーターのミスだったのか?」
 問うと、エランは困ったように首を振った。
「正直言うと、わからない。私たちに出来るのは、『手足』の存在を確認することだけ。それ以上のことは、実際に行ってみないとわからないから。だから、」
「いつも、探索班や奇襲班が被害に合う」
 そう言うと、エランはこくりと頷く。そして、深く溜息を吐いた。
「私たちは、ただ見守ることしかできない。皆のカメラから。でも、最近、どんどん強くなってるの」
「『手足』が?」
「ううん、調子が良すぎるのかな。皆の気持ちとかが、カメラ越しでも伝わってきて……」
 うっ、とエランが口元を押さえる。慌てて、エランの肩に触れる。ゆっくりと擦ってやると、エランは何度も頷いて、そっと手を口から離した。
「、でも、辛いのは皆、そう。クイチさんも」
「あの冷血漢のサイコパスが?」
 あくまで軽く言うと、エランはぽかんとした後、ふっと笑った。ひび割れた唇が笑みを描く。
「あは、イズまでそう思ってるの?」
「まさか。俺達は、彼女に生かされてる。そう思ってるよ」
「……そう。正しいね。イズは、いつも正しい」
「褒めてる?」
「うん、凄いなって思う。私は迷ってばかりだから」
「そんなことない。エランも立派だ、と俺は思うけど」
「そう、なのかな。でも、そうなのかも。イズが言うなら、そうなのかもね。あは、私、立派かぁ」
 赤い目元のまま、エランは笑う。小柄な身体は細く、今にも折れてしまいそうだ。でも、血色が悪いわけではない。エランの身体には、未だ血が通っている。

 ――西暦■■■■年、各地で燃えるように赤い木の存在が確認された。枯れ木のような見た目のそれは、ただの木ではない。木には、血が流れていた。植物学者は匙を投げ、出した結論は『ただの特別変異体』。しかし、その結論に異を唱える者は誰もいなかった。何故なら、『ただの特別変異体』が普通に蔓延る世界になってしまっていたからだ。
 赤い木が『ただの特別変異体』ではなく『人類への脅威』になるのに、そう時間はかからなかった。
 ある日、たった数時間で三桁の数の人間が死亡した。死因は、貧血。そう表現するしかなかった。まさか、吸血鬼の存在だけは未だこの世界にはなかった。しかし、三桁の数の人間全員が、血を吸い取られ乾涸びて死んでしまったのだ。被害者全員が同じ町に住んでいたこともあり、はじめは流行り病だと思われていた。誰もが、赤い木の存在を忘れていた。
 それは、偶然だったと言われている。流行り病であれば、情報公開も遅れる。だから、まさか自分の町がそんな凄惨な状況になっていることも知らない男が、散歩帰りに脈打つ赤い木を発見したのだ。男はカメラを持っていたので、珍しいものを見たという土産話のために木を撮影していた。そして、数刻後に凄惨な現場を見て、赤い木の存在を思い出した。
 赤い木に通った血には、無数のDNAが混在していた。そして、その中の一つには、生き残った男と酷似した物もあった。つまりは、男の家族。その事実は、男には伏せられている。いや、現場を目の当たりにした男は直ぐに精神を病み、数年後に自殺してしまったので、教えることもできなかった。
 関係者が赤い木を確認したときには、もう赤い木は枯れ木のような姿ではなかった。
 まるで宙を掴む手。地面から、足のように根が這いでて、どくどくと脈打つ皮。
 それから、赤い木は『手足』と呼ばれ、見つかり次第、処分されるようになった。勿論、この事実を知る人間は限られている。兎に角、知られないように。
 だから、表の世界の人間は知らない。『手足』を処分するために、どれだけの人間が死んでいるのか。そして、そのために、どれだけの人間が人間ではなく『ただの特殊変異体』になっているのか。

◎◎

 楽園、パラディス。それが、この島の本当の名前だ。
 昔はそうだった、と言っても過言ではない。金を持て余した奴等が創りあげた人工の楽園。そうなる筈だった。しかし、計画は最終段階で頓挫。理由は、そのタイミングで世界の崩壊がはじまってしまったからだ。だから、パラディスの存在は公になっていない。
 でも、ただそれだけだ。創りあげるだけ創りあげて、発表の機会を失っただけに過ぎない。だから、パラディスには数多くの施設と資源が存在する。生きるのに必要な施設と、生きるのに必要ではない施設。どちらも、数多くある。その内の一つが、この学校だ。しかし、今は生きるのに必要な施設となっている。
 午後五時。クイチに呼び出され、校長室に向かう。
「イズ、これを」
 そう言って、クイチは書類が詰まった封筒を机に放り投げた。クイチから校長室に呼び出されるとき、それは大体がロクな話ではない。
「これは?」
 封筒から書類をとりだす。一枚目には『施設321の概要』と書かれていた。今朝、エランが言っていた場所だ。施設321で微弱な『手足』の反応があった、と。
「……俺に行けって?」
「わかった。率直に言おう。本来であれば、探索班01に行かせるつもりだった」
「探索01って、ナルのところか」
 相変わらずクイチは腕を組みながらも、珍しく難しそうな顔をしていた。探索班01の隊長はナル・スレイ。背の高い、偏屈な男だ。しかし、そういえばここ数日見ていない。今朝行われた班長会議にも参加していなかった。
「ナルが消えた、と言ったらどう思う?」
「逃げた、ってことか?」
「いいや、そうではない。消失したんだ」
「消失?」
 物騒な言葉だ。手元の書類に目を落とす。その間にも、クイチは言葉を続ける。
「エランに探ってもらった。今のところ、彼女が一番頼りになるからな。しかし、エランでも存在を確認できなかった。昨日までいたというのに、だ」
 クイチの台詞に、エランの隈を思い出した。恐らく、一晩中、ナルを探していたのだろう。道理で眠そうだったわけだ。
「ナルがいなくなって、『手足』の反応があった?」
 そう言うと、クイチはようやく少しだけ表情を緩めた。
「話が早くて助かる」
「施設321の『手足』は、今朝の情報ってことか」
「その通りだ。反応は微弱だが、優先度が高い。少なくとも、私の中では」
 眼帯で隠れた瞳を撫でて、クイチは続ける。
「私達の絆は堅いようで脆い。班長を失った探索班など、烏合の衆でしかない。しかし、0910のことがあった以上、悪戯に犠牲は増やせない」
「それで、俺に白羽の矢がたった、と」
「そういうことだ。お前の班は人数が少ないからな」
「ハッキリ言うなぁ。こう見えても、一応班なんだからさ」
 つまりは、被害は最小限にしたい。だから、班員の人数が少ない俺の班に頼みたい。そういうことだ。
 クイチは、俺の反応に喉の奥で笑った。
「イズ、お前はいつも話が早い。ただ、少しだけ、」
 少し間を置いて、クイチは組んだ腕を解いた。そして、ゆっくりとソファにもたれかかる。
「バルトのような奴のほうが、私は得意だ。エランも、そうだな。いや、大体がそうだ。お前と話していると、機械と話しているような気になる」
「何だよ、それ」
「褒めているつもりだ。ただ、少しだけ。そうだな、物足りなさを感じる」
「……完璧な人間なんて、クイチぐらいだよ」
 そう言うと、クイチはゆっくりと目を閉じた。真っ赤な瞳が白い瞼に覆われる。赤い唇が静かに開いた。
「話は終わりだ。日にちはお前に任せる。ただ、迅速に対応してくれ」
「そうか。じゃあ、お先に」
 書類を手に立ち上がっても、クイチは目を閉じたままだった。そっと部屋の電気のスイッチに手をかける。すると、クイチの声がした。
「ああ、電気は消さないでくれ」
「え、ああ」慌てて、スイッチから手を離す。
「明るくないと眠れないんだ。どうだ、可愛いところもあるだろう?」
「自分で言わなきゃ、もっとな」
 クイチの笑い声を背後に、校長室を出る。と、直ぐ近くにバルトが立っていた。しかし、こちらを一瞥するだけで何も言わない。だから、そのままバルトを無視して廊下を歩いた。
 班毎に教室は分けられていて、自分の班の教室は五階にある。言ってしまえば、班長がその教室の担任みたいなものなのだ。
「おい、イズ」
 バルトの前を通り過ぎる瞬間、声をかけられた。立ち止まり、振り返る。バルトはポケットに手を入れたまま、どこか遠くを見たまま口を開く。
「どうせ、あの女に命令されたんだろ。止めといたほうが良いぜ」
「何か知ってるのか?」
「いいや。でもな、オレは今回の件で懲りた。アイツの言うことは、全てが正しい訳じゃないってな」
 それだけだ、とバルトは俯く。そして、そのまま背を向けて歩き出す。その先には、バルトの班の教室がある。しかし、バルトの班員のほとんどは救護室にいる。人の減った教室で、バルトは何を思うのだろう。動く気にもなれず、バルトの背中を見守る。すると、ふとバルトは立ち止まって声をあげた。
「あと、エランに、悪いって言っておいてくれ」
「あ、ああ?」
「それと、何か適当に感謝しとけ」
「え、俺が? それは、バルトが言ったほうが」
「オレの代理でだよ!」
 吐き捨てて、今度こそバルトは早足で去っていった。ぽかんと呆けた後に、何故か笑ってしまった。

◎◎

 ――深夜零時。丑三つ時には未だ早い時間に、市街地に立っているのは、恐らく自分達ぐらいだ。
「イズさん、全員揃いました」
 そう声をかけてきたのは、レオン。特別班01の副班長だ。長い黒い前髪を横に流しているのは変わらないが、今はベージュのブレザーではなく黒いジャケットを着ていた。
 特別班01の班員は、他の班と比較して少人数だ。副班長のレオンと、あとは二人しかいない。その内の一人、赤いポニーテールの少女が手を挙げて笑う。
「はーい、ここにいますっ!」
 彼女の名前はアカネ。アカネも、ベージュのブレザーではなく黒いジャケットを着ていた。靴も普段の革靴ではなく、エンジニアブーツに履き変えている。アカネの隣に並んだ白髪のショートカットの少女も、アカネに倣ってささやかに手を挙げる。
「はぁい、わたしもいます」
 擦れた声にも、もう慣れてしまった。彼女の名前はシラヌイ。黒いジャケットからはみでた黒いパーカーは、シラヌイのトレードマークだ。シラヌイは普段も黒いパーカーを着ている。
 以上。特別班01は、自分、レオン、アカネ、シラヌイの計四名で成り立っている。
「作戦内容は?」と、レオンに問う。
「ええ、既に伝達済みです」
「警戒度も?」
「はい」
「今回は、個々じゃなく全体で動く。それも?」
「勿論です、イズさん」
 つらつらと答えるレオンは少し得意げだ。有能すぎる参謀を持つと、何もすることがない。アカネはシラヌイに抱きついたり、キョロキョロと辺りを見回したりと忙しない。一方、シラヌイはアカネを気にせずに自身の準備をしていた。
 特別班01は、所謂特殊部隊にあたる。と、言いたいところだが、実際は大義名分にもならない小さな事件を解決することを主任務としている。だから、人数も少ない。
 基本的に、班の区分け数字は数が小さい程、裁量権も発言力も高い。組織が大きくなると、そうせざるを得ないのだ。
 しかし、特別班だけは正に特別だ。01しか存在しない。そして、これから増えることもないだろう。ただ、規定に則り、数字をつけているだけなのだ。
「そろそろ、行くか」
 そう言うと、三人がこちらを見た。三人の表情は、それぞれだ。しかし、それで良い。自分が把握できる人数は、これが限度だと思っている。
「改めて言いますが、今回の作戦で重要なのは『静かに行う』ということです。なるべく戦闘は避け、あくまで状況確認に努めること。皆さん、イズさんの手を煩わせないように」
 さっとレオンが続ける。それに、アカネは右手を挙げて応える。シラヌイも、そっと右手を掲げる。それを確認して、足を踏み出す。目的地は施設321。老朽化したデパートだ。
 三人の足音が、後方から聞こえる。規則正しく、下手をしたら一人だと思えてしまう正確さ。まるで、軍隊のように。いや、軍隊と同じだ。でも、全員が普段は学生の姿をしている。ふと、振り返って三人の表情を見たくなった。しかし、そうはしない。それが、班長の務めだからだ。
 老朽化したデパートまで、そう時間はかからない。デパートの入口を目の前にして、ようやく足を止めて振り返った。
 シラヌイに視線をやると、小さく頷いて持っていたアタッシュケースを開いた。アタッシュケースの中は、良くわからない機械で埋まっている。こういうときのシラヌイの動きは素早い。入口の鍵にガムのような物体を貼り付け、機械を弄る。
「イズさん、鍵はかかってないです」
 と、シラヌイは小声で言った。それと同時に、アカネが入口を開いた。むわ、と篭っていた血の臭いが一気に解放される。レオンは苦い顔をしながらも、そのままデパート内へ侵入した。アカネが後に続き、シラヌイもアタッシュケースを手に続く。そして、一番最後に周囲を伺いながらも、自分もデパートに入る。勿論、入口を閉めるのも忘れずに。
 デパート内は、しんとしていた。しかし、血と腐臭が酷い。レオンはポケットからハンカチを取り出し、マスクのように巻いた。人一倍、嗅覚が敏感だからだろう。ポケットから無線イヤホンを取り出し、耳につける。雑音の後、誰かの呼吸音が聞こえた。
「エラン、状況は?」
 そう言うと、耳元でエランの声が響く。
『あっ、イズ。繋がってるよね?』
「もちろん、どこに向かえば良い?」
『ちょっと待ってね、あ、でも』
「イズさん、EGO確認!」
 その声と同時に、アカネは走り出していた。向かった先は、デパートの一階、開かれた催事場の奥。確かに、EGOの気配を感じる。
『もう少し、上かも』と言うエランの声を無視して、アカネを全員で追う。走りながら、レオンが呟く。
「なるべく、は難しそうですね。イズさん」
「まぁ、なるべくな。よろしく」
 レオンは頷き、一層速度を上げた。
 催事場の中央へ辿り着くという頃に、シラヌイがぱっと立ち止まった。そして、アタッシュケースを開く。躊躇せず、その内の一つを宙へ放った。
 カッ、と辺りが真っ白に光る。閃光弾だ。一瞬だけの明かり。しかし、それだけで充分だった。
 アカネが何かの頭部を蹴り飛ばすのを視界におさめながら、宙を見る。催事場の天井に張り付いた、黒い影。アメーバのようにぐもぐも動いて、どろりと唾液とも血液とも似つかない液体を垂れ流している。
 ――EGO。それは『手足』の確認と同時に発生した『特殊変異体』の一種だ。解剖の結果、『手足』と同様に無数のDNAが混在していることが確認された。勿論、人間の遺伝子も残されている。これまでの研究の結果、EGOについては二つの事実が確認されている。
 一つは、元は人間であること。二つ、長い潜伏期間を経て、人間はEGOへ変化するということ。つまり、人間であれば誰でもEGOに成り得るということだ。
「打ち落とせますかね?」
 そう言いながらも、レオンは既に銃を構えている。脳にびり、と電流が走る。アメーバ型のEGOの触手は、一、二、三、四。四本の触手だけで天井に張りついている。それを確認して、レオンへ言う。
「端を狙え。四本だ」
「かしこまりました」
 その通り、レオンは四回だけ発砲した。自分はシラヌイを抱えて、催事場の端へと駆ける。血だらけのアカネと合流するのと同時に、何かが落ちる音がした。EGOが床に落ちてもがいている。EGOは多少のことでは死なない。そもそも、死という概念があるのだろうか。
「アレ、大分イッちゃってますね」
 と、アカネは頬の血を拭いながら言った。研究者によると、現段階のEGOと『手足』の相互作用、関係性については「恐らく」という仮定に留まっているらしい。呑気な話だ。既に、何人もの人間がEGOによって死んでいる。人間はEGOになると、所謂正気を失う。そもそも、意識があるのかさえ不明だ。EGOを幾ら解剖しても、情報が多すぎて解析が追いつかないという噂も聞いた。
 しかし、『手足』が発生する場所には、必ずと言って良い程にEGOが現れる。自分達にとっては、それが全てだ。現場の声は、須らく上層部には届かない。
「あぁ、イズさぁん」
 シラヌイの呑気な声で、ふと現実に引き戻される。
「あの、EGO。もう無理かもですねぇ」
「、ああ、そうかもな」
 そんな会話をしていると、EGOを一応仕留めたレオンが戻ってくる。レオンは長い前髪を鬱陶しげにかきあげて、口を開いた。
「お待たせしました。さあ、行きましょう」
「ねぇ、イズさん! どこまで行けば良いの?」
「エランは、もう少し上だってさ」
 右目に入れたコンタクトを通じて、エランにはこの場が見えるようになっている。何かあれば、イヤホン越しに教えてくれるだろう。シラヌイがげんなりして言う。
「階段のぼるの……しんどいでぇす」
「じゃあ、私がおぶってあげよっか?」
「いいえ、遠慮します……。アカネちゃん、動くのが速くって、酔いますので」
「チェッ、ざんねん!」
 アカネとシラヌイの軽口を聞きながら、全員で催事場を出る。その前に、ふと振り返る。咽返るような血の香りの中、疼いて堪らない。でも、今はそのときじゃない。そう思いながらも、口内の乾きが止まらないのは何故だろう。
「イズさん、どうしました?」
 立ち止まった自分に、レオンが声をかける。それに首を振って、歩き出す。あの、アメーバには微かに遺伝子が残っていた。そう、人間の遺伝子が。でも、知っている遺伝子ではない。それだけが、ささやかな救いだった。

 ……。
 …………。

「このデパート、何階まであるんだ?」
『え、っとね。資料には、九階建てって書いてある。でも、六階からは駐車場になってるから、実際は五階までがお店みたいだね』
 エランの声の後ろで、書類を漁る音がする。
「屋上は?」
『簡易的な遊園地を造る予定だったみたい。観覧車の建設で止まってるけど、今はどうだろう?』
「俺の班には飛べる奴はいないしなぁ」
『……ナツノさん、意識は戻ったみたい。でも、未だ動ける状態じゃないってハッカさんが言ってたよ』
「……」
 貴重な人材が、と言いかけて止める。エランは、素直にナツノの身を案じているのだ。一階の催事場以来、EGOの姿は見当たらない。しかし、階を上がれば上がる程、頬に触れる温度が低くなっていくのも事実だった。
「『手足』は、微弱な反応でしたか。ここまでEGOがいないということは、若芽なのかもしれませんね」
 レオンの囁きに、アカネは不満そうに言う。
「じゃあ、来た意味ないじゃん? 『手足』の殺し方ってわかんないし。ていうか、アレに若いとか若くないとかあるの? 人間みた~い」
「ロクに授業を聞いていない奴にわざわざ教えてやることほど無駄な時間はない、と前置きした上で。アカネ、人間じゃなくても、動物にも植物にも、幼少期はあるでしょうが」
「ふぅん。ま、確かに赤ん坊のほうが殺しやすいもんね。抵抗できないし。ただ、良心は咎めるけど」
「良心、かぁ。アカネちゃんにもそんなのあったんだね」
 シラヌイの率直な評価に、アカネは「うっ」と詰まった声をだす。ふと、耳元で小さく笑う声が響いた。
『ふふ、仲が良いんだね』
「EGOが少ないからさ。普段はこうもいかない」
『うん、そうだよね。でも、良いなぁ。何だか、懐かしくって』
「懐かしい?」
『あ、ううん。何でもな、あっ! 待って!』
 エランの大きな声に、思わず立ち止まる。丁度、五階へ続く階段を上りきったところだった。こちらを見る三人を、手で制止の合図を送る。
『直ぐ、ううん、直ぐじゃない。そこを左に曲がって、真っ直ぐ行ったところに、反応がある』
「『手足』の?」
『……わからない。でも、違うと思う。信号が少し違うから』
 そう言って、エランは黙りこくる。三人をその場に留めて、ゆっくりと壁越しに先を覗いた。まるで、廊下のような道が続いている。一階の催事場と同じような造りなのかもしれない。開けた空間に店が並んでいる訳ではなさそうだ。
「エラン、五階は元々何だったんだ?」
『ええと、従業員用のフロアみたい。休憩室とか、食堂とか』
「反応があった部屋の名前は?」
『救護室って書いてある。あの、イズ』
 エランがおずおずと続ける。
『お願い、無理はしないで。何かあったら、直ぐに戻ってきてね』
「わかった。今のところ、EGOの臭いはしない。真っ直ぐに部屋に向かう」
『うん、』
「レオン、アカネ、シラヌイ。このまま、廊下を突っ切って、最奥の部屋に向かう。それ以外の部屋には入るな。良いな?」
 三人は、指示に一様に頷く。壁から手を離し、先陣をきって駆け出す。反応のあった部屋まで、そう遠くはない。エランの言う通り、廊下には一定の距離を保って扉が配置されていた。扉の上には、小さな看板がかけられている。腐食していて文字までは読めない。
 ――■憩■
 ――食■■
 ――■■■■
 そして、四つ目の部屋の横を通り過ぎようとしたとき。
「EGO?!」
 間近で、血の香りがした。瞬間、扉の隙間から一斉に血が吹き出す。思わず手で目を庇う。血の勢いで、扉がガタガタと震えている。今にも、弾けそうだ。
「イズさん!」
 レオンが足を止めそうになるのを見て、咄嗟に叫ぶ。
「足を止めるな! 走れ!」
「シラヌイ、手!」
「はわ、わわ……」
 アカネがシラヌイの手を引き、そのまま肩に抱え上げた。アタッシュケースが宙を舞う。レオンが手を伸ばし、アタッシュケースを回収する。直後、背後で盛大に破裂音がした。
「振り返るな! このまま行く!」
「はい!」
「あわ、目が、回るぅ」
「イズさん、蹴破りますよ!」
 既に、目の前には目的地が迫っていた。背後から、濁流の音がする。血液型EGOなんてのは、聞いたことがない。確認したい気もするが、時間がなさすぎる。アカネに「蹴破れ」と指示するために口を開く。
 そのとき、耳元でエランの声がした。
『待って、イズ!』
 ――しかし、もう遅かった。
 アカネが目の前の扉を蹴破る。真っ暗な部屋に逃げるように転がり込み、即座に扉を閉める。手元に鈍い重みを感じるも、血は入ってこなかった。ただ、扉の隙間からじわりと血が滲む。そこで、ようやく室内を見るために振り返った。
「……」
 部屋は暗く、静かだった。元は、救護室だっただけあって、薬の残り香を感じる。
 本来ならベッドを区切っていたであろうパーテーションは、ズタズタに切り裂かれ、床に散らばっていた。腐食したベッドは、既に元の色を保っていない。そして、部屋の中央。
 そこには、一人の人間が蹲っていた。背中まである紫の髪。ダークグレーのブレザー。長い手足を持て余すように、忙しなく床を撫でている。その姿に、覚えがある。一歩、足を踏み出す。
「ナ、」
『イズ、離れて!!』
 エランの悲鳴がした。

◎◎

 ――同日、午前零時。学校の校長室には、未だ明かりが点いていた。カチ、カチ、と時計の秒針の音だけが響く部屋。その中で、クイチはパソコンの画面をぼうっと眺めていた。
「……クイチ様、遅くまで熱心ですね」
「アンか?」
「はい」
 突然の来訪者に驚く様子も見せず、クイチは画面を眺めたままだ。アンはそっと後ろ手で扉を閉め、クイチに見える位置へと移動した。手には、書類の束を持っていた。
「ノックもせずに入ってしまい、申し訳ありません」
「問題ない。何の用だ?」
「報告書の修正版を。もう、明日になってしまいましたが」
 アンの言葉に、ようやくクイチは顔を上げた。真っ直ぐに伸びた金の長髪に、傷一つない真っ白な肌。まるで彫刻のように美しい相貌を彩る、真紅の瞳。その瞳に見つめられて、アンの頬が紅潮する。
「遅くまでご苦労だったな」
「いいえ、そんな。私は、与えられた仕事を全うするだけです」
「それなら『クイチ様』は止めろ。と、言っても聞かないか」
「ええ、公の場では呼び捨てにしていますから。二人のときは良いでしょう?」
 アンは頬の紅潮を抑えながら、クイチに書類を手渡す。クイチは書類をパラパラと捲り、一枚のページをじっくりと眺めてから机に置いた。
「ナツノは、もう無理そうか」
「……ナツノのバイタル、血圧は正常。記憶の欠落、改竄、修正も無し。貧血の症状もありません。ただ」
「老化の兆候が見られるな」
「……」
 クイチはパソコンの画面に視線を移しながらも、難しい顔をしてみせた。恐らく、今この瞬間にもクイチの脳内は恐ろしい程の速度で回転しているのだろう、とアンは思う。クイチは続けてアンに問う。
「もって、どれぐらいだと診る?」
「一ヶ月、でしょうか。それでも、常に抑制剤を与えなければいけません。今も、点滴がなければ喋ることも出来ない状態です。恐らく、ナツノも自身の変化に気づいているでしょう。優秀な方、ですから」
「ナツノの意識が戻ったことを知っているのは、誰だ?」
「全救護班と、オペレーター班01のみです」
「ハルノは知っているのか?」
 ハルノは、ナツノが所属している奇襲班02の班長だ。そして、ナツノの実の姉でもある。アンはクイチの問いに首を横に振った。
「ハルノは、知りません。正確に言えば、覚えていないと言ったほうが正しいかもしれませんが」
「そうか、そうだな」
 そう言って、クイチは背もたれに身体を預ける。それでも、視線はパソコンの画面から外さない。
「ハルノの状態はどうなんだ」
「定期的に健康診断を実施しています。今のところ、問題はありません。とはいえ、記憶の改竄だけは治りませんが」
「あれは元々だろう。恐らくな」
「そうなのですか?」
「昔から、そうだった。そんな気がしてならない。それでも、大分マシになった方だ」
「性格、のほうが面倒ですね。病気なら治せるのですが」
 面倒そうに肩を竦めるアンに、クイチは失笑してみせた。
「精神疾患にすれば良い。そうすれば、隔離施設行きだ。最も、隔離施設は此処だがな」
「はぁ、そうですね。本当に、立派な隔離施設です。それはそうと、クイチ様?」
「何だ?」
「こんな深夜に、何をそんなに夢中でご覧になられているのですか?」
 アンの視線は、パソコンを指している。それにクイチは笑いながら、アンを手招きしてみせた。首を傾げながら、アンはクイチの横へと進む。そして、パソコンの画面を覗き込んだ。
 そこに映っていたのは、オペレーター室だった。学校のパソコン室を、オペレーター用に改装した教室だ。壁一面にモニターが飾られている。そして、深夜だというのに、一人の少女が座っていた。
「エラン、でしょうか」
「ああ、今夜は特別班01が施設321を調査しに行っている」
「特別班01というと、イズの班ですね?」
「そうだ。甲斐甲斐しいことだな。本来、オペレーターは全ての班の全ての任務を監視する必要はないんだが」
 そう言って、クイチは目を伏せる。
「私に直談判してきたんだ。イズの監視をさせて欲しいとな」
「許されたのですか?」
「許可しない理由がない。それに、エランはイズの監視をすればする程、シンクロの値が上がっている。そうだな?」
「それはそうですが」
 珍しく、アンは納得いかないようだ。一救護班の班長として、理由のない労働は無視できないのだろう。何しろ、誰かが倒れたら困るのは救護班なのだから。クイチはパソコンの画面を眺めながら、頬を緩める。
「あの二人は、特別な絆で繋がっている。私はそう思う。そして、二人の絆が強くなればなる程、何か新しいことが起こる。どう思う? アン」
「それは、リスクを冒してまで行うことなのでしょうか?」
「今更だな。リスクを考えて動くには、もう遅すぎる。私、いや、私達は歩みを止める訳にはいかない。例え、行く手に何かしらのリスクがあったとしても」
「クイチ様……」
 アンは、パソコンの画面ではなくクイチを見る。彫像のような完璧な横顔に、思わず息を飲んでしまう。クイチとアンの体格に、そこまで差はない。しかし、目の前にしたときの圧倒的な存在感の差は何なのだろうか。何が違い、何が同じなのか。
(ああ、クイチ様)と、アンは心の中で思う。
(あなたを、あなたを解剖したい。あなたの中身がどうなっているのか。わたしと、あなたは何が違うのか。そして、他の人と何が違うのか。その、美しい顔の中には、何があるのか――)
 と、妄想してハッとする。はしたないことを考えてしまった、とアンは自分を叱責した。どくどくと脈打つ心臓を押さえながらも、姿勢を正す。
「アン」
「はいっ!」
 名前を呼ばれて、アンは飛び上がる。しかし、クイチはアンを見ていなかった。食い入るようにパソコンの画面を見ている。それに安堵しながらも、アンもパソコンの画面に視線をやった。
「奇襲班を叩き起こせ」
 パソコンの画面の、更に奥。モニターに映った画像に、アンは息を飲んだ。そして、即座に踵を返し、校長室を出て学生寮へと向かった。
 しん、とした校長室で、クイチはパソコンの画面にそっと指を当てる。冷たい温度に、昔のことを思い出す。まるで走馬灯のように、浮かんでは消えていく。
「ナル、お前も」
 ――大人になってしまうのか。
 その声は、静かに落ちて霧散した。

◎◎

「イズ、逃げて!」
 マイク越しにエランは叫ぶ。しかし、モニターの画面は変わらない。イズが動いていないという証拠だ。
 部屋の中央にいたのは、ナル・スレイ。探索班01の班長だ。長い髪の所為で表情はわからない。イズの視界が揺れる。
 次の瞬間、ナルの足元から一筋の赤い光が走った。そう、閃光だった。
『あ、』
 と、声がした。聞き慣れた声の筈なのに、聞いたことのない声。直後、画面に映ったのは、木の枝のように細い触手だった。そして、その真っ赤な触手は、シラヌイの腹を突き破っていた。どろ、と血が溢れる。
『う、ゴフ!』
 シラヌイの口から血が噴き出る。咄嗟に動いたのは、アカネだった。シラヌイの腹に突き刺さった触手を素手で両断する。ブチ、と鈍い音がして、簡単に触手は千切れた。
『シラヌイ!』
 倒れこむシラヌイを、アカネが抱きかかえる。思わず、エランは口を押さえた。胃の中のものが逆流しそうだ。イズの感情が揺さぶられているのを感じる。
「イズ、逃げて。お願い、逃げて、はやく」
 しかし、イズにはエランの声が届いていないようだった。視界が揺れて、レオンが映し出される。レオンは既に銃をナルに構えていた。しかし、ナルは微動だにしない。ナルの足元から、触手が生えて、辺りを伺うように床を舐める。一、二、三、いや、数える暇もない。
 銃声が鳴る。レオンの銃だ。触手が弾け飛び、そこら中に血を撒き散らす。それでも、何の効果もない。
『シラヌイ、シラヌイ、ねぇ、大丈夫?!』
 アカネの、シラヌイに呼びかける声がする。しかし、シラヌイの声はない。視界が反転して、シラヌイとアカネが見える。シラヌイの腹部に刺さった触手がびくりびくりと脈打っている。目の前にアカネが迫ったと思うと、直ぐに離れてしまった。イズが突き飛ばしたのだろうか。そして、シラヌイの顔が映る。
『シラヌイ、意識はあるな?!』
 イズの声だ。
『あ、イ、あ』
 シラヌイの瞳は、確かにこちらを見ていた。エランは自分の右手が熱を持っていることに気づき、思わず手を払った。何もないのに、じくじくと焼けるように熱い。掌が脈打っている。この温度を、エランは知っている。きっと、イズもそうだ。
 シラヌイから、激しく血が飛ぶ。触手を抜いたのだろう。べたり、とモニターに血がついた。シラヌイの血なのか、触手の血なのか、もうわからない。
『イズさん!』
 アカネが飛び掛ってくる。それを制して、イズはぽっかりと腹の空いた状態のシラヌイに自分のジャケットを掛けて隠す。未だ、息はしている。
『アカネ、抑制剤を』
『よっ、あ?!』
『緊急用に持ってるだろ! シラヌイに打て! 早く!』
『あっ、あ、はいっ!』
 動揺しつつも、アカネは自分のポケットから注射器を取り出した。それを確認して、イズは立ち上がる。
 触手の中央にいるナルは、未だに宙を見つめたままだ。どこを見ているのかもわからない。ただ、長い紫の髪の中央は白く、投げ出した指先は皺だらけだった。
「ナル、さん。う、」
 エランは思わず顔を覆った。ナルの姿は、たった一日とは思えない程に老化していた。EGOは、元は人間だった。長い潜伏期間を持ち、発症すると姿が変化する。
 だから、エラン達は常に抑制剤を持ち歩き、心身の成長を遅らせることによって、潜伏期間を長引かせている。一度発症してしまえば、もう元には戻れない。そのとき、エランは班員全てに支給されている緊急用の抑制剤の存在を思い出した。エランはイズに呼びかける。
「イ、イズ! ナルさんに抑制剤を! 未だ間に合うかも」
「間に合わないな」
 ぴしゃり、と直ぐ側で声がした。思わず振り返る。そこにはクイチが立っていた。呆然とするエランの隣に立ち、モニターに視線を向ける。
「抑制剤では、老化を遅らせることは出来ても、若返ることは出来ない。それはお前が良く知っているだろう」
「……で、でも! やってみないとわかりません! 未だ完全にEGOになった訳じゃ」
「無理だ。ナルは、もう処分対象になっている」
「そんな! どうして?!」
「元々、ナルは抑制剤を打ち始めるのが遅かった。だから、他の奴よりも老化が早い。それを承知の上で、ナルは私達の元へ来たんだ」
「……」
「本来なら、一人で眠らせてやるべきだったのかもしれない。誰にも気づかれずにな。しかし『手足』の反応があったとすれば、話は別だ」
 黙るエランを無視して、クイチはマイクのスイッチを切り替え、声を張る。
「イズ、聞いているな?!」
『クイチ?』
 モニターの画面が揺れる。どうやら、クイチの声は届いているらしい。
「これ以上、被害を増やすな! ナルが止めている間に『手足』を屠れ!」
『……わかってる!』
 その声と同時に、画面にノイズが走る。ジャミングではない。イズが能力を使用したのだ。咄嗟にエランは自分の目を覆う。クイチは、ただじっと画面を見つめていた。

◎◎

 『手足』とEGOの存在が確認されてから、優秀な研究者達が原因の解明に動いている。だというのに、わかっているのは簡単な事実だけだ。断片的な事実を掛け合わせ、出した対策方法は『子供を集めて成長を遅らせる』ということ。非人道的な結論は、人類の僅かな希望だった。
 楽園、パラディス。誰のための楽園なのか。『手足』が蔓延る地獄に、子供達は集められた。子供だけの楽園。そう言えば、聞こえは良い。それなら、どうして集められた子供達の誰もが、名前を奪われてしまったのだろう。最早、自分の本当の名前すら忘れてしまった。それだけ長い間、閉じ込められている。
 本土との通信方法は、手紙と電話のみ。どうやら、楽園に足を踏み入れると、大人は全てEGOになると思い込んでいるらしい。彼等は恐れているのだ。自分達がEGOになることを。そして、それと同じぐらいに恐れている。
 自分よりも長い年数を生きている人間が、自分よりも幼い姿をしている。『ただの特殊変異体』と言えなくなっているという事実に。

◎◎

 特殊変異体は、何かしらの能力を持っている者が多い。自分もその内の一人だった。脳に集中する。シナプスが千切れそうになって、目の前の現実が電子化する。パズルのピースみたいに、バラバラに世界が千切れるのだ。そして、後は上手く直していくだけのこと。
 ナルは未だ生きている。しかし、もう長くはないだろう。彼のバイタルは覚束ない。老衰、という単語が脳裏を掠める。そして、ナルの足元。そこには確かに『手足』があった。触手の一つ一つを電子化する。無数の遺伝子が詰まっているのを視認して、視点を変える。
 バイタル、血圧共に安定。不十分な物はあるか? ない。恐らく、上手くいく。成功率は? わからない。でも、恐らく上手くいくだろう。
 バチン、と鼓膜の奥で破裂音。神経が一本千切れた可能性。それでも尚、脳は世界の電子化を止めない。バラバラの文字が地面を這っている。恐らく、触手だろう。即座に、遺伝子構造を解析。膨大な情報量は、脳に毒でしかない。
「イズさん」
 と、誰かが名前を呼ぶ。しかし、顔が見えない。質量を持ったデータが喋っている。それを無視して、触手の根本へと向かう。薄いデータ。これは、きっとナルだ。ナルを突き飛ばすと、床に小さな穴が開いていた。そして、その向こう。
「ッ、」
 濁流に飲まれそうになって、一旦、能力を停止する。同時に、怒涛のように現実の世界が現れる。物理的で、現実的な世界。肩で息を吐く。穴が小さい所為か、勢いが強すぎる。しかし、これでは小さな穴の向こうを見ることは出来ない。
「レオン、この穴を」
 広げろ、と言う前に、ポケットから咄嗟にナイフを引き抜いていた。何故なら、何かがレオンを襲おうとしていたからだ。目の前で血飛沫があがる。ナイフは、直ぐ傍の男の首筋に刺さっていた。レオンの目が見開かれる。自分も、同じだった。
 ナイフの刺さった先、それはナルだった。
「イ、ズ」と、ナルが皺がれた声で言う。目と目が合う。
 ナル・スレイ。あまり喋ったことはない。何しろ、同じ01の班長とは言え、探索班と特別班では、あまりに格が違いすぎる。だから、お互いに無関心を装った。
 数字に縛られている。月日に縛られている。血に縛られている。そういえば、昔に少しだけ会話したことがあるのを思い出した。ただの、どうでも良い話だ。
 ナルの白濁の瞳が、今は赤く濁っている。だから、そのままナイフでナルの首を引き裂いてやった。レオンの足元に、ナルの身体が崩れ落ちる。首元から流れる血は、思ったよりも少なかった。恐らく、既に『手足』に吸い取られていたのだろう。そう思えば、未だ心はマシになる。
「レオン、穴を広げてくれ」
 声をかけると、レオンはハッとして駆け寄ってくる。二人で小さな穴を覗き込む。まるで、谷底のようだ。しかし、この奥から深く暗い気配を感じる。
「レオン、早く」
「イズさん。それよりも、耳から血が」
「そんなのは良い! 早く、何とかしろ!」
 怒鳴ると、レオンはパッと立ち上がる。しかし、一歩も動かない。焦れて、更に叫ぶ。
「レオン!」
「……無理、です」
「は? 何が」
 そして、ふと気がついた。アカネとシラヌイのことだ。静かな部屋で、触手が蠢く音と、引き攣ったアカネの泣き声がする。立ち上がり、座りこんだままのアカネに歩み寄る。
 アカネの腕には、シラヌイが抱かれていた。シラヌイは目を閉じたまま、何も言わない。誰が見ても、理由は明確だった。シラヌイの呼吸音も、心音も聞こえない。まるで眠っているような、そんな姿のまま、シラヌイは死んでいた。
「……申し訳ありません。私は、シラヌイのような工作は、出来ませんから」
 固く唇を噛みながら、レオンは言う。
「そう、だな」
「……イズさん、耳の手当てを」
「だから、それは良い。俺のことは気にするな。それよりも、」
 そう言って、アカネを見る。アカネは震えながらも、泣き叫びはしない。本当なら、声を出して泣きたいだろう。でも、そうはしない。そして、もしこの場にEGOが現れたとしたら、きっとアカネは立ち上がるだろう。だから、静かに口を開く。
「アカネとシラヌイ、二人と一緒に帰れ。後は俺がやる」
「そんな! それなら、私も残ります」
「うるさい! これは命令だ。わかるな?」
 言うと、レオンはぐっと言葉を飲んだ。そして、背中を向ける。レオンはアカネに声をかけ、ゆっくりと部屋から出て行った。最後にこちらを見たような気がする。でも、見ないフリをした。
 一人になって、ようやく小さな穴へ視線をやる。『手足』だけは、何とかしなければいけない。意を決して、小さな穴へと歩み寄る。
 次の瞬間だった。ふっと室内に影が落ちる。咄嗟に窓の外を見る。そこにいたのは――。
「ハルノ?!」
 ガシャン! と盛大に窓ガラスを割って、一人の少女が床に降り立つ。バラバラとガラスを撒き散らしながら、少女は自身に降りかかったガラスの破片を払う。
 奇襲班02の班長、ハルノ。長い銀髪を首筋でまとめ、白地のセーラー服を着た少女だ。ハルノは、腕から生えた純白の羽で空を飛ぶことができる。学校内で、天使のハルノ、悪魔のナツノ、と呼ばれているのはあまりに有名だ。
「どうして、ここに」
 問うと、ハルノは腕の羽を撫でながら可笑しそうに言う。
「さぁ? わかんないなァ。何か、呼ばれちゃってサ」
「呼ばれた? 誰に」
「アレ、これってナル?」
 室内を好き勝手に歩き回りながら、ハルノはナルの頭部を持ち上げる。どうやら、ナイフでは切り落とせなかったようだ。かろうじて繋がったナルの身体が宙に浮く。
「アハ、人形みたい。可愛いなァ。でも、顔が可愛くないよネ」
 ハルノがそう言った瞬間、ナルの頭部と身体は切断されていた。ハルノはしゃがみこんで、ナルの指先を掴む。そして、つまらなそうに手を払う。
「ん~、でも、手もお爺ちゃんだ。どこも可愛いとこなかった」
「ハルノ、何をしに来た」
「だから、呼ばれたんだってば。『手足』が見つかったんでしょ? そしたら、私タチの出番だよねェ」
「……お前等の援護なんて要らない」
「アレ、勘違いしちゃってる? イズが『手足』を見つけて、手も足も出ないって言うから、助けにきてあげたんだけど」
 そう言って、ハルノは口を開けて笑う。矯正していない八重歯が、まるで吸血鬼のようだ。この場所では、血を連想するものを見たくない。
「それで、『手足』はどこ? って言っても、何となァくわかるけど」
「悪いけど、お前と話す気にならない」
 率直に言うと、ハルノはキョトンとした後に薄い笑みを浮かべた。気色の悪い笑みだ。金色の瞳が、ギラギラと輝いている。
「あれ、イズってばアンニュイ? そんな気分? 大丈夫、私の班は、ちゃあんとしてるから」
 にこやかに言って、ハルノはスッと表情を失くして続ける。
「ていうか、帰れば? どうせ、何も出来ないでしょ。邪魔、足手まとい。そうなる可能性が否定出来ないなら、さっさと帰れよ」
「……お前に言われたくない」
「何がァ?」
「俺だけで何とかなるって言ってるんだよ。それもわからないのか?」
「ふぅん。でも、もう直ぐ、私の班が来ちゃうよォ。それが、クイチの命令だからネ。アハハ、可哀想!」
「可哀想なのはお前の頭だ!」
 そう叫んで、脳に集中する。時間を置いたから、多少回復してる筈だ。自分を信じて、目を閉じる。ハルノはにやにやしながらも、何もしない。
 バリ、と現実の世界から剥離する。
 そして、即座に小さな穴を覗き込んだ。濁流のように押し寄せる、情報、情報、情報、情報。それらを解析する。バイタル、血圧、遺伝子構造。物理ではなく、文字化する。それを認識して、意味のある文字に変えていく。それだけのこと。
 小さな穴に手を伸ばす。その先に、何かが触れた。触れた瞬間、びり、と神経が痺れる。バイタル、血圧、遺伝子構造。魔法のように繰り返す。引き寄せられるように、触れ合う。
 これが『手足』。いや、何度も見てきた。それなのに、何かが違う。深い暗闇に落ちていく中、0と1の羅列を見た。電子化された世界は、いつも深い暗闇だ。だから、慣れている。複雑な遺伝子の中をたゆたう自分を夢想する。そして、それを振り払うように、ポケットのナイフを握り締めた。
 深い暗闇の底に足をついて、顔をあげる。そこには、一人の少女が立っていた。電子化された所為で、顔は見えない。ただ、どこか懐かしい香りがした。
「イズ、」と、少女は呼ぶ。
「久しぶり、懐かしいね」
 そう言って笑う少女の顔が見えない。幾つもの画面が重なって、滅茶苦茶になっている。無数の遺伝子を飲み込んだ化物だ。ナイフを握りながらも、口を開く。
「前に、どこかで?」
「忘れちゃったの? 寂しいな……」
 相変わらず、少女の表情は見えない。ただ、少女の足元に散らばった死体は見える。その全てが、枯れている。暗闇の中、少女は枯れて骨になった死体の上に座っている。
「でも、大丈夫。私はいつだってイズを見てる。イズを見て、イズを感じて、イズを覚えてる」
「……」
「ねぇ、私を殺すんでしょう?」
 少女はゆっくりと顔を上げて、笑ってみせた。
「でも、良いんだ。まだまだ時間はあるから。指を一本失っても、私には怖いことなんて何もないの」
 少女が手を広げると、ぽつりと何かが降ってきた。見上げると、赤い雨が降っていた。どう足掻いても、電子化できない。ただの、赤い雨。ゆっくりと、少女に迫る。少女は、手を広げて待っていた。
 そっと、ポケットのナイフを少女の首元に当てる。それでも、少女は動かない。ただ、見つめ合う。
 そのまま、少女の首を掻ききった。
 少女の首が折れて、死体の山の上に倒れる。でも、その隙間、見えてしまった。少女の顔に幾つも被さった画面の向こうの素顔。それは、
「イズは、特別な人、だからね」

 ……。
 …………。

 頬にひんやりとした風を感じて、目を開く。途端に、痛みが身体を襲う。特に弧膜が痛い。耳を探ると、濡れた感触があった。どうやら、イヤホンもとっくに外れてしまっていたらしい。
「起きたァ?」
 のんびりとした甘ったるい声に、顔を上げる。そこにはハルノがいた。というよりも、空を飛んでいた。ハルノから離れないように括りつけられた金具が、みし、と音を立てる。
「どう、空を飛ぶのも良いもンでしょ」
「……」
「それにしてもさァ、ナルは残念だったよねェ。元からオッサンっぽかったけど」
「そ、うだ。ナルの亡骸は?」
「私の部下がちゃあんと持ち帰ってるよ。そういや、イズは一人だったね。とうとう部下に捨てられちゃったァ?」
「いや、そういうわけじゃない」
「ふぅん。でも、一人行動は止めたほうが良いんじゃない? 私が見つけたから良かったけどさァ。あのまま野垂れ死んでてもおかしくないよねェ」
 どうでも良さそうに言って、ハルノは羽ばたく。空から見るこの島は、とてもちっぽけで、平和そのものだ。しかし、いつかは地べただけでなく、空も戦う場所になるのだろうか。
 ふと思い出したように、ハルノは言う。どこか眠そうな声だ。向こうの空は、夜明けの様相を示していた。
「そういえば、エランが心配してたよォ。戻ったら、声かけといた方が良いんじゃない?」
「ああ、そうする」
「ねェ、空も良いもンでしょ?」
 ハルノはさっき聞いたことも忘れて、壊れたラジオのように繰り返す。一々、相槌を打つ気力もない。瞼が重くなる。ハルノの「重い」という声を無視して、そっと目を閉じた。

◎◎

 特殊班01は、無事任務を達成した。そう言われても、何の慰めにもならない。硝煙の臭いではない煙に、何も言えずにいた。
 学校の校庭の端に立てられた木の墓に、アカネは手を合わせて黙ったままいる。レオンもアカネと同じように手を合わせていた。今にも折れてしまいそうな、木の枝を刺しただけの墓。その下には、シラヌイがいる。
「ねえ、イズさん」
 と、アカネが言う。ゆっくりと立ち上がり、膝についた砂を払う。
「どうして、あのとき抑制剤を打てって言ったの?」
 言った後、頭を振りながらアカネは続けた。
「ううん、イズさんを疑うわけじゃなくて! ただ、どうしてなんだろう、って。もし、もっと違うことをしてたら、彼女を逃がしてたら、とかって、そう考えちゃう自分を殺したいだけなの!」
 アカネの瞳には、大粒の涙が溢れていた。レオンはアカネに同情めいた視線を向ける。アカネは、真っ直ぐな視線を逸らさずに泣き叫ぶ。
「だから、お願い! 私が納得できる理由をちょうだいよ! だって、だって、シラヌイは、私の友達だったんだから!」
「……俺は」
 そう言って、息を吸う。そして、ゆっくりと吐き出した。
「あのとき、シラヌイはもう助からないと思った」
「ッ、」アカネが息を飲む。
 ナルの最期を思い出す。そして、シラヌイ。老化を遅らせているとは言え、いつかは、誰もがEGOになる。それでも、そうはなりたくない。そう思った成れの果てが自分達だ。それなら、せめて。
「あのとき、シラヌイは『手足』に血を吸われていた。『手足』は、人間の老化を進める。だから、俺は」
 そう言って、改めて口を開く。
「抑制剤を打てと言った。そうすれば、シラヌイはEGOにならずに済む。死ぬ未来が変わらないのなら、未だ俺達と同じまま死なせてやりたいと思った」
「……ずるい、ずるいよ。イズさん、ずるい」
 ぼろぼろとアカネは涙を零す。悔しそうに唇を噛み締めて、目を伏せて、それでも震える手は誰にも向かわなかった。
「アカネ、謝罪するのなら私も同じです。シラヌイを守れなかったのは、貴方だけじゃない。私もそうです」
 レオンの声に、アカネは何度も首を横に振る。きつく瞑った瞳から、涙が溢れて落ちる。ぽた、ぽた、と。シラヌイの墓に落ちて染み込んでいく。
「違うの、ごめん。ごめんなさい」
 やっとのことで言葉を吐き出したアカネは、とうとう顔を覆って泣きじゃくる。
「シラヌイ、ごめん。ごめんね、ごめん。私、きっと何度同じことがあっても、同じこと、しちゃう」
「……」
「私が、弱かったんだ。きっと」
「違う、全員が弱かったんだ」
 そう言うと、アカネは顔をくしゃくしゃにして嗚咽を漏らした。レオンがアカネの背中を擦る。その手を、アカネは払わなかった。
 寂しくも、その日は、とても良い天気だった。

 ――同日、午後二時。
 子供のように泣き喚くアカネと、慰めるレオンを残し、一人校舎へと向かう。レオンには、その旨を伝えておいた。無言で頷いたレオンの優秀さには、どう足掻いても追いつけそうにない。校舎に入り、自分の教室に向かう途中、そこでエランとバルトに会った。
「あ、イズ」
「よう」
 エランの瞼が腫れぼったい。最近、まともな顔を見ていないような気がした。バルトは何とも言えない表情をしている。
「エラン。昨日は、その、ありがとう」
 そう言うと、エランは困ったように笑う。
「全然、ありがとうじゃないよ。むしろ、私がごめんなさい、だから」
「そんなこと」
「何で私が謝るか、わかる?」
 問われて、口篭る。バルトは溜息を吐いて、成り行きを見守っていた。エランは眉を寄せて続けた。
「昨日の、小さな穴。イズが『手足』に向かったとき、私、意識を失っちゃったの。だから、その後のことを覚えてなくって。最後まで支援出来なくて、ごめんなさい」
「……」
 ふと、脳裏に蘇る。深い暗闇の中、枯れた死体の上に座る少女の姿。一瞬見えた少女の顔は、エランと良く似ていた。
 咄嗟に頭を振る。そんな筈がない。何故、あんな場所にエランがいるのか。エランは、ただのオペレーターだ。心配した顔のエランが首を傾げる。
「イズ?」
「いや、大丈夫だよ。俺も、言うこと聞かなくて悪かった」
「あは、それこそ大丈夫。イズは、いつもそうだもん」
「確かにな」と、バルトが横槍を入れる。
「そんなことないと思うけど」
「まぁ、あんまり心配かけんなよ。オペレーターが倒れたら、俺等も困るからな」
 珍しく、優しげな声でバルトは言った。エランは照れたように微笑む。
「良いの。それが良いんだもん。イズはいつだって正しくて、自由で、優しくて、それで」
 エランはそっと目を閉じる。瞼の裏で、エランは何を見ているのだろう。ふと開いたエランの瞳が、涙で潤んでいる。腫れた瞼が、酷く痛々しい。どうにか、守ってやりたい。でも、守ることは出来ない。そう思ってしまったのは、何故だろう。エランの唇が小さく動く。
「特別な人、だから」
 その呟きと同時に、始業の鐘が鳴る。ハッ、と正気に戻る。俄かに校舎内が騒がしくなって、バルトは変な表情で一足先に自身の教室へ向かう。弾かれるように、慌てて走り去るエランの背中を眺めながら、静かに深く息を吐いた。
 昨日何があっても、今日何があっても、日々は同じように巡る。全ては、特別なことではない。
 『ただの特殊な日常』に過ぎないのだ。

 ――同日、午後三時。
 校長室の扉が開いて、クイチは背後を見ずに言った。
「ハルノか?」
「ありゃ、バレた。まァ、仕方ないか」
 言いながらも、反省の色は見えない。ハルノはクイチの前の席に深々と座り、首を傾げた。
「何かァ、機嫌悪い?」
「そんなことはない。何の用だ?」
「そりゃあ『手足』の報告だけど?」
「施設321の件か? それならイズから聞いている」
「アッハハ、なるほどねェ。つまんない」
「他に用件は?」
 クイチの声に、ハルノは「うぅん」とつまらなそうに首の後ろで手を組む。
「そういえば、ナルは? あの後、どうしたの?」
「丁重に葬ったさ」
「えー、そうなんだ。えへ、私のコレクションに加えても良かったんだけどォ……」
 バン! と、机を叩く音が響く。机を叩いたのは、クイチだった。呆気にとられたハルノを横目に、クイチは立ち上がる。
「気分を害した。お前が出て行かないのなら、私が出て行く」
「ちょ、ちょっと待ってよォ。ジョークのつもりだったのに」
「お前の冗談は不愉快だ。相手をする気も起きない。というわけで、失礼させてもらう」
「うっそォ! 心狭すぎ!」
 本当に校長室から出て行くクイチの後に、ハルノは続く。
「ねぇ、クイチってナルのこと好きだったの? それなら、わかるけど」
「好き嫌いではない。私は、同胞を悪く言う奴は許さないというだけだ」
「え、それって私も含めて?」
「当り前だ。お前も……、もう少し足元を見るんだな」
 そう言って、クイチは立ち去る。誰もいなくなった空間で、ハルノは腕を組んだ。その腕から、羽根が生えて、ひらりと床に落ちる。
「……ん、あれ? 私、何してたんだっけ。まァ、いっか!」
 そのまま、ハルノは窓ガラスを開けて、校庭へと飛び降りる。かと思えば、そのまま宙を舞う。空を飛んでいるときが、一番好きだ。自分は自由だと思える。そうだ、自分は自由だ。
 そう思って、ハルノはふと首を傾げる。どうして、自分は自由になりたかったのだろう。昔、自分の傍には誰かがいた。そして、その誰かを守ってやらなければいけないと思った。だから、自分は自由を欲したのだ。
 しかし、それが誰なのかを思い出す前に記憶が消えていく。だから、ハルノは地面に下りて、そのまま自分の寮の部屋まで、自分の足で帰った。

EXIT



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?