白揚社だよりvol.11 科学読み物研究家・鈴木裕也の書評で読む『生命科学クライシス』
一般向けポピュラーサイエンス読み物を読み漁り、書評を書くライター・鈴木裕也さんが選んだ、イチオシの本を紹介するコーナーです
(白揚社の書籍に挟んでいる「白揚社だよりvol.11」からの転載)
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成果を再現できない研究が約90%!
生物医学研究を危機的状況から救う道
表紙のデザインや「新薬開発の危ない現場」というサブタイトルから、勝手に経済重視で安全性を軽視する製薬業界の内幕ものだろうと思いこんでいた。だが、予想は裏切られた。 本書で描かれているのはもっと壮大なテーマで、現代の生物医学研究の根本にかかわる深刻な問題だった。
実績ある科学ジャーナリストである著者は第1章の冒頭部分で、「毎年、およそ100万件にのぼる生物医学研究の成果が科学文献に発表される。だがその多くは、はっきり言って間違っている」と嘆く。理由は驚くべきものだ。バイオ企業最大手のアムジェン社の研究者が新薬開発のため、多くの研究機関が発表した研究成果の中から有望なもの53件を選び追試してみたら、結果を再現できたのはわずか6件だった。なんと約9割の医薬研究で再現性に疑問符がついたのだ。実はこうした「再現性の危機」は科学者たちの間では長年くすぶっている問題だという。
すぐに思い出すのは、日本の若き女性研究者が引き起こしたSTAP細胞をめぐる大騒動だろう。もちろん、こうした不正研究は問題だが、本書で著者が次から次へと暴いていくのはもっと根深いものだ。実験の手法やツールに根本的な間違いがあったり、結果を解釈する際にバイアスに足をすくわれたりといった、研究者が知らず知らずに犯す膨大な数の過ちによって、生命科学全体の再現性が損なわれているからだ。
たとえばホーキング博士の命を奪ったALS(筋萎縮性側索硬化症)治療の研究は失敗率の高さが知られている。理由を調べてみると、基礎研究で用いられるマウスの数が少なすぎて間違った結論に至っていたことが判明した。また、老化に関連する酵素に関する実験に間違いが多いのは、実験に使われる市販の抗体が宣伝通りに働いていなかったからだ。さらに、がんの研究で用いられる細胞バンクのがん細胞が違う細胞に置き換わったまま気付かずに使用されたケースは18~36%もあったという調査もある。
拙速な論文発表に向かわせる競争社会
これら実験そのものにひそむリスク以外にも、研究者をつまずかせる「バイアス」が235種類もあるという。たとえば、データの収集や解析を行うたびに生じる誤差(ノイズ)を生物学的な差異として見てしまうバイアスも実験者がはまる〝落とし穴〟の1つだ。 再現性のない研究の4分の1がこうした解析ミスによるという推定もある。ゲノミクスなどビッグデータを用いた初期の研究論文については、精査に耐えられたものはわずか1.2%だったという分析もあり、驚かせる。
本書では、生物医学研究がこうした危機的状況に陥ってしまった根本原因についても深く考察されている。著者によると、削減された研究予算や少ない研究者ポストを獲得するうえで拙速な論文が量産され、それが評価されてしまう環境が諸悪の根源だという。慎重に実験を行っていたら、ライバルに出し抜かれてしまうというわけだ。
だが、 救いもある。本書には、実験の失敗や実験者のミスを防ぐため、再現性の危機そのものを研究し対策に乗り出している人々もたくさん紹介されている。
コロナ禍の健康志向に訴求するためか、テレビでは健康食品やサプリメントのCMが溢れている。本書を読めば、それらの「エビデンス」を見る目が確実に変わることは請け合える。 (鈴木裕也・科学読み物研究家)
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白揚社だよりVol.11
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