「光に汚されている」私たちが忘れてしまった自然の夜の価値を問い直す『本当の夜をさがして』試し読み
コンビニ、自動販売機、屋外広告、街灯……過剰な光に蝕まれた都市に暮らし、夜を失った私たちの未来には、何が待ち受けているのか。
煌々と光を放つ大都市から少しずつ暗い場所へと旅をすることで見えてくる、光と闇にまつわる発見にあふれた本書から「はじめに」の部分をお届けします。
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ところで、きみは「暗黒」ってものを経験したことがあるかね?
──アイザック・アシモフ(1941)
ベガスで起きたことは、ベガスだけの秘密 。アメリカ人なら誰もが知る、この有名なキャッチフレーズも、光の汚染に関しては当てはまらない。ラスベガスで起きている出来事は、周囲の砂漠にまで影響をおよぼしているからだ。その証拠に、ベガスのあるネバダ州ばかりでなく、カリフォルニア、ユタ、アリゾナといった周辺各州の国立公園からも、地平線が明るく輝き、夜空が汚されているという報告がなされている。国立公園には、「将来の世代の享受のために」、その自然を「損なわない」で保存するという目的があるにもかかわらずだ。いま向かっているのは、そんな場所のひとつ、ネバダにあるグレートベースン国立公園。そこに暗闇がどれくらい残されているのか、僕は自分の目で確かめたいと思っていた。
アメリカ中で同じことが起こっている──地図から暗い地域が消えていく。NASAの衛星写真をもとに作成したコンピューター画像を見ると、一九五〇年代から七〇年代、そして九〇年代にかけて、明るい部分が着実に広がっているのがわかる。二〇二五年の予想図では、中央部を流れるミシシッピ川以東のほぼ全域が、明るいことを示す黄色と赤に彩られ、最も人口が密集している地域には斑点のように白が散らばっている。川の西側も黒い部分が断片的に残っているだけで、それぞれを縁どるように文明が触手を伸ばしている。そんなアメリカに残された最も暗い地域のひとつがネバダ砂漠の東部であり、その中心に位置しているのがグレートベースン国立公園なのだ。そんなわけで僕はラスベガスを飛び出し、アメリカで一番暗いと思われる場所を目指した。
日が暮れ始めている。ひた走る車の外では、あらゆるものが変化しようとしていた。気温は下がり、動物や虫が活動を始め、夜咲きの花は再び息を吹き返す。昼間、砂漠の岩は太陽の光によって熱せられて膨張し、暖めた空気を上空に送ってきた。そうして生まれた上昇気流は、鷹を空高く舞い上がらせ、下降する飛行機を小刻みに揺らした。しかし夜になると、エネルギーの流れは一八〇度逆になる。気温が三〇~四〇度下がったいま、今度は砂漠の岩が冬の薪ストーブさながら周囲に熱を放っている。昼夜の自然なリズムに抱かれ、山という山は、眠っている人の胸が上下するように膨張と収縮を繰り返す。
東に見える山脈は、沈む夕日でバラ色に染まっている。一方、西側の山並みはすでにシルエットに変わって、山腹から長い暗幕をかけたように、闇が砂漠の表面を覆い隠している。僕たちはこの時間帯を「たそがれどき」と呼んでいるが、専門家は「薄明」という呼称を使っており、さらに明るい順から「市民薄明」、「航海薄明」、「天文薄明」の三段階に分けている。二〇世紀になって生まれたこの分類によると、「市民薄明」は車のヘッドライトが必要になる時間帯、「航海薄明」は航海に必要な星が見える時間帯、「天文薄明」は肉眼で見えるとされる最も暗い星がなんとか識別できる時間帯だという。個人的には、生物学者ロビン・ウォール・キマラーが「たそがれどき」を指すときに使う「長くて蒼い瞬間」という呼び名が好きだ。専門用語ではないけれども。
僕たちは、雪が「降る」のと同じように闇が「降りる」と考えがちだ。ところが実際には、暗闇は東から「昇り」、陸地や海を飲み込んでいく。夕暮れどきに東に向いて立ち、日没後の空を眺めた経験はあるだろうか? そのとき地平線上に、まるで嵐を予感させる雲のように暗い帯が見えたなら、それが「地球影」だ。実のところ「夜」とは、地球自身の影にすっぽり包まれた状態のことである 。地球は自身の影に沈むように回転することで夜に突入し、この影を抜け出して太陽の光にさらされたとき、夜明けが始まる。
北東へ車を走らせるうちに、日の光はゆっくりと遠ざかっていく。次第に暗くなる空を見ながら、これから目にするはずのものに思いを馳せた。運転席側の窓からは、山並みのシルエットのすぐ向こうに、宵の明星(金星)が浮かんでいるのが見える。続いて、その夜最初の恒星がいくつか姿を現す。古今東西でおそらく最も有名な星群、北斗七星に属する星々だ。そのなかのひとつ、ひしゃくの柄の先端から二番目にミザールという星がある。ミザールが二重星であることは、古代の天文学者によって数千年前から知られていた。傍らでかすかに輝いているアルコルが、その相棒だ。昔は、この星を裸眼で見つけられるかが視力検査の役割を果たしたというが、いまの僕では検査に合格できないらしい。明るい町が近づいてきたからだ。
この町の名前は重要ではない。少なくとも光害(ひかりがい)に関して言えば、ほかの何万という町と変わるところはないからだ。そうした町の一つひとつは、国全体を覆う光の汚染から見ればささやかな規模とはいえ、共通の問題を一揃い抱えている。
ひとつは、光がまったく遮蔽されていないこと。そのせいで、グレア〔まぶしい光〕がところかまわず放たれ、暗闇へと垂れ流される。隣家との境界には塀があるが、アメリカならどこへ行っても見られるように、この町でも、互いの家から出た光は境界をはるかに越えてさまよっている──この光景はまさに、ダークスカイ(暗い夜空)の保護に賛同する人たちが言う「光侵入」そのものだ。このような遮光型ではない照明から出た光は、隣家の庭や通りかかったドライバーの目に入り込むだけでなく、まっすぐ空へと伸びて無駄なエネルギー消費となる。昼間よりも明るい光を放っているのは、ガソリンスタンドだ。その光も同じように屋根から漏れ出て、町の夜空から星を消し去る。「コブラヘッド」というドロップレンズ型の街路灯がすべての通りに設置され、寝室や居間、周辺の砂漠、そして星々をも照らしつけている。町はずれに近づくと、ところどころに「セキュリティーライト」が現れる。裏庭、納屋周辺、私道を覆うこの防犯用の白い光は、アメリカ中のどの町でもおなじみのものだろう。そしてきわめつけは、野外広告の照明だ。広告板を下から照らした光は、そのまま一直線に宙を貫いていく。
町を出ると、闇が再び車を包み込む。さっきまで明かりのともった世界を照らしていたヘッドライトは、いまはただ行く手に横たわるものだけを浮かび上がらせる。道路の両側が崩落してしまった感覚。ハイウェイは一本の橋で、脇にそれると奈落の底に落下してしまうのかもしれない。フロントガラスにはいつのまにか虫が散らばって張りつき、ゴッホの描く星空を彷彿とさせる。道路の傍らで食事をしていたジャックウサギは、車が行き過ぎるあいだその長い耳をじっと立てている。まもなくハイウェイの反対側から一匹のコヨーテが躍り出た。その目は爛々と輝き、口からはツキのなかったウサギをぶら下げている。メンフクロウが路肩の標識から飛び立ち、少しのあいだ、道案内でもするように車を先導していたが、やがて身を転じて暗闇の中へと姿を消した。
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僕が育ったミネアポリスの郊外にはゴルフ場があり、白い柵に挟まれた坂道がコースのまんなかを蛇行していた。一〇代の頃乗っていた古いボルボなら、この道を、ヘッドライトを消して駐車灯だけを点灯し、時速六〇キロ近くで走行することができた。現在所有している赤のステーションワゴンは、より高性能で安全性が高いため、運転手の意思に関係なくライトが作動する。今回僕が借りた最新型のレンタカーも同じだろうと思っていたら、なんとそうではなかった。衝動を抑えきれなくなった僕は、まっすぐなハイウェイを時速六〇キロどころかその三倍近いスピードで走っていたにもかかわらず、ヘッドライトのスイッチをオフにした。
その途端、目の前から道路が消え去った。胃がきゅっとして、地球の縁から放り出されるような感覚に襲われる。興奮を伴う恐怖感。いったいぜんたい、自分は何をしようとしているのだろう? たまらずライトをつけると、心臓が激しく鼓動しているのに気づいた。あたりに車は走っておらず、脇に広がる漆黒の海には一筋の人工の光も見つからない。僕は繰り返しライトを消し、そのたびに時間を長くした。まずは、ハイウェイをわずかに照らす駐車灯に目が慣れるまで。それから、星空が目前にせまり、後ろへ流れ過ぎていくのが見えるまで(スタートレックの宇宙船エンタープライズ号が、スピードを上げて宇宙空間に突入する場面を思い出す)。そして、車体が路面から浮き上がって、空に飲み込まれていくように感じるまで。
すべての光を消して、もっと長く暗闇の中を運転していたい誘惑にかられる。夜の砂漠を不敵にも時速一六〇キロで走行するスリルを知り、地球から宇宙空間へ放り出される気分を味わえるのは幸運なことだ。とはいえ、そんなことをしてまだ生きていられるのもやはり幸運に違いない。そう考えて僕は、速度を時速三〇キロまで落とすことにした。トローリング船程度ののんびりしたスピードだ。今度は駐車灯も消して、運転席の窓から頭を出してみる。暖かく乾いた空気が流れ、タイヤがアスファルトを転がっていく。そのとき僕は、自分が地平線の端から端へとアーチをかける天の川へ向かって、まっすぐ突き進んでいることに気づいた。グレートベースン砂漠の中央、国道九三号線のどまんなかで、車はまるで自分の意思であるかのように速度を落として止まった。車やトラックがやってきたとしても、よける時間は十分にあるだろう──もちろん、ほかのドライバーたちもライトを消して、この空のハイウェイを見上げていなければの話だが。
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「暗さを知ろうとするなら、闇を進むことだ」とは、アメリカの作家ウェンデル・ベリーの言葉だ。しかし人工衛星から夜の地球を見ると、僕たちの暮らす大陸はさながら火事のように燃えている。街灯、駐車場、ガソリンスタンド、ショッピングセンター、スタジアム、オフィス街、そして家々の放つ光が集まって、世界中の陸地と水域の境界をくっきりと浮かび上がらせている。時には昼間の明るさを再現したイカ釣り漁船の漁火が、海上まで広がっていることもある。これらの光がすべて役に立っているなら、まだ話はわかる。照明には、行く手を照らし、安心感を与え、夜景に彩りを添えるなど、たしかに好ましい面もあるからだ。だが現実には、そうした光の大部分は無駄に使われている。宇宙船や飛行機の窓、ホテルの一四階から撮った写真に再現される人工の光はみな、身近なものを照らすというささやかな任務を終えたあと、空に漏れ出てしまったものだ。一方で、僕たちが支払う代償はささやかではすまない。以前からわかっていたことでもあるし、最近新たに判明した問題もあるが、ともかく自然の夜の暗さは、人間の健康や自然界の安定のために、いつだってかけがえのないものだった。それを失ったことで、あらゆる生物が苦しんでいる。
光の氾濫する現代に生きていると、夜が本当の暗闇に包まれていた時代を思い描くのは難しい。しかし、それはさほど遠い過去ではない。二〇世紀に入ってもしばらくは、さまざまな形の火──たいまつ、ろうそく、そして薄暗くて頼りない異臭のするランプ──が屋外の光源として使われていたからだ。こうした道具は、油分の多い魚や鳥を串刺しにして燃やしたり、爪先に蛍をくっつけて明かりとした時代に比べれば進歩していたとはいえ、それでもまだずいぶん頼りない 。一〇〇本のろうそくをともしても、ようやく七五ワットの白熱電球一個分の明るさにしかならないのだ。歴史学者のロジャー・イーカーチによると、近代以前の人々は、ろうそくは「闇を見る道具」だと皮肉まじりに語っていたらしい。また、フランスには「ろうそくの光のもとではヤギも淑女に見える」ということわざがあるともいう。旅人たちは、月明かりが夜の航海における最も安全な導き手だと信じており、月の満ち欠けには現代人よりもずっと気を配っていた。一七世紀末までには、ヨーロッパの多くの都市で何らかの簡単な公共照明が生まれたものの、現在当たり前のように目にする電灯システムが登場するのは、一九世紀の終わりを待たなければならなかった。そしてそれ以降、夜の暗闇は着実に失われていった。
北アメリカやヨーロッパほど明るく輝く大陸はない。欧米人のおよそ三分の二は、もはや本当の夜──つまり本当の暗闇──を経験したことがなく、そのほぼ全員が光害にさらされた地域に住んでいると考えられている。作家のヘンリー・ベストンは自著『ケープコッドの海辺に暮らして』(1928)の中で、「明かりを使うことで、更なる明かりを使うことで、ぼくたちは夜の神聖さと美しさを森と海に追い返してしまった」と警告している。当時アメリカに住んでいた一億二千万人のほとんどは、これを大げさな表現に感じただろう。なぜなら、彼らの大多数は農村地域に暮らし、電気のない生活を送っていたからだ。しかしベストンの予言は、それから一〇年もたたないうちに現実味を帯びる。一九三五年、ルーズベルト大統領が農村電化事業団の設立にゴーサインを出すと、アメリカにおける夜の勢力図に疑う余地のない変化が現れた。五〇年代半ばには、都市部、郊外、農村の別なく、ほぼ全地域の人々が電灯を利用するようになる。以来半世紀、アメリカの人口が三億人を突破するなか、電灯照明は衰えることなく着々と、ほとんど意識されずに広がっていった。三〇年代、五〇年代、もしくは七〇年代の暗闇から、時空を越えて現代の夜の闇へとやってきたなら、人工の光が劇的に増えたことに驚かない人はまずいないだろう。とはいえ、その増加のしかたは段階的なものだったので、いまの夜の暗さも昔とそう変わらないと、現代人は考えてしまいがちだ。
「増え続ける光害が空を汚していくさま」を目の当たりにしてきたアマチュア天文家のジョン・ボートルは、こうした状況を踏まえ、夜空の明度を段階的に表すための光害基準である「ボートル・スケール」を二〇〇一年に考案した。それによると空の明るさは九段階に分けられ、最も明るい空がクラス9、最も暗い空がクラス1に分類される。ボートルはこの基準が、「気づきを与え、星空の観察をする人に役立つ」ことを望んだが、一方でこれを発表することで、驚き、怯える人が出るのも承知していたという。ボートルの分類は、見ようによってはとても微妙で、矛盾すら感じるかもしれない。だが暗さの度合いや、失ったものとまだ残っているもの、取り戻せるかもしれないものについて話をするとき、僕たちの言葉の意味をより明確にする助けとなってくれるはずだ。
明るい方のボートル・スケールは、大半の読者にとっておなじみのものだ。クラス9は「都心部の空」、クラス7は「郊外と都市部の境」、クラス5は「郊外の空」──僕たちの多くが標準的と感じる、いわゆる「暗い」空である。しかしボートル・スケールには、失われつつあるものも含まれている。実際、欧米人の大多数、とりわけ若い世代はめったにそれを体験したことがなく、おそらく想像すらできないはずだ。クラス3に分類されるのは「田舎の空」で、「いくつかの光害が地平線に現れる」程度、クラス2は「真に空が暗い典型的な土地」、そしてクラス1は「天の川が明確な影を投げかける」ほどの暗い空だという。アラスカ州を除くアメリカ本土に、そんな暗闇がいまでも存在するのかと訝いぶかしがる人も多いだろう。オレゴン州東部やユタ州南部の砂漠、ネブラスカ州の大草原、テキサス州のメキシコとの国境付近には、そのような暗闇がまだ残っているらしい。それでもボートル・スケールが、人類史の大半では一般的だったのに、現代の西洋社会では非現実的になってしまった暗闇に言及していることは否定できない。
ボートル・スケールを知ったそのときから、僕は夜について学び始めた。それと同時に、少年時代に初めて本物の暗闇を体験したミネソタ州北部の湖のように、かつて訪れ、暮らし、愛した場所に思いを巡らせるようになった。気になったのは、ボートル・スケールのクラス1に該当する場所が、まだ国内に残っているかどうかだった。はたしてアメリカ本土の四八州には、まだ自然の闇が残されているのだろうか? 言い換えれば、こういうことだ──この国ではすべての場所が光に汚されてしまったのだろうか?
僕はその答えを見つけようと心に決めた。一番明るい夜から一番暗い夜へ、おなじみの公共照明で華やかに照らされた都市から、クラス1の暗さがまだ残っているかもしれない土地へと、旅をする決意をしたのだ。旅の道中では、夜がどのように変貌を遂げたのか、それがどんな意味をもつのか、僕たちに何ができるのか、そもそも何か行動すべきなのかといった疑問について考え、記録していくつもりだ。とくに理解を深めたいのは、人工照明が否定しようのないほど素晴らしく、美しくさえありながらも、依然として多くの代償と懸念をもたらす危険性をはらんでいることだ。旅の出発地には、NASAの衛星写真で世界一明るい光を放っているラスベガスや、光の都パリがふさわしいだろう。それからスペインを訪れて『霊魂の暗夜』を体験し、マサチューセッツ州にあるウォールデン池を訪ね、『森の生活 ウォールデン』の著者ソローを偲びたい。暗闇の価値を押し広め、光害がもたらす脅威への関心を高めようと日々努力を続けている科学者、医師、活動家、作家たちにも会いに行く予定だ。夜間の人工灯とがん発生率を初めて結びつけた疫学者、光害規制を求める世界初の「ダークスカイ」団体を設立した元天文学者、未知なるものの必要性を説く聖職者、夜に渡りを行う鳥をさまざまな都市で数え切れないほど救ってきた活動家──このような人たちを通じて、本書の物語を進めていきたいと思う。
最後までお読みいただきありがとうございました。私たちは出版社です。本屋さんで本を買っていただけるとたいへん励みになります。