【月刊あんスパ通信】遂に実現!謎の美女と大都会あんスパデート
それは東京にマンボウが発令されることが決まり、あとはいつからはじまんだよったくよぉ…と飲食業のみなさんが軽く舌打ちをされていたであろう、2022年1月19日の夜。
私はかねてから私の執筆する『月刊あんスパ通信』の熱烈なファンである、という女性と、銀座京橋の一流料亭で待ち合わせをしていた。
はっきり言って私はグルメではない。
高校時代はバイトで稼いだありあまる富を背景に、喫茶店でナポリタンとピラフにホットドッグを付けてコーラで流し込む、という飽食の時を謳歌していた。
しかし18歳で単身東京に来てみればキャンプ用のコッヘルで炊いた白飯に丸美屋の麻婆豆腐の素のみをかけるのが月に一度の贅沢という爪に火を灯すよな食生活。3ヶ月で10キロ痩せたで。
だもんで大した舌も持っとらんわね。ペヤングとかマクダーナルとか牛丼アタマの大盛りツユダクとか、ええ歳したおっさんになってもとろいもんばっかり食べとるわけだわね。
しかしそんな私の文章に、彼女は惚れ込んだらしい。筆致にエロスとタナトスを感じずにはいられないという。それは食という人間が持つ本能的欲求と密接な関係があり、あんかけスパゲティへの異様な執着心はそのまま性的倒錯のメタファー、とよくわからない持論を展開するのである。
どうしても一度会って、自分の仮説が果たして正しいかどうかを確かめたいというのだ。そして、自分に食べ物の記事のセクシーな書き方を手ほどきしてほしいとも。ちなみに彼女はグルメ雑誌の食レポライターとのこと。
やれやれ、と色彩を持たない多崎つくるならこぼすところだろう。しかし私は残念ながら多崎つくるではない。私と多崎つくるとの共通項は名古屋出身ということぐらいである。
私はSNSで知り合った人間と現実社会で会うことを極端に恐れている。SNSでのみつながりを持っていた人が実際に私に会った時に抱く感想は以下の通り。
なんや、ちんちくりんやんけ
なんや、ハゲあがっとるやないか
なんや、えらいおっさんやん
なんや、ボラギノール常習かい
なんや、O脚ガニ股短足猫背の老眼な
もういいだろう。頼む、これぐらいで勘弁してくれ。しかし彼女は私の涙ながらの説明にも耳を貸さず、どうしても会いたい。会って一緒にあんかけスパゲティを食べたい。そのように言うではありませんか。
ちなみに彼女はグルメ雑誌の食レポライターであるという。
大事なことなので2回言った。きっとこれを読んだ彼女はいつかこの日の食レポを書くであろう。これだけ言えばきっと書いてくれるはずだ。
私は諦めて彼女の望みを受け入れることにした。
思ったよりキラキラしている京橋駅周辺。京橋といえば「♪きょうばしはっ ええとこだっせ」のグランシャトーを想起してしまう。
指定された料亭に向かう私も、ついついこのCMのような淫靡な気持ちにインビテーションされる。インビテーションといえばこの曲だ。
いま聴いてもまったく古さを感じさせない、シャカタクのスマッシュヒット。釈迦宅という当て字が当時の暴走族の間で流行ったとか流行ってなかったとか。
指定された料亭までは歩いて5分ほど。大通りから一本裏に入ったところにある。なるほど風情のある佇まいだ。
大胆である。「世界の」と銘打っている。ずいぶん大きくでたものだ。池波正太郎師がご存命ならさぞかし足繁く通われたであろう銘店だ。
凛としつつも、どこか親しみやすさもある。こういったポジションの高級料亭は京都にはないだろう。知らんけど。
その雰囲気はまるで今夜の私たちの逢瀬をそっと見守るシダレヤナギのよう。そしてシダレヤナギといえばこの歌。
さっきから動画ばっかりいい加減にしてほしいと思わないでほしい。私だっていい加減にしたいのである。しかし、いい加減というのも見方を変えれば良い加減ともいえるわけで。父さん、水道の蛇口がありません。水そのものがないんです。
さっそく女将にチップを渡し、今日は頼むよ、と片目をつぶる。ウィンクに見えればいいのだが、おそらく顔面神経痛と思われただろう。女将は一目散に帳場へ去っていった。
かまうものか。私は大股で『梅の間』に向かう。さあ、大いに語ろう、大いに飲もう。そして大いにあんかけスパを食べようじゃ……
ん?
なんということだ。彼女はもう既に席にいた。それどころかあんかけスパをオーダーしているではないか。こんな高級店にひとりで待たせてしまった。私は己の不覚を恥じた。
「お待たせしてしまい申しわけござらぬ」
あまりの狼狽ぶりについ侍言葉が出てしまったでごじゃるよ。
「いいんですよ先生。私のほうこそご無理申し上げて本当にごめんなさい。あんかけスパ、お先、いただきますね」
せ、先生ですって!?
私が先生という言葉に異様に弱い腐った権力主義者ということがなぜわかったのか?
しかもめっちゃかわいい…
端的に言って好みである…
私は彼女が想像以上に自分好みの外観であることに驚いた。同時に自分が美女を前にすると極端に逆上する性格であることを忘れていた。
「さあ、どんどん食べましょう!あんかけスパをどんどんとね!そーれ!」
「ビールもほら、飲んで飲んで。あ、山ちゃんサワーですか?飲んで飲んで!」
「いやあ、ぼくはほら、名古屋の西区のね、山田村ってとこの出身で…」
「もう一皿追加であんスパ頼みましたよ!あ、取り分けてくれるの?ありがとう!キミのために手羽先も頼んだからさ、ほら、食べて食べ……」
そこからの記憶が、ない。
気がついたら自宅のせんべい布団に横たわっていた。ノー二日酔い。自分を褒めたい。なんてとてもじゃないけど言えないほどの二日酔いだ。
あのあと彼女とはどうなったのだろうか。楽しくお酒を飲んで、あんかけスパを食べて、会話して、そして…
まるで記憶がないのである。いい感じにできあがった気はする。しかし店を出た覚えすらない。なんたる不覚。
しかもあの日以来ぷっつり彼女と連絡が取れなくなっているのだ。果たして彼女は実在する人物なのか。もしかしたら最近都内にも出没すると噂される狸か狐にでもつままれているのか。
後日、その夜に何枚か写した写真が現像所から届いた。
この一枚は、おそらく店を出た彼女を後ろから撮影したものと思われるが
…おっさん?
うーむ。謎である。
誰か、彼女のことを知っている人はいませんか?
【追記】
料亭のあんかけスパゲティの味は「許容範囲」という表現が適切ではないでしょうか。もし本場の本家本元を知らない方が召し上がると「あれ?」みたいなことになりかねません。いずれにしても正確な味のジャッジを下すためにもみなさん、まんぼう明けにでも名古屋「ヨコイ」「そーれ」「チャオ」いずれかのお店でそれぞれのリファレンスを取得いただければ幸甚でございます。