感熱紙1ロールぶんの立腹
コピーライターの事務所から夜逃げして名古屋の実家に身を寄せていた1994年の4月下旬から5月にかけて、いろいろな出来事があった。
まず東京駅から各駅停車を乗り継いで7時間かけて名古屋に帰った日の夜。馴染みだった居酒屋で呑んでいたら中華航空140便が小牧空港に墜落した、というニュースが入ってきた。
それから数日後、今度は久しぶりに実家で晩酌をしていたらサンマリノグランプリでアイルトン・セナがクラッシュしたという速報が流れてきた。深夜、現地からの緊急生中継が放送され、三宅アナと今宮さん、そして川井ちゃんが咽び泣きながらセナの死を伝えた。
なんだかこう、世の中がおかしな方向に動きはじめている…そんな予感しかなかった。なにより自分自身の身の振り方を考えなければならなかった。
18歳で東京へ出て、何の根拠もなくコピーライターになる、と決めて求人広告でデビューし、ほどなく商品広告の世界に移り、そこで己の能力のなさをこれでもかとばかりに知らされた。
それでほとほと嫌になったはいいが、正面切ってボスに辞めると言う勇気もなく、ボスが愛人を追ってマニラに飛んだその隙を縫って夜逃げした、というなんともしまりのない人生の曲がり角に立たされていたのだ。
3週間ほどぶらぶらした後、とりあえず東京に戻ることにした。家賃のこともあるし、なによりボスの動きが心配だった。おそらく正確な住所は知らないはずなので(社会保険も年金も加入していなかった)ヤサは割れていないだろう。だが執念深いボスのことなので、どんな手を使ってアパートに乗り込んできたとしても不思議ではない。
親から貰った新幹線代を浮かすために駅で時間を潰して大垣夜行で東京へ。その足で十条のアパートに戻ったのは5時半を少し回ったところだった。
念のために仕掛けておいた玄関マットのトラップを確認するが、並べた素麺は一本も折れていなかった。室内も荒らされた様子はなく、ホッとして座り込む。
ふと見るとおたっくす(当時一斉を風靡したパナソニックの家庭用FAX)のLEDが点滅し、感熱紙が盛大に吐き出されていた。驚いたことにロール一本分のFAXが送りつけられていたのだ。
それは同じ内容の文書で、何通にも、いや何十通にも及んでいた。
これは立派な脅迫文ではないか。ところどころ意味が不明である。あり得ないような誤字もある。だいたい別紙ってなんだ。あんなに日本語にうるさく、また文章表現へのこだわりが深かったボスが書いたとは思えないほど隙だらけの文章だ。
しかし、まごうことなき脅迫文である。
それも何枚も、何十枚も。
よほど頭に来たのだろう。
怒髪、天を衝くとはこのことか。怒り心頭に発する、とはこれそのものではないか。
それほどまでのボスの怒りを想像して、思わず身震いしてしまった。
世間知らずだったこともあり、当時は割と真剣にビビっていた。
あれから30年。
この脅迫文には「後日第三者からの出頭命令がある」とのことだったが、いまだに誰かから呼び出しのようなものは受けていない。
もしいま、どこかからこの件で呼ばれるようなことがあったらどこへだろうと喜んで出頭する。そして当時の不遜な行為をボスに詫びるとともに、あの頃の思い出話を肴に酒を酌み交わしたいと思っている。
年を跨いだ大掃除、大量の書類を整理した際に色褪せた感熱紙が出てきて、たいして思い出したくない記憶が蘇ってしまった。蘇ってしまったものは仕方がないので書くことにした。不思議なことに、書くと忘れることができるから。
今年もよろしくお願いします。