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独断と偏見で紹介する名古屋メシ
もうタイトルでクリックされないことは重々承知です。スキもほとんどつかないでしょう。でもいいの。苦しくったって悲しくったってnoteの中では兵器なの。最終兵器彼氏とは俺のことさ。
と、いうことで今回はぼくが18歳まで過ごした名古屋で独特のポジションを誇るローカルフードを独断と偏見に満ち満ちたランキングとともにご紹介します。画像はゴーゴルからひろってきたものです。一部イメージのものも含まれております。「おい、著作権!」という方はご一報ください。すぐにお詫びして差し替えます。
ちなみにサムネイル画像は名古屋でも名うての老舗喫茶店『ボンボン』です。幼稚園のときにやってたテレビコマーシャル、いまだに覚えています。 shuukatsuyoukoさん、素敵な画像使わせていただきます!
第一位:ヨコイの『スペシャル』
(画像はヨコイ KITTE名古屋駅店HPのメニューから引用)
ヨコイとはあんかけスパの老舗。元祖、といいたいところですがそれは実はそーれという店になります。そーれを創業したふたりのうちひとりが独立してヨコイを作ったと。しかしいまではヨコイのほうがメジャーというか、店舗数も多いんですね(といっても直営3店舗のみ)。
そんなヨコイでほぼ100%の客がオーダーするのが『ミラカン』。ミラカンとは「ミラネーズ」と「カントリー」のあわせ技で、ベーコン、ウインナー、ピーマン、玉ねぎを炒めたのをあんかけスパに乗せて食べる人気No1メニューです。書いてて食べたくなりました。
しかしわたしはいつも、あえてミラカンを避けています。そしてわざわざ『スペシャル』というメニューを「2」で頼むのです。たいていの店員さんが「えっ!?」という顔をしますが知らん顔でオーダーします。スペシャルというのはその名に似合わず、こした卵とウインナーだけのシンプルな内容。でもそれがいいんです。あんかけの味をシンプルに楽しめるので。
ちなみに「2」というのは盛りです。ヨコイには普通盛りの「1」大盛りの「1.5」そして超大盛りの「2」があります。呼び方はそれぞれ「イチ」「イチハン」「二」です。「いかんいかん、腹いっぱいだわ。昼にヨコイでイチハン食べてまったで」「たわけ、わしなんかバイキングの二だで」これが正しい名古屋サラリーマンの夕方の会話です。
そして東京進出はしてほしくないです。一時期、六本木のカフェにレンタル進出していたんですが、そこで食べたヨコイの味はヨコイであってヨコイでなかった。あんかけスパのおいしさというものはおそらくラードに名古屋のつゆぐもりの気候がまじって生まれる独特のテイストなんだとおもいます。こんな調子でヨコイについて語ると何万文字にも至るので次行きます。
第二位:寿がきやの『肉入りラーメン』
(画像は寿がきやHP「メニューのご紹介」より引用)
55歳以下の名古屋人にとってのソウルフードそれが寿がきやです。もしかしたら60歳以下かもしれません。昔はやれ蛇の皮で出汁をとっただの、もともと甘味屋だでなんでも甘いでいかんだの言われていましたが、そんな大人の風評なんかものともせず、名古屋キッズがせっせと小銭を握って通ったのが寿がきや。
そんな寿がきやでのぼくの定番は『肉入りラーメン』に『ジャンボドリンク・メロンソーダ』をあわせたセット。寿がきやといえばスープが特徴的なんですが、いやいやどうして「肉」も味わい深いんですよ!そういえばずいぶん食ってない。食べたい!
寿がきやも一度だけ東京上陸しましたね。高田馬場でした。明治通りの交差点にお店を出しているのを見つけて突撃したものです。しかし…なぜでしょうか、あの美味しさはまったく再現できていませんでした。なにがちがうのか。やはりつゆぐもりの空気か?はたまた都道府県内いち旨いといわれている水か?名古屋の寿がきやのポテンシャルは一切発揮できていなかったなあ。そのせいでしょうね、あっという間に撤退ですよ。
第三位:新幹線下りホームの『きしめん』
(画像は『メシ通』2018年6月21日「【検証】名古屋駅の新幹線ホームで食べるきしめんがサイコーにウマい説、ホントのところどうなんだ?」永谷正樹様の記事より引用)
きしめんといえば新幹線ホームがいちばんだよね…としたり顔で語る東京人がいたら必ずつっこみます。「それって上り?下り?」と。この時点でまごまごしていたらそいつはどっかで聴いた話をさも自分の話のようにしているだけ。「上り、かな」と答えたなら「ホントか?あれなら熱田神宮の宮きしめんのほうがうまいぞ」と返しましょう。「もちろん下りだよ。下り以外は論外」これが圧倒的な正解です。これ以外は不可です。
上りはね、なんとなくだるそうなおばはんとおじさんがダラダラやってんのね。つゆもいまいち味が薄いし、なによりきしめんがやわらかすぎるんですよね。それにくらべて下りのやる気ときたら。キビキビ、ハキハキ、提供まで早い。なおかつつゆが濃い。そして茹で加減がベスト。
下りだから関西に向けて味が薄くなっているならわかるんですが、逆なんですよね。なにかわけでもあるのでしょうか。なお、名古屋駅のホームには新幹線だけでなく在来線にもきしめん屋があるので、暇で食欲旺盛な方はすべて食べ比べてみてはいかがでしょうか。
第四位:味仙の『台湾ラーメン・アメリカン』
(画像は『SAMのLIFEキャンプブログ Doors , In & Out !』より引用)
はじめて食べる人はかならずむせます。それが台湾ラーメンの洗礼を受けるということです。この台湾ラーメンですがれっきとした名古屋めしで、台湾には存在しません。いまや名古屋中に台湾ラーメンを出す店があるそうですが、ここはやはり本家本元である『味仙』で勝負でしょう。
その味仙も店によって微妙に味が違うというからやっかいです。今池本店こそが始祖である、という人もいれば大バコの矢場店こそが本流という者もいて、いやいやアフリカンがある八事店こそキングでしょうとささやく輩がいるかとおもうと大人なら藤が丘店の深遠なる味わいがわからないと、と含み笑いする紳士あり。
さてぼくはどこを推すかというと、ジャンク度満点の矢場店。しかもそこであえてのアメリカンをオーダーしたいです。アメリカンはその名の通り、湯で薄めているのでむせにくい。そうかといって味はしっかり味仙なので「これでいい」感が半端ないです。
第五位:まことやの『味噌煮込み』
(画像は『食べログ』からVOLVO850Rさん撮影の写真を引用)
味噌煮込みと言ったら「山本屋」一択でないかい?という名古屋人は多い。しかしわたしはそんな山本屋一強に異を唱えるものである。たしかに山本屋は旨い。それは認める。しかし、これはあくまで個人の主観かもしれないが、麺が固すぎやしないかと言いたいのである。
その点、まことやは硬すぎず、モチモチ感も適度におさえられていて、たいそうたべやすい。山本屋よりも甘さが控えられた味噌は出汁の深みも感じられて、一度食べると二度三度と通いたくなるのだ。
そして、そのうち「なんでみんな山本屋ばっかりいくんかなあ」そんな思想を抱くようになるのである。いま気づいたのだが急に文体が「だ、である」調になっている。しかしそんなことを気にしている場合ではない。つまりそれぐらい真剣な問題を語っているのである。ぼく、だなんてやわい言い回しをしている場合ではないのである。
ちなみにまことやは昭和区檀溪通にあり、その隣にはなんと、あの山本屋がある。正確にはあった。いま調べてみたら、檀溪通の山本屋は閉店してしまっていた。そしてまことやは健在である。わたしがいいたかったのはそういうことなのだ。おしまい。
第六位:七五三家の『カレーうどん』
(画像はベターホーム『レシピサーチ』から引用※七五三家のカレーうどんではありませんがいちばん似ていたので…)
名鉄に常滑線という路線があります。幼少のころから慣れ親しんできたぼくにとってはなんの違和感もないのですが、上京してまもなく、この「とこなめ」という響きはひとつの嘲笑の対象になることを知りました。そのときのショックたるや…
ま、そんなことはどうでもいいのですが、その常滑線に『豊田本町』という小さな駅があります。普通電車しかとまらないので一時間に4本、というきわめてかもしだ…じゃなくてきわめてのんびりした駅です。駅前にはこれまたコンパクトなロータリーと、市営公団が2棟。これがこの町のランドマークでした。さびれた映画館もあったし、バーも5~6軒。まるで浜田省吾『MONEY』の世界観ですね。
1号棟には「トスカ」というショッピングセンターがはいっており、昭和の終わりぐらいまではたいそう賑わったものです。地下食品街、1階専門店街、2階はテナントとして「桔梗屋」というブランドの小売店が入っていました。まさに地域の衣食住を一手に担う存在で、客もはたらく人も若く、活気があり、夏は盆踊り、冬はクリスマスや餅つきなど、商店をあげてのイベントに笑い、酔い、永遠に明るい未来が続いていくように思える幸せな時間が流れていました。
一方でその隣の2号棟はパチンコ屋と喫茶店、美容院、そしてろばた焼きの店が。ろばた焼きの店はいつしか改装してうどんや和食を出す居酒屋に変貌を遂げます。それが『七五三家』です。ぼくは幼少のころから七五三家に通っていたので、お店のオーナーから若い衆までみんなからかわいがられていました。
そして、なかでも番頭のいっちゃんがつくる『カレーうどん』は天下一品。どうやらカレーうどんには相当自信があるらしく「ヒロミチ、よそでカレーうどん食ったらすぐ教えてくれ。なんでかっていうとよ、俺が味で負けるわけにはいかんでよ」とあまりロジックが成立していない話をしていました。
そんないっちゃんのカレーうどんは、そば屋のカレーうどんにしては濃厚かつクリーミーで、たいそうハイカラな味がしました。どちらかというとカレー専門店が工夫してうどんとあわせたような、和なかんじが一切しないおいしさでした。若鯱家とか古奈屋ともまた違うんですね。
ここまで読んだ人はもうおなかがカレーうどんになっていますよね?そして名古屋に足を運んだ際は常滑線に乗り、豊田本町で降り、七五三家でカレーうどんを食べよう!と思ってくれますよね?そこまではむり?
第七位:とん平の『鉄板肉炒め』
(画像は『フーズチャネル』内「ビーフキッチンスタンド」記事より引用※とん平の鉄板焼ではありませんがめちゃくちゃこんな感じです)
そんな、豊田本町の駅から直線距離で1kmも離れていないところには『サモア』というアーケード商店街があります。これは内田橋ストアというトスカの親みたいなショッピングセンターを中心に南北に伸びた商店の集まり。その中でも最北端、まさに内田橋の近くに店を構えるのが『とんかつ とん平』です。
ここはとにかくスタミナがつく料理ばかり。元気いっぱいの旦那さんと、その数倍の元気を放ち続けるおかみさんのふたりが愛想はないがきっぷはいいかんじでテキパキと洋食を出してくれます。メインはとんかつなのですが、ぼくはなぜか子供の頃とんかつが苦手で、ハンバーグばかりたべていました。
しかしここでハンバーグをおすすめしないのには理由があります。あれは高校2年生のとき。毎晩一緒に飲んでいたレコード屋の店長とふたり、いつも行く「ふじい」にも飽きたな、とはいえ「図呆羅村」は出禁だし…なんていってて「そうだとん平で飲もう」という運びになりました。
そのとき、さすがにビールでハンバーグ、というのも変だなとおもい、つまみになりそうな鉄板焼を頼んだんですね。そうしたらあなた!いい酒のツマミはごはんのおかずになるとはいいますが、まさしくこの鉄板肉炒めがその王道でして。飲みのアテにはもちろん、ごはんがススム君なんです。
これをしったらハンバーグなんて、ガキ臭くて食べてられません。そう、とん平の鉄板肉炒めはぼくにとって大人の階段の一段目だったのかもしれません。
第八位:あさくまの『学生ステーキ』
(画像は『アトラスウェブブログ2.』より引用)
子供の頃、月に一回ぐらい外食に連れて行ってもらえる機会に恵まれていました。「今夜はどうする?」「めんどくさいし外食にするか」「わーい!外食!」そんなほのぼのとする昭和の風景がぼくの家にもあったのです。
そしてRUSSIAN ROULETTEのようにいくつかの選択肢から「店」が決められるのですが、ぼくがいちばん喜んだのは「ステーキのあさくま」でした。中流家庭なりに舌が肥えていった親は渋い顔をしますが、小学校低学年ぐらいのぼくにとっては関係ありません。むしろ高級なお店の“本物”のステーキよりも、あさくまの“本物風”のほうがリアルだった。
そんなあさくまで必ず注文していたのが『学生ステーキ』です。この学生ステーキ、もともとはお金のない学生さんにもステーキを楽しんでもらいたい、ということで考案されたハンバーグ。つなぎをつかわず、肉の赤身と脂身をミックスしてつくるうちに、なんということか本物の肉より美味しくなってしまったという(笑)。
子どもの頃のぼくはこの学生ステーキがスキでスキでスキトキメキトキスでした。あさくまへいくと必ず学生ステーキ。「もっと旨いもんたのみゃあ」と言われても「いえ、自分のようなものにはこれで十分ですから」と学生ステーキ一択の人生を貫いてきました。
その後あさくまは経営者がかわったりいろいろごたついてるみたいですが、最近では東京にも進出。学生ステーキも名前を「学生ハンバーグ」と変えて(おそらくいろいろ世知辛い事情に巻き込まれたんでしょうね、これをステーキと呼んではならぬ、とかね。ほんとうにうるさい人、情緒のない人、メリットデメリットでしか考えない人、正論を押し通そうとする人が増えました)健在のようです。関東近郊の方もぜひ一度、お試しください。
第九位:紫園の『チャーハン』
(画像は『タムラブログ』より引用※紫園のチャーハンじゃないのですがマジほんとこんな感じで思わず涙ぐみました)
その昔、豊田本町の裏手のほうは街灯も少なく、夜ともなると漆黒の闇に包まれるゴッサムシティでした。そんな暗闇のなか、ぽっと赤い灯りを灯すのがいまでいうところの町中華、紫園(しえん)です。
ここは何を食べてもうまかったのですが、全般油が濃いめです。ラーメンも八宝菜も焼きそばも餃子も、すべてが一回ラードでコーティングされているみたい。そしてそれがなんともいえずうまかった。当時は小学校低学年ですから酒はさすがに飲んでいませんが、おそらくビールによく合ったんだろうなあ、とおもいます。
そんな紫園の中でひときわ子ども心を掴んだのは、なにを隠そうチャーハンでした。細身でダンディなマスター(俳優でいうと林隆三みたいな感じ?)がくわえタバコで「ガコ、ガコ」とチャン鍋をふるう姿を覚えています。タバコくわえていないときは口笛を吹きながら、この世のものとは思えない絶品チャーハンをつくるマスター。それをニコニコしながら運んでくる、欧陽菲菲みたいなママ。
テーブルには父親が飲むビールと餃子。母親は何食べてたっけ?八宝菜かな。昭和の名古屋の、そんなに裕福ではないけど決して貧しくない家族のとっておきの外食。そこにはゆったりと幸せが流れていました。
もしかすると、その幸せが、美味しさだったのかもしれません。
第十位:ふじいの『おにぎり弁当』
(画像は『食べログ』伊勢屋餅菓子店からやっぱりモツが好きさんの写真を引用※もちろんふじいのおにぎり弁当ではありませんが非常に近似値です)
第七位でも名前が出てきた「ふじい」は豊田本町の仲間(主に「トスカ」に出入りする若者集団。ぼくの父親はここの番長みたいな存在でした)が修行から帰ってきてオープンした小料理屋。ここのマスターのきよくんは若い頃から街の人気者で、あっという間に地元の常連で埋まる人気店になりました。ぼくも小さいときからよくかわいがってもらったものです。
高校入ったぐらいから通いはじめ、高3の頃はほとんど毎晩足を運んでいましたね。口は悪いけど心は綺麗なきよくんのつくる料理はその人柄がにじみ出るようで、なんでも旨い。ぼくが東京に行くときは常連さんたちで送別会を開いてくれて、飲んで食べての大宴会でした。
とにかくその頃は何がなんでも東京へ行くのだ、という強迫観念にとらわれると同時に、豊田本町での生活が心地よすぎて、非常に心理的に揺れていました。いざ上京したものの、それまで何不自由なく生活できていたのがとたんに不自由になり、行きつけの店もなく、知り合いも友人も誰もいない。孤独で寂しい生活がはじまりました。
なので、すぐに名古屋に帰ったんですね。3月の末に上京して、5月の連休にはもう帰名。なにしとんねんって感じなのですが、帰ったらすぐその足でふじいにいきました。もちろんふじいでは粋がって「いかに東京が素晴らしいか」ペラペラ中身のない自慢話をしたものです。
そして、3日ほど滞在して、その夜の最終電車で東京に戻るという時にもぼくはふじいにいました。「ヒロミチおまえ、本当は東京戻りたくないんだろう?」きよくんがぼそっといいます。
「なにいっとるの、そんなわけないでしょう」思わず図星だったので慌てて否定します。「ほうか、ならええけど。えらかったらいつでももどってりゃあよ」えらかったら、というのは名古屋弁でしんどかったらという意味です。ぼくはなんとなく鼻の奥がツンとしてきたので「もう行くわ。電車なくなるで」とカウンターを立ちました。
するときよくんが「これ、もってきゃあ。新幹線で食べると良いわ」と小さな包みをわたしてくれました。中身はおにぎり3つとぼくがふじいで一番好きな唐揚げ、ウインナー、卵焼き。「ありがとう」とお礼をいって、ボストンバックに包みを入れ、名古屋駅に向かいました。
静岡のあたりで缶ビールと一緒に食べたきよくんのおにぎりは、ちょっとしょっぱかったです。よく小説かなにかで涙のぶん塩味がうんぬん、みたいな表現がありますが、これってそうなのかな。そんなふうに思いました。
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なんだか六位から後半は思い出話になってしまいましたが、以上がぼくの名古屋めしベストテンです。七五三家はまだありますが、いっちゃんは亡くなりました。とんぺいはネットで調べた限り、休業中だそうです。あさくまは書いたとおり現役でがんばっていますが、紫園はもうありません。ふじいのきよくんも虹の橋を渡ってしまいました。まだ若いのに…
思い出は美味しさを何倍にも膨らませてくれますね。そしてもう二度と味わえないとなると、さらに極上の美味しさとなって、心に蘇ります。
いま、コロナで本当に大変なおもいをしている飲食店のみなさん、なんとかふんばってください。がんばってください。そして常連とまでいかなくても「あの店のあの味スキだな」ってお店を持っているあなた。その美味しさが思い出になってしまわぬように、テイクアウトなり営業時間制限なりあるとおもいますが、できる限りの応援をぜひぜひ。