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ポンコツMac Book Pro

相棒のフォトグラファーが10日間ほど海外(しかもモンゴル)へ出かけるとのことで、久しぶりにまとまった夏休みが取れた。

僕の仕事の7割は何らかの取材記事であり、ほぼ100%撮影がついてくる。ところが世の発注者は腕がよくリーズナブルなフォトグラファーの伝手を持っていない。たいがいは「どなたかいい人知りませんか?」ということになり、古くからタッグを組んでいる彼女とのセット販売(?)になるのだ。もちろんその逆もある。

つまり片方がいないと取材記事のご依頼は受けられないに等しい。文字通り仕事にならないのだ。しかも残りの3割のインナーブランディングの仕事もうまい具合に谷間に入っていた。これは僥倖と言ってもいいだろう。

思いがけず何もすることのない5連休という贅沢な時間が生まれた。こういうときこそまるで何もしないというのが社会人35年生の正しい姿勢である。一切の予定を入れず、日々、流されるままにじかんを過ごしている。素晴らしい日々である。

ただし予定がないからと言って何もしないわけではない。溜まっている本を読んだり(古舘伊知郎さんの本とか)読んだ本の感想文を書いたり(古舘伊知郎さんの本とか)陽が高いうちからウィスキーのソーダ割(これはラフロイグに限る)を飲んだりと、まあ、そこそこ忙しいわけです。

そんな隙を縫って、せっかくだから普段やれないことを、と書棚の片隅で死んでいるMacBook Proを引っ張り出してきた。

予てからやろうやろうと思いつつ腰が重かった「初期化」にトライすることにしたのだ。


僕のMacBook Proは今をさること11年ほど前、前職を辞めたきっかけで購入した。5年を目処に独立しよう、フリーランスといえばMBPでしょう、という思い込みからである。

わが家にとってはiMac(ボンダイブルー)以来のアップルコンピュータということで、買ったばかりの頃はキャッキャいっていじり倒していた。

ところがそれほど時間を空けずして、めちゃくちゃ使いづらいマシンと化してしまう。

とにかく重い。何をやらせても重い。反応が鈍いのである。

まず電源を入れてから立ち上がるまでが長い。いつまで経っても使えるようにならない。画面こそスタンバイOKなのに、どこをクリックしてもクルクルくるくると小さな虹の円が回り続ける。

全く反応しないのでこちらもイラッとしてきて、再起動してやろう、と決心する。しかし再起動しようにもアップルマークも反応しない。やむなく物理スイッチを押すしかないが、どこのものの本にも「物理スイッチでの強制終了はデータ破損の恐れが…」などと脅し文句が書かれている。そして僕は途方に暮れる。

そのうちどう考えても会社(転職先)支給のWindowsマシンの方が軽くて早くて使いやすい、ということになり、家で作業する場合でも許可をもらってPCを持ち帰るようになった。

さあ、そうなるとますます立場がなくなるMacBook Pro。

会社のマシン、別名社畜PCは電源オン即座にメールチェック可能、ワードやエクセル、パワポもサクサク立ち上がる。もうマックの「ジャーン」という起動音にも心ときめかなくなるわけだ。

MacBook Proの方はそんな状況下に置かれていることなどつゆ知らずなのか、相変わらずゆっくりのんびりだ。起動したまま放置して、すっかり忘れた頃にふと見るとまだ虹の円がくるくる回っている始末。

どんどんMacBook Proの出番がなくなっていき、しまいにはコロナ渦で自宅作業の比率が上がったことから僕はとうとうiPadを購入した。iPadはMBPと比較すると神機だ。Magic Keyboardを使えばスマホ感覚とPCの利便性が同時に味わえる。

そしてMacBook Proは書棚の片隅に眠ることになる。仕事で使えないどころか趣味にだって使えない。どれだけウィーフィーの速度が速くてもブラウザが立ち上がらないのでは話にならない。


もちろん僕も何もせず手を拱いていたわけではない。「Mac 重い」とか「Mac すぐ固まる」と言った単価の低いキーワードで検索して、対処法をいろいろ試してみた。しかしどれも一時的な改善の兆しが見えたか見えないか。見えなかったんですけどね。

残されている手段はただ一つ、初期化である。初期化とは、よくわからないが工場出荷時に戻すことのようで、これを成功させれば哀れMacBook Proはわが家においでになったあの頃のMacBook Proに戻れるはずだ。

しかし、ネットで調べて入手できるどの情報を見ても、何が何だかさっぱりわからない。わかったのはいろいろ手順を踏んでリスクヘッジをしないととんでもなく「失敗」するらしいということだ。しかもなんだかんだ時間が相当かかるとある。一日がかりで取り組むビッグプロジェクトなわけだ。

そりゃ腰も重くなりますよね。
朝から晩まで何にもしない日が来ないことにはやる気になりません。

つまり時はきた、というわけだ。


夏休みの初日、午前中からビールを飲みたい気持ちをぐっと堪えて作業を開始する。ハード自体が古い上にOSもCatalinaなので数少ない参考情報をもとに、ディスクユーティリティをいろいろといじる。途中、予想通り何度かつまづいたものの何とか初期化は終わった。

ところがmac OSの再インストールがうまくいかない。何度トライしても「適していないので無理です」とはじかれてしまう。仕方なくディスクユーティリティに戻って復元したり、もう一度削除したり、消去したり手あたり次第に試したみた。

するとどうしたことでしょう、奇跡が起こった。急にするすると再インストールできたのだ。

この時点で作業開始から10時間が経過していたから一日仕事とは言い過ぎではない。もちろん10時間ずっとかかりきりではなくて本を読んだりnote(古舘伊知郎さんの読書感想文)を書いたり、途中からはウィスキーのハイボールを飲んだりもしていた。

とにもかくにも初期化はこれにて完了である。ナビゲーションに従って情報を入力し、晴れて新たに命を吹き込まれたMacBook Pro。これからまたガシガシ使い倒してやるぜ!よろしくな!


あれから5日。生まれ変わったMacBook Proは、なぜか相変わらず鈍重なままである。

電源を入れる。

ジャーン!

………

全然起動しない。無軌道なのは若者の特権だが、こっちは無起動である。無起動戦士ガンダム・愛…しりそめし頃に…だ(そんなのないけど)。

かなり時間をかけたのち、ようやく画面があらわれてメニューバーにアイコンが並ぶ。しかしそのどこをクリックしても何もはじまらない。5分ほどしてあらためてカーソルを動かすとまた例の小さな虹の円がくるくる回っている。

あきらめた頃にブラウザを立ち上げようとしてもこれまた一筋縄ではいかない。何度も何度も念をこめてクリックし続けること。そうすることでいつかきっと、グーグルチョロメはいつもの笑顔を見せてくれる。しかし、チョロメのタブの「+」を押せども押せども無反応だ。

勘のいい読者の方はお気づきかもしれないが、勘のよくない読者も気づいていることだろう。5日前とまったく何も変わっていないのである。

やれやれ。


この話はこれでおしまいである。であるが今回の騒動で一つだけ、発見があった。

それは、キーボードのタッチの心地よさである。

ふだん仕事で使っている社畜PCはキーの叩きすぎで数カ所、バカになっている。そのため外付けキーボードを使っているのだが、安物なのであまりタッチフィールはよろしくない。

そして主にnoteを書く時に使うiPadのMagic Keyboardは携帯性優先でお世辞にも打ち心地を考慮しているとは言えない。

それに比べると、いや、その2つを経験してきたからこそわかるのかもしれないが、MacBook Proのキーボードの滑らかさと言ったら。絶妙なキーの間隔、叩いた返しの速度、適度なクッション。どれをとっても書く快感、脳に直結している。

実はいま、この文章もMacBook Proで書いている。気のせいかもしれないがいつもより筆の滑りがいい。

苦労して初期化した割に調べ物には使えない。メモリに負荷をかけるような作業もとてもじゃないがさせられない。ポンコツぶりは健在だ。しかしそれでもせめてnote専用機として余生を過ごすほうが本棚の一番下で眠るよりマシだろう。

電源を入れてからnoteが立ち上がるまでの待ち時間は前田将多さんの『カウボーイ・サマー』1DAY分を読むのにぴったりだ。

田所敦嗣さんの『スローシャッター』のうちの一章分を読むのにも適している。

ちょうどいいじゃないか、と思うのだが、みなさんはどう思いますか。

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