審美眼を磨く方法はひとつだよ、菊ちゃん
その昔、まだ僕の部署が8人ぐらいだった頃、その男は新卒として入社してきました。彼の名前は菊ちゃん。優秀そうな若い男子にありがちな、ちょっと斜に構えたというか、ネガティブなオーラを放っていた駆け出しコピーライターです。
菊ちゃんにはいろんな相談をぶつけられました。
「新卒者が中途採用の広告を作れるのか」
「才能がない場合はどうしたらいいのか」
「経験者の気持ちはどうしたらわかるか」
「興味のない業界の場合、どうすべきか」
「そもそも人間に興味関心がないのだが」
ないのだが、とか言われても困るのだが、まあさすがネガティブベイベーだけに質問が鋭いといいますか、思わず一緒に腕を組んで「そうだよなあ、どうしたらいいんだろうな」と頭を抱えてしまうことも一度や二度ではありません。
そんなある日、菊ちゃんが珍しく目を輝かせて僕のところに来ました。
「ハヤカワさん、わかりました!僕に足りないものが何か」
お、おう。
そうなんだ。
俺は素直さだと思ってるんだが
それはいったい、なにかな?
「シンビガンです!」
ん?なにガン?
「シンビガンですよ、審美眼!」
なるほど今度は自分の仕事がうまくいかない理由を審美眼に寄せにいったか。審美眼ねぇ。そんなもん俺だってないわ、と思いつつ話の続きを聞いていきます。
「そこでハヤカワさんに相談です!」
とてもまっすぐな目。菊ちゃんもメンタル上向きなときはかわいいところあるんだけどなぁ。
「審美眼はどうやったら養えますか?」
そ、そうだな、審美眼はあれだ、まずはアイランドタワーの2階にある眼科(現在は営業していません)に行ってだな、視力検査をしてもらうところからはじめるんだ。そうして処方箋を書いてもらってその足でキクチメガネに行ってつくってもらおう。審美眼を。な。
と、いうようなジョークが通じる相手ではありません。僕はちょっと考えさせて、とお願いして審美眼のつくり方について思考を巡らせることになりました。
そもそも審美眼ってなんだ?
手元にある辞書をひいてみます。
うん、これによると、美しいかそうでないかを見分ける眼、ということになりますね。菊ちゃんがいいたいのは美しいかどうかの判断軸が欲しい、ということなんだろう。
もっというといい求人広告とそうでない求人広告を見極める判断軸、ということだな。しかもかなり感覚的な軸。定量ではなく定性での軸。センスみたいなものか。
そうか、センスか。
と、いうことで翌日菊ちゃんを呼んで伝えてみました。
「菊ちゃん、審美眼を養うことはセンスを磨くこととイコールだよ」
すると菊ちゃんは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして数秒だまりこくり、その後にこう言言い放ちます。
「じゃあセンスの磨き方を教えてください」
なんだこいつ。
なぜなぜ坊やか。
なんか腹立ってきた。
いまなら「これでも読んどけ」と水野学先生の『センスは知識からはじまる』を渡しておしまいにするところであるが、残念ながらその本が出版されるのは11年後です。
仕方がないのでそのときのセンスに対する持論を開陳するしかありませんでした。
もちろんそんな詭弁では納得しないのが菊ちゃんです。
おそらくその時も「ケッ、また適当なことで言いくるめようとしやがって。僕は審美眼の養い方を知りたかったのに。知らないなら知らないって正直に言えよな。これだから大人は信用できないんだよ。特に偉そうな大人はさ」というようなことを思ったのでしょう。
菊ちゃんは汚いものでも見るかのようなまなざしを僕に向けたかと思うとプイッと自分のデスクに帰っていきました。
やれやれ。
それから21年(ええっ!?もう21年も経っちゃったの!?)。来年の頭に予定されている中小企業向けのオンライン勉強会の資料を作っているときに、ふと頭に浮かんだことがあります。
その勉強会は「効果の出る求人票の作り方」というテーマの講座で、誰か書いても似たり寄ったりになったり、あるいは極端にツンデレな情報提供になりがちな無機質極まりない求人票を少しでもいきいきとしたコミュニケーションツールにアレンジしましょう、という内容であれこれレクチャーするものです。
その資料作成の過程で、そもそもその情報が価値があるかどうか、採用上魅力に映るかどうかを判断する眼がいるなあ、と思ったんです。そして審美眼だよなあ、という言葉とともにあのときの菊ちゃんのまなざしを思い出したのです。
そしてあらためて落ち着いて考えてみました。審美眼の養い方。決してセンスの磨き方なんかに話をズラさずに。
結論、審美眼の養い方はひとつ。
それは、尋常じゃないぐらいたくさんのいいものを見ることに尽きます。
求人広告なら効果の高い求人広告を。
料理なら美味の誉高い名店の料理を。
音楽ならジャンルを問わずに名曲を。
絵画なら世の名作をかたっぱしから。
それはドラマでも映画でも文学作品でも同じ。インプットの質を高めつつ量をこなすことにほかならないのです。そうすることで自分の中に「これはいい」「これはよくない」という客観的な基準が芽生える。それしかありません。
僕はスパルタンな広告制作プロダクション勤務のおかげで本当に死ぬほど70年代から80年代のコピー年鑑をディープラーニングしたものです。それがなんらかの形で求人広告づくりに活かされていたのです。
いまなら菊ちゃんに正面から答えてあげます。
「菊ちゃん、審美眼を養うにはインプットを質量ともに増やすことだよ」
心の中で菊ちゃんに語りかけると、こう返されました。
「質と量はどっちが先なんですか?」
「質の前に量やると悪い癖つきません?」
「量やってる時間ないんで質を先に教えて」
僕の妄想の中での菊ちゃんは健在でした。
こういうメンバーに育ててもらえた僕は幸せものです。