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ライターって無口な人が向いてるの?
こないだ、と言っても一年ぐらい前の話。銀座で取材を終えて新橋から山手線に乗ってオフィスに戻る道中での出来事。
平日の昼下がり、うららかな陽が差し込む山手線外回りの車内は空いていた。浜松町だか田町あたりでふたり組の中年男性が乗り込んできて、ぼくの隣に座った。他にもいくつか空きはあったのに、なぜか。これが噂のトナラーか。
ふたりはいかにもカタカナ職業風の雰囲気をまとっていた。20年ほど前に比べるとカタギの衆と業界人との区別がつきにくい世の中になったがそれでも独特の“気”を放っていた。長らくこの手の仕事をやっている者にはわかる、あの感じである。
ひとりは年齢にふさわしくないロン毛&ヒゲの痩せ型。こいつはアートディレクターっぽいな。もうひとりはトレーナーを着て比較的ガッチリした体型の童顔。こっちはプロデューサーかプランナーかな。代理店によくいるタイプだな。
そう思いながら読みかけの『傲慢と善良』に目を落とすと、割と大きめの音量で彼らの会話が耳に入ってくる。聞き耳を立てるまでもなく、向こうからぶるぶると鼓膜を震わせてくるのだ。
それは「お前さ、いつまでいるの?■■■も先月独立したよね」からはじまり、某コンビニは例の件から着手金を払わなくなったのでおいしくないだの、コピーライターのOさんってああ見えてめっちゃ金に汚いだの、でるわでるわ、業界裏話といいますかホットゴシップといいますか。
まあ一般の人からしたらほんとどーでもいい広告村の話だからいいのかもしれませんが聞く人が聞いたらわかるレベルの話を普通の解像度で語っていて、大丈夫なのかなと。ビジネスパーソンとしてのリテラシーとは、と思わずにはいられなかったわけで。
その後もあいつがどうしたとかこの会社はもうやべえとか、あの広告賞は●ソだとか政治が絡んでるとか、業界裏話はプランナー風が恵比寿で下車するまで続いていた。
ぼくはハルキズム(やれやれと口にすること)を発動しながら仕事場に戻り、うっすら聴こてきたアートディレクター風の苗字をググったら一発であっこの顔この顔ビンゴ!えっ?聞いたことあるぞとあわてて業界誌のバックナンバーを漁ると、結構名前も顔も売れてる人でした。
ダメでしょ。公衆の面前であんな暴露話。
わかってはいるけど、この件はめちゃくちゃ反面教師である。どこで、どんなヤツが自分の話を聞いているかわかったもんじゃないのがこのご時世。新卒として社会に出てからずっとリモートワークでごわす、というゴキゲンなビジネスヤングは特に注意されたし、である。
壁に耳あり障子にメアリー・J.ブライジ。
狭い世の中、広いようで狭い。
このおしゃべり広告マンの一件をきっかけにふと、思った。
そういえばクリエイターって、とりわけコピーライターって、っていうかライター全般って無口であるとか、言葉数が少ないことが美徳みたいな風潮、あったよなあと。
ライターは黙って文章で勝負。ベラベラ喋るヤツは発散型で内省することがないから向いてない。口じゃなくて筆で語れ。みたいな。
あれはいま、どうなんすかね。
ぼくは昔からよくしゃべるほうです。おしゃべりか、といわれれば、ヘドバンするレベル。だって本当におしゃべりだもん。そしてそのことをわかっていて恥に感じていた。
と、いうのもこの世界に入ってからずっと、お前ってしゃべるのだけは一人前な、と言われ続けてきたから。ぼくがデビューした36年前は少なくとも本当にライター稼業は無口がデファクトスタンダードだったのだ。
そのおかげでずいぶんとバカにされたり見込みがないと思われたりしてきたのだが、実際にバカだったし見込みもなかったので反論もできず。
コピーや文章が上手くなるためには、まず自分のおしゃべり癖を封印せねばならん、と一時は真剣に思っていた。
そして鏡にむかって苦み走った表情を映しながら、よし、こんな感じで明日から職場にいこう、と誓っておふとんに入るのだが、翌朝出社した瞬間に「おはよう!ゆうべの『IQエンジン』でさあ」みたいな感じでおしゃべりがはじまる。そして自己嫌悪というスパイラルだった。
その後、紆余曲折あってしゃべるスキルが思いっきり活かせる水商売に身をやつし、さらにいろいろあって30歳でネット求人広告ベンチャーに飛び込んだら、ここがあなた大阪出自の会社だけあって喋ってナンボの世界。ド営業会社ならどこでもそうだが沈黙は死を意味していた。逆にべしゃり上手はそれだけで評価に下駄が履かされるほど。
そのうえコピーライターになりたいと入社してくる人間の8割ぐらいはどっちかというと草食系のおとなしいタイプだったので、ぼくは口が立つというだけで希少価値としてもてはやされた。
ああ、俺、ダメじゃなかったんだ。
おしゃべりでよかったんだ。
今日ですべてが終わるさ〜今日ですべてが変わる〜🎵と、泉谷しげるの『春夏秋冬』を歌いながら新宿アイランドタワーに通う日々が続いていました。
で、いま。
どうなんでしょうか、界隈では。
ライター界の重鎮、古賀史健さんが著した全雑文家必読のバイブル『取材・執筆・推敲』にはこう書いてあります。
そもそもライターとは無口な人間である。
章の書き出し1行目。
ズバリひと言で喝破されていた。
ううむ…やはりそうなのか。モノカキ稼業は無口が良しとされるのか。文章で饒舌、弁舌は寡黙という古きよきスタイルは継承されつつあるのか。
ま、そのほうが怪我はしないよね。
舌禍という言葉もあるぐらいだし。
無口のほうが信頼できそうだしね。
と、いうことで今夜も寝る前に鏡の前で苦み走った表情の練習をして、明日からは大崎の朴念仁として新しい人生を切り拓くつもりです。おやすみなさい!
そしてきっと明日も朝から元気よくおしゃべりするんだろうな、と思います。
だからだめなんだ俺、とクライアントからの赤字がびっしり入ったGoogle documentを前に途方に暮れるのでした。
前略、おふくろ様。
もしかして俺、ライター向いてないのかもしれません。