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キリスト教の脱構築

1.       はじめに
 本レポートの目的は、無条件の愛(信仰義認)について論じることにある。論じるために、無条件の愛を脱構築した。その結果、無条件の愛が存在し得るのは、無条件の愛に根本的な価値があるからではなく、社会に悪があるからということが明らかになった。
 本レポートの構成は次のようになっている。第2章では、無条件の愛の他者性を考察する。第3章では、超越論的に考える。第4章では、極端化する。第5章では、まとめの今後の課題について述べる。

2.       無条件の愛の他者性
 他者性とは、二項対立における相手である。したがって、無条件の愛の他者性は条件付きの愛である。無条件の愛と条件付きの愛について、具体例を用いて説明する。私は、日本共産党の下部組織である民青同盟に所属していた。その活動の一環として、日本共産党の綱領を学習していた。その際に、担当員が私にお茶や食事を差し入れてくださることがあった。それらをいただいたときには、私の学習を応援してくださるのだなと無条件の愛を感じた。しかし、三回目の学習の際に、いつもより豪華な食事をいただいた後、入党を勧められた。ここで、私は条件付きの愛を感じた。つまり、入党してほしいから食事を与えるという論理だ。これが、無条件の愛の他者性である条件付きの愛である。

3.       無条件の愛についての超越論的考察
 超越論的とは、「根本的」という意味である。つまり無条件の愛について根本的に考える。そもそも、無条件の愛は条件付きの愛のアンチテーゼとして誕生した。つまり、等価交換の原則を人間関係に当てはめた結果、存在不安が生まれ、無条件の愛が価値を持った。ここで注目すべきことは、無条件の愛が絶対的な価値を持っているわけではないということだ。自分が、他者の存在によって初めて規定されるように、条件付きの愛という他者性があるから、無条件の愛が価値を持つのだ。

4.       無条件の愛の極端化
 「条件付きの愛が存在するから、無条件の愛が価値を持つ。」を極端化すると、「条件付きの愛のおかげで、無条件の愛が存在する。つまり、無条件の愛は条件付きの愛に対して、従属的である。」といえる。また、条件付きの愛における存在不安は、社会に本来的に存在する悪といえる。なぜなら、欲望を満たすことだけを考える人間が、等価交   換の原則を人間関係にまで適用したからだ。したがって、キリスト教(無条件の愛)が 繁栄してきたのは、無条件の愛に根本的な価値があるからではなく、社会に悪があるか らである。

5.       最後に
 本レポートでは、無条件の愛について脱構築しながら考察した。その結果、無条件の愛が存在し得るのは、無条件の愛に根本的な価値があるからではなく、社会に悪があるからということが明らかになった。
 最後に、本論文に残された課題について述べておく。本レポートでは、無条件の愛を脱構築するにとどまった。したがって、無条件の愛に従属される条件付きの愛を脱構築することが残された課題である。

参考文献
・千葉雅也、『現代思想入門』、講談社、2022年

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