日記

0925
祖父のところへ行った。祖父はたしか、前・天皇と学年が同じか数え年が同じか、という年齢なのでもう九十歳を超えていることになる。母、弟、祖父と連れだって、祖母が納骨されている寺に行った。祖母の骨はその寺院内にあるかもしれないし、あるいは別の場所にある集合墓地にあるかもしれないという。祖父母の家は大規模な運動公園の近くにあって、そこでは今、数年後の開催が決定したスポーツイベントのための新たな競技場が建設中だった。団地の一番上の階まで登って光景を見る。私と弟は息を切らしていた。


0924
弟と一緒に昼食を食べに出かける。しかし、目当てのラーメン屋の定休日に搗ちあってしまったため別の、油そば屋へ向かう。駐車場までの道案内を間違えてしまった。通っていた高校のそばにあるにもかかわらず、車でその道を通るのは(おそらく)はじめてのことだった。そのあと、弟と一緒にコメダで短歌をつくる。最初は交互に一句目、二句目、と続けていたが、途中から、弟が考えていることを中心にして共同で一首を完成させる方向へ変わっていった。四首ほどつくり、家の近くまで戻ってハンバーグを食べた。昨日散歩した道を車で帰る。


0923
本当は翌日から旅行に行くはずだったが、体調が不安だということで白紙にしてもらう。日中は高校時代の友人と会った。三人横並びで、喫茶店のカウンターでパフェを食べた。三人、それぞれの痛みや苦しみがあって、季節のパフェ。季節にはそぐわないいちごが頂上に乗っていて、ほとんど泣きそうな気持ちでパフェを食べた。

家に帰って、合宿で中断してしまった半歌仙を巻き直す。

一休さんもびっくり屏風突きぬけて桜

花の座に提出した句

むずかしい。

弟と一緒に花火をした。家から公園まで空っぽのバケツを持っていき、公園の蛇口から水を入れる。ベンチの周りには草が少なかった。実家には長いチャッカマンがなかったので、仏壇の蝋燭に火をつけるための長めのライターを拝借して、それで花火にいちいち火をつけた。燃えた。消えた。そうしているうちにライターの火はどんどん弱くなって、結局手持ちのビックライターで指を焦がしながら火をつける羽目になった。公園には私たち二人のほかに高校生三人組がいて、ずっと互いのことを牽制しあいながらそれぞれのグループを楽しんでいた。けれど買ってきた花火セットは少し量が多くて、結局途中からその高校生たちに声をかけて一緒に花火をした。一人帰って、高校生二人と弟と私で花火をした。高校生に年齢を聞くと「高校……三年生……?」というような返事が帰ってきたので、高校には通っていなかったのかもしれない。二人は私たちと同じ小・中に通っていたはずで、たしかに知っている名前の友人がいるとも聞いたけれど、概ね私や弟とは共通の知り合いがいないらしいということになった。解散して、火の弱くなったビックライターでタバコに火をつけた。弟と話した。それはもう、これまでにないほどに話した。家を出て、先に散歩に出ていた弟と合流して、花火を買って、一度家に帰って、公園に来てから二時間以上が経っていた。弟と並んで家に帰る。道路に出るとき、弟は急に左右に首を振ってあたりを見た。私はその動作にひどくびっくりしてしまったけれど、それはただ車がいないことを確認しただけだった。車がいないことを確認しただけだったのである。


0922
うなぎを食べた。近所のうなぎ屋はいつからか人気店になっていて、今日も昼の14時過ぎに並びはじめて15時に入店した。私たちのところで今日のうなぎが終わった。他にも、すやの栗きんとんや梨、いちじくを食べた。


0921
夕方、東京から実家に帰った。乗ろうと思っていた新幹線がどこにもいなくて、ホームを間違えたのかもしれないけれど、結局乗ろうと思っていた新幹線には乗れなかった。自由席で帰る。昼食は近所の寿司屋で1350円のちらし寿司を食べた。帆立の佃煮をはじめて口にした。気さくな店主だった。そういえばやけに譬え話の多い医者だった、火災報知器、リースのスーツ、ゴッホ。曰く、ひとまず私は私のしたいようにすればよいということであった。


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