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ほとんどすべての仕事は 「合作」であり「協業」である。

老犬介護のため、長期外出ができない状態の我が家。娘の夏休みの思い出を「行ける範囲」で作ろうと、近所で行われた花火大会に行ってきた。

花火大会と言えば、蒸し風呂のような環境で、激コミ、行列という最悪な状態を想定し、覚悟していた。ところが、想像以上に人波の整理がうまくされており、みなさんもお行儀よく振る舞っていたため、非常に楽しむことができた。

後で聞いた話によると、この手の大規模花火大会は運営費の半分以上が「警備費用」だそうだ。たしかに、要所には必ず警備員、警察が立っており、会場への入場、退出は非常にスムーズだった。

さて、このような大規模なイベントに行くと、ぼくは必ず主役より、脇役=スタッフの動きに注目してしまう。自分が常に主役ではなく脇役の人生を歩んできたからかもしれないが、脇役であるスタッフの動きや活躍が気になる。

なぜなら、世の中のあらゆることにおいて、主役だけ成り立つものなど一つもないからだ。もちろん主役がいなければ話にならないのですが、主役と脇役の双方がそれぞれ協力しあって初めて物事は動き出す。

社会で生きていくうえで、こういうバランス観はとても大切だよ・・・・と帰り道に娘に話してみた。

だが、話はすぐに自分のネイルチップのことについて変わってしまった。

娘が就職するころ、もう一度この糸井さんの話とともに、このことを伝えたい。

どれだけすごいだの偉大だの言われてても、個人ひとりのやれることは、あまり違わないんですよね。ナポレオンは、他人より睡眠時間が短いっていっても、ひとりで1日に48時間は起きていられません。一生のうちになにかできることの総量は、実はみんなたいして変わらないとも言えそうです。

じゃ、なんで、ひとりずつのちっぽけな人間が、歴史に残るようなことを成し遂げたのかといえば、「みんなでやったからできた」ということであります。代表者として発案者として責任者として首謀者として、その人の名が知られているということです。

 
学生時代に、誰にも頼らず、「ひとりでできるもん!」をまじめにやってきて、
どうだ、こんなにたくさんひとりでできるんだと、胸を張って自慢していたようなことを、そのまま続けていると社会では伸び悩むことになります。


社会は、個人的な優秀さを競い合う場ではなく、複数の人が力を合わせて、問題を解決する場なのです。「お手柄をあげたい!」という気持ちだけでは、他の人に味方になってもらえなくなります。

ほとんどすべての仕事は、「合作」であり「協業」です。

独立的に見える画家や音楽家などのアーティストでも、その作品ができたというだけでは、仕事になりません。たくさんの人気の助けが必要なのです。 ひとり時の人の身に備わった「実力」は、もちろんいつでも問われているでしょうが、もうひとつなにかを成すには「協力」という名の力が、とてもとても必要なのです。

抱きしめられたい。 (ほぼ日ブックス) 糸井重里

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