『やさしさをまとった殲滅の時代』

『やさしさをまとった殲滅の時代』

著者:堀井憲一郎

出版社:講談社(講談社現代新書)

発行年:2013年10月20日

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 00年代、人知れず進んだ大変革の正体!
 10桁だった携帯電話/日韓ワールドカップと呪いのオフ会/消えたダフ屋/涼宮ハルヒの出現/電車男の感動/明るいオタクの増殖/コミケという祝祭/ラノベを手放さない少年/ボーイズラブに耽溺する少女/情報誌の衰退/ロスジェネ/秋葉原事件/ブラック企業/ガラケーの退却/ステマ!と叫ぶ若者/管理される欲望/ゆとり教育

 本書は、『若者殺しの時代』(2006年)の続編と銘打っています。ゼロ年代は、私にとっては中学~高校~大学と通っていた牧歌的な時代と重なります。昔を振り返りつつ本書を読みました。堀井さん曰く、〈90年代末、そこにはまだアマゾンもiPodもグーグルもウィキペディアもなかった〉と……。確かに、それらは気づいたらもう生活に溶け込んでいて、もはや違和感なんて無いように思います。そう思うと、少し怖くなってきました。また、本書を読んで特に鮮明に思い出したのは、「電車男」でした。2004年か! ドラマみていました。懐かしい……。SNSの移り変わりがあったのも、この年代でした。mixiが始まったのは2004年からで、ツイッターの日本語版が始まったのが2008年という文章を読んで、「高校のときmixiやってたなあ」や「どういうきっかけでツイッターを始めたんだっけ」などと色々考えてしまいました。ラインも最初はガラケー(携帯電話)でやってたことも思い出しました。社会人1年目のことです。最後に、色々と思い出しながら読み進めているなか、著者は終盤でこういう提案をしていました。〈迷惑くらいはかけよう。〉〈恐るべき個への分断から、逃れて少し息をするには、それしかないのである。〉〈やさしさをまとった殲滅は想像しない。世界を大雑把にとらえない。自分の身のまわりから始末してくしかない。〉(p.200・p.201)この箇所は、2021年現在に読んでも考える余地のある提案だと思いました。

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