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『女人賛歌 甲斐庄楠音の生涯』

先日、東京ステーションギャラリーで観てきた甲斐荘楠音(かいのしょうただおと、本来は“甲斐荘”表記だが、自身で“甲斐庄”と表したよう)、作品群と人生があまりに印象的で、図書館で検索したら評伝があったから読んでみました。1987年に新潮社から出版された『女人賛歌 甲斐庄楠音の生涯』、著者は美術評論家の栗田勇氏。

・先日の展覧会の記録はこちら、開催は明日27日まで。

1980年代、楠音はすっかり忘れられた存在だったんですね。栗田氏は一枚の絵と出合って衝撃を受け、その人生をたどることに。

「めくるめくような女人群像のふきあげる暗い炎のなかで星雲のような輝くものは何か。その底によどんで、粘っこく渦巻くものは何か」

生々しい妖気と匂い、妖しい情念、西洋画的な日本画……といったわりにすぐ誰しもが感じる楠音的世界の感想から「なぜそうあらねばならなかったのか」を探っていく栗田さんの調査と芸術解釈がとにかく深く多彩で、すぐに引き込まれる。

楠音は明治27年生まれ(西暦だと1892年)、父が楠木正成の末裔(甲斐庄正秀)で裕福な家の子だった。木屋町御池から河原町三条にかけて広大な土地を所有、貸家が何百軒とあったというからスケールが違う。母方の祖父は御所奉公の士族でありつつ、狂言をたしなみ、ユーモアを解する人であったらしい。いかにも、という感じもするが想像がまったく出来ない世界だ。

御所とかかわりを持つ家に育った京都人としての少年時代がたっぷりと記述され、ここがまず読みごたえあり。彼自身の文章が多く引用される。父親は若い頃「辻切りにあつて死んだ者のゐる人だかりを嫌って」なんて記述がサラッと出てきて、そういう話を身近に聞いて育った時代と家のひとなんだよな、と実感すると彼の絵画を受け止める気持ちもまた違ってくるものだ。少年時代を過ごした明治末期の京都のまちや森の闇と光は今と比ぶべくもない濃さと深さ、鮮やかさだったろう。そして彼の文章、表記に独特のクセがあってそこも面白い。漢字の使い方や開き方、当て字にリズムがユニーク。士族なんていうと硬い感じもするが、かなりくだけた家風でもあったよう。

画壇デビューは大正7年(1918年)、第1回国展。あの『横櫛』だ。谷崎的デカダンスの見事な絵画化という世評に納得。以前はバックに「切られお富」が描かれていたんですねえ。

大正という時代が楠音を楠音たらしめていく。
このあたりの時代の説明、絵画以外も含めた新進芸術家たちの台頭がまさに才人鬼才の割拠という感じで、読んでいてワクワクする。彼らが交わしたであろう芸術論を著者の栗田さんが推論と想像を含めて書かれているくだりも熱を感じて読み入った。栗田さん自身がまるでその場にいたかのよう。
国展に「すでに巨匠にあった鏑木清方が朝一番にやってきて」熱心に見ていた、なんて箇所にもシビれる。すごい時代だ。

しかし楠音と榊原始更との関係は作品化したいと思う人、けっこういるのではないだろうか。実際どういうやり取りがなされたか現存する資料はあまりにも少ないだろうけれど。大正時代の若き芸術家同士の交情、79ページに掲載されたふたりの写真は文学的創作精神を持つ一部の人の心を強く刺激するはず。別れの記述がさらっとしていて、どんな「ひきしお」だったのだろうと想像してしまう。

そして有名な土田麦僊による「穢い絵」発言と拒絶。
ショックを受ける楠音に兄が「お前の絵一枚で、会場が穢くなるならたいしたものだ」と励ましたという箇所は栗田さんによる想像なのか分からないが、この一文は深く心に残った。

楠音は晩年、82歳で最後の展覧会を日本橋三越で開くが、そのとき「値段はどうつけましょう」と訊かれた折に「麦僊と同じや」と答えたとある。
同業者が後輩を評価する世界のむずかしさ……他業界でも多々あることで、似たような例をいくつか思い出しつつ読んだ。麦僊の真意やいかに。

感想は尽きない。
楠音が衣装考証家として活躍した映画黄金時代のことは、知ってる名前も増えてさらに面白く読んだ。溝口健二監督作『お遊さま』に出演しいているとは! 見直してみよう。とにかく溝口描く女の具現化には楠音が絶対に欠かせない存在だったようで、これほど深い関係とは知らなかった。所作に結髪指導までしていたとはね。そしてやはり楠音は日本舞踊を習ったひとであったが、流儀までは分からず残念。

川口松太郎が楠音という芸術家が忘れ去られることを心から惜しんでいたことを知る。高峰秀子は彼を人情家と評したが、栗田さんによるインタビューが実現していたらと思えてならない。

未完の大作『畜生塚』が栗田さんによって発見されるくだりは感動的、こんな映画みたいなことがあるものか。昭和53年(1983年)、楠音急逝のくだりが詳述されているのにも驚く。「大坪氏」なる人物にも栗田さんは会えたのだろう。

「甲斐庄の作品は、女の生理を描いた特殊性だけで私たちをうつのではない。じつは、その生理的な官能には、私たち日本人が、そして源氏絵から浮世絵をつらぬいてきた日本画の生理的伝統が、生々しく大正という装いのなかで京という土地で育てられ肉体を得てよみがえり血を噴き出しているのである」136ページ

『女人賛歌 甲斐庄楠音の生涯』

この本、どこからか復刊されないものか。復刊ドットコムのリンクを貼っておきますね。


著者の栗田勇さん、今年の5月に亡くなられたばかり。享年93と。
心より合掌。

東京ステーションギャラリーの展覧会は明日、8月27日まで。

https://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/202307_kainosho.html


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