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木久蔵ラーメン in ニューヨーク

きょうはニュースで知った芸能関係のことを。
テレビ番組『笑点』の大喜利メンバー、林家木久扇(はやしや・きくおう)さんが来年の3月で降板されるという。レギュラー出演は1969年以来、54年間にわたると知って驚嘆した。私が生まれたときにはすでにレギュラーか。現在は最古参だそう。

木久扇さんのニュースから私は、木久蔵ラーメンを思い出していた(木久扇さんは前名が木久蔵。きくぞうと読む)。以前に木久扇さんはラーメン店を経営していて、当時の『笑点』内では「まずい」「ひどい味」などとさんざんにからかわれていた。彼のwikiを読んでみたら「人食いワニに食べさせたらまずさのあまり死んだ」とかまで言われてたそうで、笑ってしまった(ワニ、というところがなんだかおかしい)。

実は私、この木久蔵ラーメンを食べている。
しかもなんとアメリカはニューヨークで。当時私は高校生で英会話に興味があり、親が某英会話学校に通わせてくれていた。その夏休み企画で、ニューヨーク校に2週間ほどホームステイしつつ通う、というのがあったのだ。時は31年前のこと。時代がまだよくて父の会社の景気もよく、行かせてもらえたのは幸運だった。

当時はいちばん映画を観ていた頃だから(当時の話題作は『羊たちの沈黙』とか『氷の微笑』とか、そんな時代)、ニューヨークのあちこちで「あの映画に出てきたところだ!」なんて感じまくり、歩いているだけで楽しくて、嬉しくて。しかし10日ぐらい過ぎたところで困ったのが、食べもの。どうにもこうにも体が日本の味を欲して欲して仕方ない。肉やマヨネーズやパンはもう心の底から「無理!」という気持ちになっていた。あんな欠乏というか窮乏感は以降感じたことがない。

ネット検索も出来ない時代、ニューヨーク校の周辺を歩き回ったら和食店と蕎麦屋さんがあったが、両方ともまあ高いこと。1食に2~3千円+チップまで出して食べたいとも思えず、そもそも「高い店」なんて日本ですらひとりで入ったこともないし、怖かった。

そんなとき見つけたのが木久蔵ラーメンのニューヨーク店である。何しろ31年前なので詳細は忘却の彼方だが、わりにカジュアルなつくりで清潔で、1杯千円はしなかった記憶がある。番組ではケチョンケチョンに言われていた味のほうも普通においしく、「ああ醤油の味だ、日本の食べものの香りだ!」と心底うれしくなった思いが海馬の奥に今も残っている。

だから今でも林家木久扇さんをテレビで見かけると、あのときのことがよみがえって懐かしい。ニューヨークでお店を経営するなんて大変だったろうに、出店してくださってありがとうございました。私の滞在、残り3日間ぐらいを頑張れる元気はあの1杯からもらったもの。写真が残っていないのが残念でならない。撮影が気軽にできる時代じゃまだなかった。確か「写ルンです」を持っていったんだよなあ。レスポのバッグに着替えを詰めていた。

話は最初に戻る。ニュース記事では木久扇さんが「別に落語家やめるわけじゃないですよ!」と述べられていた。「後進に道をゆずるの大事」とも。なかなか出来ることじゃないですよね、道をゆずるって。すごい。
いつまでもお元気でいてください、木久扇さん。

記録:月曜。涼しい朝、公園での30分ウォーキング再開。気持ちよく汗をかいて帰宅、再放送してる『あまちゃん』を見ていたら薬師丸ひろ子演じる鈴鹿ひろ美が「毎朝1時間のウォーキングは欠かさない」とのたまってて、もっと運動しなきゃなと刺激を受ける。
このところしっかり寝て、食べていても体の疲労感が抜けない。だからより運動量増やして、ぐっすり寝られるようにせねばと思い、やっている。
折よく稽古日。先生の都合もあって2週間以上も空いてしまったが、わりに清元『北州』おぼえてた自分えらい。昼間はきっちり猛暑。
スタミナつけたくなって『いきなりステーキ』のフィレを自分に奮発した。
夜はひやむぎゆでて、夏野菜のカレーつけめんにする。

わりとツレに好評だったのでまた作ろう。カレーをめんつゆで割ってサラッと汁ものにする感じです。具はなす、オクラにミニトマト、ピーマン、玉ねぎ、舞茸で。

眠くてなって夜9時には就寝。

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