本を読んだメモ
最近一冊の本がだいたい2日間くらいで読める。(SNSデトックスのおかげ👏)
そして気になった・響いたページは折り目をつけて、のちにもう一度開いて線を引く。そこから自分の考えや想いを書き込んだり、人に話したりする。そしてその本は自分の愛おしい本棚へ帰っていく。
ちょっと線を引くペースが尋常じゃなくなってきて、あ、それだけ大事な本なのやなあと思うので、それらはちょっと記録としても残しておこうという取り組み。読書メモ、読書録っていうんですかね、こういうの💡
お時間ある方、お付き合いくださいませ^^
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◾️読んだ本
「先生、どうか皆の前でほめないでください
いい子症候群の若者たち」/ 金間大介さん
■ひとこと
若者やばい。で終わらない。大人や社会がそうたらしめているわけであり、みんなで一緒に「大事な日本のこと」として考えたい&問いたい気持ち。
■線を引いた箇所(22個)
・匿名にした途端手が挙がる
→「わたし」という存在でその場・この場にいてほしいと思うなぁ。
じぶんにとって匿名性が必要なシーンってむしろどこやろう?(問い💡)
・若者は自らの意思で自らの欲を満たす行為を恥ずかしいと考えている。(中略) どちらの意志により行動が発動するか。
→外的要因からの行為でもいいし、それはあっていい◎
でもそれが「すべて」になるのは危険すぎないか?っていうか自分どこいった?!ってなると思う。怒られちゃったり滑っちゃったり、あちゃまあってなることが、そんなに怖いこと、恐怖なのか??
ちょっといきすぎだよっていう声をもらえれば済む話なのでは?
その声をかけるのも、かけられるのも、それこそ経験。
ちょっとオーバーしてるでっていうのも伝えてあげるのにさえも「勇気」はいると思うけど、勇気の前に「リスクヘッジ」が作用しているのか??
※黙り込む国民、ニッポン・・?
・なぜ自分で決めることや提案することが怖いのか?(中略)
何かを選択することで、何らかの不利益が発生する可能性があると考えているなら、自分からは決めたくない、誰かに決めてもらったほうが楽だ、という心理が作用する。(中略)この心理は子どもだけではなく、大人になっても作用する
→一緒にチームでやるならば、一緒にやるならば、ぜひたくさん自分で決めてもらいたい。と私は強く思う。 というか子育てにおいて?人に対して自分はこれでしかないかもなあ。。
最大の「恐れ」は何なのやろう。(問い)
・会社のことを「きっちりと固定化された仕組み」のように考える傾向(中略)そうであってほしいという彼らの願望も含みつつ。
→これ、あんまり言語化されていないっていうか、表面化されていないだけで、すでに存在する会社・チーム・コミュニティならば、「こうあるべき」っていう考え方が自然と日本社会にはしみついている気がする。
そして整っていなければ、レベルが低い?未熟ととらえがちというか。
実はそうではなくて、「自分の中のカオスへの耐性」とか「創造力が足りひんだけ」なのではないかなあ。視野や目線がせまくなっちゃっていたりとか。 私自身もマイナスな方のジャッジによって決めつけそうになったときは、いや待てよ?って問いかけを持っていたいなあと思う。トレーニング🔥
そして固定化された仕組みを望むっていうのは、その通りにしておけば一人前になる、大丈夫怒られない、死なない みたいな一種の安全生存戦略なのかなとさえも思う。考えてつくっていくしかないよ、一緒にやっていこうね、の姿勢や関係性という環境を用意するだけではないかなあ。いるひとは。自分の中の大事な人生の核や芯は持っている上で。
・つまるところ、就職活動は学生と企業のだまし合いの場である。さあ、演技力勝負。(中略)インターンシップは既得権取り (中略)表面を大人のしてほしいように取り繕うことにかけては天才的だ
→批判たっぷりやけど、真実やと思う。自分が大学生の時にある有名企業さんの最終面接で、圧迫面接をくらったときに演じられない自分がいた。その場はショックや後悔は一ミリもなく、さようなら!やったなあ。
就職した会社の最終面接はシンプルに楽しかった。
そしてこれからよろしくお願いします!の握手を心の中からしていたなあ。
そのだまし合い合戦になっていることは、当の本人たちは自覚的なのだろうか。どっちも内心は、本心はどう感じているのやろうか。。そしてそれらは当人同士や友達同士、会社員同士で話されたり扱われることはあるのかな、一度でも。。。 演じざるをえない状況をつくるパワーはなにか。就職しないと、内定しないと死んでしまう(あかんやつになってしまう、耐えられない)追い込みの空気か?社会か、親か、友達か、仕組み。。。?
・自分からは決して提案も支持もしたくないのがいい子症候群のわかものたち
→これほんま。。。?リアル??
・どういう状態や状況を「安定」と思っているか?(中略)
社会に出てみないと、BtoB企業の強さを知るきっかけはなかなかない。(中略)
「安定」にはメンタル的な意味でのそれも多分に含まれている
→安定、という言葉を普段そんなに使わないからちょっと考えてみたい。
えーっと、、、火の車状態じゃないか?とか、、? 毎年新卒を採用できているかどうか?とかしか思いつかない。。
BtoBの強さっていうのは、本当に就職活動時には意識がなかったけど、働いてみて飛び込んでみてすごく感じた。見えへんだけなんやなあって。
そしてメンタルの安定は外部に求めるものではなく、自己で確立・育んでいくものやと個人的には思っている。もちろん所属する環境・主に人間関係(社内がおも?)は大事なのだが、外にいる悪者のせいにだけする思考がベースにあるような気がするなあ。。なんやろな、これもまた敵対視? 自分とその人の可能性や、関係性を育んでいけるっていうエフィカシー・経験値というか。。
・ヨコからタテへの漠然とした恐怖
小学校に入学して以来、彼らの世界は基本的に同級生で埋め尽くされる(中略)ヨコの平等圧力は年々高まってきている。
→よく考えれば不思議かもなあ。同じ年齢の子しかいちゃいけない、ってまあそんな強制ルールってなくてもいいなあ。小学生からずっと疑問に感じたことはなかったけど。大学に入ってから浪人生っていう存在を初めて知ったくらい。 そして小学校・中学校とかは特に、横並びで悪いように目立つな、の意識も強い気がするな。でも抜きでろって社会は言っているような気がするなあ。みんなできることはみんなできるはずだ、の意識も?
会社入った瞬間そんな厳しくなる、するのなんでなんやろう。お金もらっているんやから? そういうぴりついたのがお好きなんかなあ?(そういう世界にて、支配下に置きたいのか?)
・いい子症候群の若者たちにとってのワークライフバランスとは「がむしゃらに働いたり、人並み以上に努力したりしないこと。あるいはその努力を軽視すること」というニュアンスを含む。(中略)「最近の若者は課長にすらなりたくない」(中略)出世したくないのではなく、もはやどうでもいいのだ。
→「がむしゃら」の定義って今のおとな、こどもで違うのやろうなあ。。
そして予想やけど今までのおとなは、「自分の心をけずって無理していたこと、しんどかったことが美学」っていうイメージ、ゾーンにいる気がする。
そして「それ」を軽視する人たちのことを「甘っちょろい、自分はこの苦労の道通ってきたのに」ってみたてていたり感じていて。そんでもって口にはしないけど、自分たちが今まで歩んできたこと、歯を食いしばってがんばってきたことをひっくり返されそう、全否定されそう、その否定に耐えられない(否定や変化かな、新しい価値観かな)っていうのがめっちゃいろんなところで起こってそうな気がする・・・。
私自身も会社員時代は、出世には一ミリも興味がわかなかった。どうでもいい、まではいっていなかったけど、そういう「向上心」や「野心」を持てていない自分に悩んだ時期もあった。でもよくよく考えてみて、やっぱりなんか無理矢理設定されるものではないというか、向上心って外からはやってこーへんよなあ、内側から沸き起こる動機のはずよなあ、と着地している。もうちょっと掘りたい気持ち!
・◎◎したい、という表現自体、意識が高い証拠であり(中略)
いい子症候群の若者は、むしろ「◎◎したくない」という思考が中心となる。リスク回避思考とはそういうことだ。
→ちょっと縁遠い感じがするので、自分の中に◎◎したくない、が先頭にきそうなことを考えてみる。
*どの場においても、自分の本心をおさえつけたり、本音をおさえこめる、というあり方はしたくない。
*自分の好きな在り方ではない、在り方はしたくない。
*自分の心が喜ばないことはしたくない
ほんまにこれだけはしたくない・・・?ある?
→ Gとの遭遇。🐜(これしか出なかった。笑)
・自ら積極的に動くことはないけど、個性を生かした仕事で人から感謝されたい
→自ら積極的に動くことをしないのはなんで。。。?
シンプルに自分がそこの喜びを一緒に作ってあげたいなあって思うな。
だからか、前のこども企画も後輩たちを連れていきたくなったのは。
きっかけづくりというか、自分でやってみ?横にいるしフォローもするからさ!っての。 安心するから飛び込んでおいで、っての。ケンカも安心して!っての。。 スーパーどんとこいまん?なんて名前やろね。
・若者にとっての社会貢献とは
(中略) それは、誰かに「貢献する舞台」を整えてもらった上での貢献を意味する。責任を取る誰かがいて、調整してくれて、意思決定してもらえて、その上で自分らしさを発揮するお膳立てをしてもらってからするのが社会貢献。さらに事後には「君がいてくれて本当によかった。いつもありがとう」と言ってもらうのが社会貢献。
→ハードル多すぎちゃいますかねえ(笑)
そんなにセットアップがいるの? 何がそこまでさせているのか?それを大人交えて大学生とも話したいなあ。。。
・社会貢献という言葉が持つイメージは、今のいい子症候群の若者たちにとって心地いい。なぜなら、
①「経済的成功」のように、がむしゃらな感じがしない
②競争がない
③評価されない、優劣がない
④個人名が出るようなことはなく、匿名性が高い
⑤「無理せずできる範囲でやろう」という緩さがある
⑥無条件で多くの人から感謝される
⑦絶対に批判されることがない
→わかるポイントと、そうじゃないポイントがある。
経済的成功っていう言葉を出されたときにまだ達していない身としては、うってなる。笑 そして自分がうってなることに、がむしゃらにはなれないなあって感じる。(っていうか実際そう)
「競争」も同じく求めていない。なんやろうな、どういう意味での競争を求めていないかな、双方がすり減る感じの競争かな。あとさせられていると感じるものかな。そこに血が通っていれば、わたしはきっと競争は嫌じゃない。(個人的新たな気付き)
評価は本当に上司からはいらないと思ってしまっていた。一側面しかみられていないのに、、というか。。人格?自分を守るっていうモードになっちゃっていたなあと思う。そして評価がなければそこにいてはいけない、ではないけど、年次があがるにつれて居づらいみたいな「謎のもの」はあったなあ・・名前も実態もわからないけど。
会社という組織を抜けてからの「評価」って受けることがなくなったからこそ、求めたい気持ち少々?いや、普段からの関わり合いでやっていけている、事足りている感がすごいあるな。もちろん逆からみるのとか、弱いポイントを知るのは大事やと思っているので、あのやっつける方法で取り組み中◎
④からが自分にとっては疑問なんかもな。
「匿名性」え、いる? むしろ。笑 顔面と名前はっていきたい所存。。
なんで名前出るのが怖いのか、それは名前と顔が出ることのリスク(危険度合、犯罪)をよく知っているから? それだけ悪質なケースがもしかして身近?批判し合う文化圏の中にお住まい・・? もはや、社会がそういう風に見えているとか・・?) 「批判」ってものの距離感と定義と耐性(考え方)についても、ワークショップできそう。誹謗中傷に耐えようとまではいかないけど、そこの扱いは慎重にやけど、、シーンの想定としてタブー視したくない。いろいろ🔥
⑤もわかる。けど人によってとらえ方はちがいそう。さっきの書いたやつとかぶりそう。
⑥無条件感謝 これは自分がいるだけで、っていう自分の存在へのお祝いができている無条件、っていうのではなく、怒られないとか責められないとかそっちの恐れをカバーできる、いい子でいれる、正しいゾーン・いい子ゾーンにいる?っていうような。。。。外的条件をそろえて「恐れ」をとりはらってくれる無条件っていう言葉な気がするなあ。。
・日本人の意識は、支援者と非支援者の関係性がすぐわかる支援に移行している。あくまで自分を中心とした、自分のやりがい。そのわかりやすい関係性を求めている。(中略) あくまでも求められてやることなので、
→助けてほしい、わかった助ける。のわかりやすさ?
必ずそこに感謝、称賛があるとわかってからの飛び込み、助けるってこと・・? ならばとっても「条件つきギブ」に見えるなあ。。。なんだろうなあ。。やっぱり行動の動機っていうか、意識のところが何かってことよね。。 自分中心なのって決して悪いことではないのに、他者の気持ち?総合的なとらえ方?が抜け落ちていることへの違和感なのか?
・自分に自信がないこと
→先日高校生にワークショップしに行った先輩も言ってたけど、このデータからも「自己肯定感」がダントツ低い数値で悲しい。。。自己肯定感持っていきてほしい。。というかここが高くないと希望も活力もわいてこないのでは?というか。。。自分を生きるとか、生きるってところにさえも心が向かなくなっちゃう気がするな。
・チャレンジ精神の阻害要因
└自分の能力ではできない
└挑戦したいことが見つからない
└失敗することが怖い
└友人の反応が気がかりだ
└今はまだやらなくてもいい
└課題が大きすぎて手がつけられない
└日常の忙しさに流されてしまう
└経済的な余裕がない
→これ社会人になったらまた変わりそうというか、順位が変わりそうというか。。。イベントとか募集するときにも関わりそうな要素なので、知っておきたいし、考えていたい。
・不足三兄弟
「起業者としての能力不足」「ビジネスに関する理解不足」「経営に関する経験不足」
→これ日本に足りないものとして明らかにわかっているなら、これを子どももおとなも一緒に取り組むのみ、では??
学ぶのは子どもだけ、にさそうとする姿勢もちゃうような気がするな~
そして自分も当てはまるというか、わからないことだらけだなあと感じる。だからこそぶち当たりたいし、共に学びたいってなる。
・指示待ちとは、究極のところ「答えを教えてくれることを待つ」状態を意味する。(中略) 彼らは会社に対して、よくこう不満を漏らす。「なにをすればいいか曖昧でよくわからない」「いつまでに、どの知識やスキルを身につけておけばいいのか一向に教えてくれない」(中略) 仕事には何らかのガイドラインやマニュアルがあると考える傾向にある
→いわゆる指示待ち人間、という人に出逢ったことがないからあまりイメージがわかない。。ほんまにそれがリアルな若手社員にあるのかな・・?そしてそれは今に始まった事なのか、いつからなのかな。
自分のwillで動くよ~ 生命体だよ、そういうこと。って伝えたくなるな。
こういったものがない会社・上司はだめ、みたいな判断していたとしたら、もったいなさすぎるよなあ。。。
・内向き志向の正しい解釈
└今の若者は日本経済全体の成長が止まった後に生まれており、「挑戦が成長につながる」という過程を実感できない
└景気の低迷が続くことで格差が広がっており、一度でも失敗し陥落することを強く恐れるようになった
└小さいころから廃業、失業、リストラといった社会現象を目の当たりにすることで、早いうちから既得権益を得ることの重要性を知った
・後付けで若者論にあてはめているような感じ。
・多くの場合親の思考が子どもに多大な影響を与える。(中略)
挑戦が成長につながることを実感できないのは大人であり、一度失敗すると這い上がれないと思っているのも大人であり、既得権信者もやはり大人である。
→失われた◎◎年。反応しちゃうやん。バブル崩壊1991年。ほら。うちらの三世代からどんぴしゃりですやん。
はい、おとなたちですよ。社会ですよ。わたし、わたしらなんやなあ。
なんでそう考えるか、ってそれで生きてこられたし、成功?というものをおさめたし、今幸せだし(それは思っていてほしい) って思っているからなのやろうなあ。疑う余地がなかったというか。。。
・人は与えてもらうときよりも与えるときのほうが、より強く幸福を感じることが報告されている。(中略) 一方の日本人は、公共財の負担を義務だと考える傾向にある。
→これも国民性、という一言で片づけたくないなあと思う。
お金の払い方、一個ずつ考えてみませんか、といっていきたい。語り合いたい。語られる場をつくりたい。 おおお。
・彼らはあなたが今日何をして、明日何をなすのかに興味がある。
(中略)大人がそう見せつけてきたからだ。
・大人のあなたがやるべきだ。まずはあなたが挑戦するべきだ。
あなたが挑戦し、失敗し、そして復活するところを堂々と見せるべきだ。
→おす!でも過去も歩んだ道も、栄光っていう結果じゃなくても愛してほしいと思うので、「人生グラレコ」「ふるぶるでの場づくり」をやる。
挑戦する姿、失敗する姿、復活するところも喜んでみせるあるよーー!
※失敗や挑戦の定義もどういう認識を持っているか、共に過ごす人とは一緒に語りたいところ。
・日本人にとって学習とは義務に近い位置づけにある(中略)
日本の子どもの学習環境は文字どおり仕事に近い。宿題という「ノルマ」があるのが象徴的だ。この「勉強=仕事」という概念が大人になっても全く抜けない。
→罪深いなって思う。。率直に。。
宿題なくしたら何したらいいかわからなくなるって思われている?
子どもが? いや、親と先生と学校な気がするのよなあ。。
子どもは時間できたら好きなことしますし、考えますよう。そこからの調整の話ではないのかなあ。。 すきまを埋めるための習い事ってシンプルに疑問。。 部活やクラブは学校の中にあってほしくて、そこが習い事とマッチしてたらめっちゃよくない?え? 外にありすぎなのでは?? 学校が締め出しすぎなのでは。。? 実現のさせ方考えたいなあ。。!
小学校一年生に、学校の宿題は必要だと思いますか?(去年から友達や先輩会う人に聞きまくっている問い。これからも扱っていたいなあと思う。)
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いよし!次!
金間さんの文章の書き方、呼びかけ方とても好きで読みやすかったなあ◎
ではまたです^^