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【開催報告】企業が最も優先すべきは人命である。田村さんご夫妻が問いかけたものとは。

こんにちは!
白門一新会の谷村です。
今回は、2月12日(土)に【社会人必見!企業防災のあり方を考える。~今この瞬間に、職場で地震がきたらあなたはどんな行動をとりますか?~】を開催しました。今回は、開催に至る経緯やイベント内容、そしてこれからについて書きたいと思います。

香川県出身だった私は震災当時高校1年生。東日本大震災が起こった時刻は、高校のグラウンドで野球部の仲間と汗を流していました。防災無線で津波注意報が流れ、正直瀬戸内海で津波なんて笑わせないでくれと思ったのを覚えています。東北で大きな地震があったことなど知るよしもありませんでした。夜20時頃だったでしょうか。帰宅前に立ち寄った整骨院のテレビで津内の衝撃的な光景を目の当たりし、言葉が出ませんでした。

あれはもう8年前になります。2014年。19歳だった私は中央大学ボランティアセンターの企画で、震災から3年がたった宮城県女川町を訪ねました。揺れを経験しなかった私は、東日本大震災がどこか別世界のことのように感じていました。そこで、自分の目で確かめたいと思ったのです。
まだかさ上げ工事が始まっておらず、がれきが積み上がったままの場所や、横倒しになった建物がそのままになっていたり、見渡す限り野原になっていたり。震災から3年を経て、ようやくここで何が起こったのかを知ったのです。それ以来、何度となく女川を訪ねるようになったのですが、その中で偶然出会ったのが田村さんご夫妻でした。

女川町に初めて行った時にあった横倒しになった建物(2014年5月)

高校野球をやっていたことや、東京の大学に地元から出たことなど、孝行さんがなんだか息子に似ていると言ってくださったのが印象的でした。走ればたった1分の高台があったのに、業務命令で銀行にとどまり津波によって帰らぬ人となった健太さんの話には何と言っていいのかわかりませんでした。それ以来、大学の友人を誘って小規模な女川ツアーを始めました。自分にできることはなんだろうと考えながら、いつしか私も社会人となり、健太さんの亡くなった年を越えました。

女川には何度も足を運びました

やはり、この出来事を教訓にしなければならない。同じ世代の企業で働く仲間やこれからの社会人となる後輩たちが、企業の防災意識の欠如によって命を落としたとしたらどうだろうか。そんな思いから、この中央大学の35歳以下同窓会である白門一新会が、田村さんご夫妻のお話を多くの社会人やこれから社会人になる方々に伝えることができれば。あるときそう思い立ち、今回の企画を実施するに至りました。

当日は42名の方が全国からご参加いただきました。学生も社会人も。中央大学関係者が半数でしたが、中央大学と関係ない方も多くご参加いただきました。田村さんご夫妻による、あの日、健太さんの身に起こった出来事のお話や、その後の裁判について。そして、健太さんがどのような人生を歩まれたのかといったお話。私自身は初めてお伺いする内容ではありませんが、それでも何度聞いても心の深いところが締め付けられます。そして、これから同じことが繰り返されてはならないと決意するのです。

ただお話を伺うだけではなく、自分ごととして参加者にも考えてほしいという田村さんご夫妻と私とで事前に話し合った中で出てきた思いに基づき、グループワークの時間も取りました。参加者が各グループに分かれて、自分が健太さんと同じ立場状況に置かれたらどうしただろうか。企業はどうあるべきなのだろうか、について議論しました。やはり、若手社員で勤務中において、支店長の指示を逆らうことはできなかっただろうと多くの方が感じていました。災害がやってきて、手遅れになる前に、早めに上司に提案するなどしながら、その時に向けた備えをやらなければならない、などと活発な意見が出ていました。

参加者集合写真①
参加者集合写真②


開催翌日、早速参加された方から田村さんに連絡があり、新しいつながりができたと喜ばれていました。今回、白門一新会で当企画を運営したメンバーも、引き続きこのテーマを取り組んでいきたいと感じていると思います。
白門一新会では、来年度以降もこの企業防災は最重要テーマの一つとして、同窓会が果たすことができる役割を考えていきたいと思います。
一緒に活動してくださる方や興味がある方はぜひお力をお貸しください。

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