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ありのままでいるということ

仏教やアドラー心理学、対人関係療法。
苦しさと向き合うために色々な本を読む中で、
共通している概念があることに知る。

ありのままでいるということ。
ありのままの己を受け入れること。

そんなこと当たり前だ、背伸びしたってしょうがない。
無理をして心身を壊した経験もあるから、
二度を繰り返したりしないよう。
私はありのままに生きている、問題ない、大丈夫。
それが、ありのままへの最初の感想だった。

案外できていない、にふと気づいたのは最近。

ポジティブ思考を良しとされている昨今。
いや昨今かはわからない、私の周りだけかもしれないが。
とにもかくにも、暗いことを考えたらまずするのは思考の転換。

浮かんだ気持ちを良いものと捉えようとしたり。
抱えていてもよくはないから、
どうにかしなければいけないと感じていた。

例えば、人気者への羨ましいを。
例えば、出来る人への劣等感を。
例えば、憧れる人への認めてほしいを。
例えば、恋人へのさみしいを。

浮かんだと同時に掻き消していたのが私だった。
否、掻き消そうとしてできないのが。
それでもどうにか別を考えようとするのが。

そうすればするほどに胸の中の小さな私が。
認めてもらえずに縮こまっていくということ、
それに気づいていないのが私だった。

気づいた今は、思う。
羨ましくても、劣等感があっても。
認めてほしくても、寂しくても。
それでよかった。

あるものをすぐに別の何かに置き換える必要はない。
あるものを否定する必要もない。
そういう気持ちを抱く自分を丸ごと、そのままでいいと。
そういう気持ちを抱くのは当たり前なんだと。
自分で自分を受け入れることが、ありのままでいることだった。

これが中々に難しい。
思考の癖もあるものだから。
けれど、少しずつ、少しずつ。
浮かんだ感情を、自然にそのまま、受け止められるようになっているとき。
見えてる世界はまた少し変わっているのかもな。

そんなこんなで。

隙間時間にそういうことを考えながら
恋人と一緒に過ごした、次の日。
仕事に行ってしまう相手に寂しいと伝えた。

伝えたって仕事はあるし。
大人なのだから寂しさは堪えて当然で。
ぶつけるべきでないとしていたものを。

けれど、甘えていい相手にぐらい。
幼い私の訴えを掻き消さないようにしてみたかった。
行かないでと、寂しいが。
今のありのままの私の感情で。
ありのままをそのまま、形にしてみた。

結果。

割と真剣に休むか悩み始める姿が目の前にあるものだから。
なんだか笑ってしまった、月曜の朝のこと。

(仕事にはちゃんと行きました、社会人だからね。
 悩んでくれてありがとう)

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