仲間
勤務先の日本語学校で授業後、非常勤講師が翌日の授業準備をはじめる。
今日の授業の反省や、学生に好評だった教材についてなど仲間同士で話し合ったりする。
「学校のコピー機でスキャンすると、パワーポイントにきれいに出ないんですよね・・・。」
まだ日本語教師になって日の浅いAさんが言った。
Aさん:「O先生のパワーポイント、きれいに出てますよね。どうしてるんですか?」
Oさん:「あ~、わたしは、スマホで○○スキャンをダウンロードして、それでテキストを撮っているんです。それを共有している自分のパソコンに○○で送るんです。」
「なるほど、それでPPTの画面がクッキリ、はっきりなんですね!!」とAさん。
私は、準備に時間をかけている割には、いま一つ、学生が楽しく日本語を学べているという手ごたえが感じられなかった。20代のNさんに聞いてみた。「4月に入国したクラスにはどんな例文を出しているんですか?」
彼女はすぐに彼女のパソコンを開いてくれた。初級の学生に理解できる文の中に、その日習った漢字の複数の読み方を問う面白い例文だった。
「な~るほど・・・。」さすが、彼女は考え方が柔軟だな~・・・ととても感動した。
頭が枯渇している私などにはおよそできない発想だ・・・。
学校でも時々、教え方のセミナーをしてくれるが、こうして仲間同士でそれぞれの工夫を教え合う時間は貴重だ。
日本語教師とは全く縁のない経理事務の仕事をしていた私が、定年退職してから1年以上努力して日本語教師の資格を取った。ちょうど定年退職前に、リンダ・グラットソンの「LIFE SHIFT」を読んだ影響が大きかった。(もう6年も前の話だが・・・)
まだ、義母の認知症も今ほど進んでいなかったので、デイサービスや夫の協力で何とか取れた。周りの人々に感謝せずにはいられない。
そうして、今こうして新たな仲間に巡り合った。年齢はほとんど関係ない。熱意と意欲のある人々に励まされ、支えられていると思う。
「日本が好き」という学生たちがさまざまな国から来て日本語を学んでいる。その姿にも毎回励まされる。毎回授業の度に「ああ、ここはもう少し具体的な場面を工夫すべきだった・・・。」などと反省の日々である。
幸い、失敗をさらけ出せる仲間がいてくれて、日々精進できる(してるのかな・・・?)日々は充実している。
このまま死んでもあまり悔いはないなあ、と思うことが多い。
いや、待てよ、今私が死んだら、夫と義母が困るではないか。いいじゃない?その時はその時。なるようになる。