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創業者浅野邦子との思い出。金沢ロック小田章博様

2023年5月末。野々市の金沢ロック株式会社にて、小田章博社長に生前の浅野邦子の思い出を聞かせていただきました。小田社長は、創業者である浅野邦子(箔一 会長)と30年にも及ぶ付き合いがあり、公私にわたって深い信頼関係を持たれていました。化学という見地から工芸品の耐久性や安全性の改善に取り組まれ、金沢箔工芸品の発展に多大な貢献を果たされています。浅野邦子との取り組みについて教えていただきました。


箔一浅野達也(以下、浅野)
本日は、ありがとうございます。小田社長は弊社創業者で、私の母でもある浅野邦子とは、本当に長い期間一緒に仕事をされてこられました。

金沢ロック株式会社小田章博社長(以下、小田)
浅野会長に初めてお目にかかったのは、30年ほども前になるでしょうか。私が所属していた異業種交流会が野々市市商工会と一緒になって講演会を行うことになり、講師としてどなたが良いかと思っていたところ、異業種交流会ご担当の先生から「素晴らしい女性起業家がいますよ」と言うお話しをお聞きし、それでは是非講師をお願いしようと言う事になりました。講演後に名刺交換させて頂いたのが、初めてでした。

浅野
その頃は、会長はまだ、講演の依頼などは少なかった時期ですよね。

小田
後にお聞きしたところ、会長にとっては初めての講演会だったそうです。ずいぶん緊張したとの事ですが、講演会では堂々として皆さん聞き入っておられましたので、そのようには見えませんでした。私は初めてお話しを聞いた時から、とてもパワーの有る女性だなと感じ、それ以来会長のファンになりました。

浅野
箔一にとって30年ほど前というのは、新工場を構えたばかりのころです。企業として体制を整え、より勢いをもって金沢箔工芸品を日本全国に広げていこうという時期でした。そうしたタイミングで、小田社長と会長が出会ったのは大きな出来事でした。


小田
当社は塗料や絶縁材料等の化学製品を取扱う企業です。ふつう伝統産業の方々が関心を持つような業務内容では無いと思うのですが、会長は業種の違いなど一切感じさせず、好奇心旺盛にいろいろ質問をされました。例えば「自動車の塗装はなぜ剥げないのか?」「なぜ耐久性が良いのか?」等とても具体的に質問されるのです。私は「会長は固定概念にとらわれず、どの業界に対しても興味があり、核心をつく鋭い質問をされるな」と驚きました。

浅野
伝統産業には、受け継いできたものを守るという考えが強くあります。ですから、昔ながらのやり方から抜け出せない人が多いですよね。疑問をなかなか持てない。そうした中で、会長のような感性は異質だったといってよいでしょう。

小田
全く持って常識にとらわれない方でした。凄い感性だなと思いました。ぜひ工場に来て欲しいと言われて、お伺いし製品が出来上がるまでの工程を見させていただいた。当時から素晴らしい技術をお持ちになっているものの、お使いになっている化学製品を変えることにより、さらに製品の耐久性が上がるのではないかと思い、率直に申し上げさせて頂きました。

浅野
「箔ははがれるから、日用品には使えない」というのが、かつての業界の常識でした。仏壇などでも金箔が剥がれるのは当然で、何年かに一回「洗い」といって箔を貼りなおすのです。おかしいと思う人はいませんでした。そうしたなか会長だけは、何とかして剥がれないようにできないかと考えていました。

小田
とにかく考え方が柔軟で、かつ素晴らしい感性をお持ちでした。何よりもすごいと思ったのは、行動の早さです。従来からの方法を変えるというのはたやすい事では有りません。しかし私が提案したことを受け入れて頂き、すぐに実行されました。私からするとこんなに嬉しい事は有りません。初めてお目にかかってから日も経っていないのに、伝統産業に最新の化学製品を取り入れられる柔軟なお考えと行動力に感銘を受けました。

浅野
会長の挑戦は、前例のないものでした。もともと仏壇や美術工芸品など、限られた用途しかなかった金沢箔を、日常で使う食器やインテリアに広げていったのですから。そうしないと、業界全体の発展がないと考えたからです。ですが、誰もやったことがないわけですから、教えてもらえる人などいない。さらには業界の反発も小さくなかった。孤軍奮闘している中で、小田社長の「化学の力」がもたらされたのは、本当に大きかった。金沢箔工芸品の飛躍のきっかけになったとも言えるでしょう。


小田
私には忘れられない思い出があるのです。箔一さんの製品に貼ってある箔が剥がれないかどうか確認する為に、通常はセロファンテープを使って剥離試験を行うのですが、粘着力が強力なガムテープを使って剥離試験を行われたのです。従来の製品と比較しても全く剥がれることが有りませんでした。化学製品の提案をさせて頂いたものの、どのように使えば効果的に使用出来るのか?その工程を短期間に考案される開発力にとても驚きました。

浅野
そのくらい、当時の箔業界の中でも「剥がれない箔」というのが画期的だったということですね。

小田
箔の接着力だけでは有りません。厚生労働省の規格に、食品が直接お皿等にふれた場合にも食しても大丈夫なように安全基準を定めています。この取得を箔一さんで行われたらと提案しました。かなり手のかかる内容なのですが、これも取得しようとの事で、早速取り組まれ厚生労働省の規格を満足し認可されました。


浅野
伝統工芸は文化という面もありますから、工業製品の安全基準まで考えが及んでいないこともあります。会長はそこに甘んじず、安全性についても高い基準で考えておられました。ただ私が不思議に思うのは、会長は化学については門外漢です。むしろ苦手分野だったともいえるでしょう。なのに、そうしたものの本質をいち早く理解するところがありました。

小田
直感がずば抜けていたように思います。固定観念にとらわれることなく、良いものは良いと認めて、積極的に取り入れようと考えておられました。初めてお目にかかってから、他の業界のことも盛んに質問され参考にしようと取り組んでおられましたから驚かされてばかりです。

浅野
もう一方で私たちとすると、小田社長には申し訳ない想いもあります。
というのも、金沢ロックさんがいつも取引されているような工業製品のメーカーに比べれば、工芸品の出荷量は決して大きなものではありません。にもかかわらず、箔一の仕事には本当に熱意をもって取り組んでいただきました。


小田
私の趣味は考えることで「お客様がどのような製品を使ってこういう商品を作られたら使う人に喜んでもらえるかな」といつも楽しんでいるのですが、有難い事に会長は私が考えたことを積極的に採用してくださるのです。思い描いたアイディアが採用されてお客様の成果になっていくのは、私にとってこの上ない喜びでした。

浅野
会長はとにかく柔軟で、行動も早かったですよね。

小田
会長のファンでしたし、ご一緒に仕事が出来ることがとても楽しかったです。なにより提案を受け入れて頂き、すぐに実行して頂けることがうれしかったです。

浅野
一方で、会長は仕事に対して厳しく、性格的に激しい面もありました。大変ではありませんでしたか。

小田
大変と思ったことは有りませんでした。むしろとても真摯に仕事に取組まれている姿に感銘を受けていました。


浅野
かつて、小田社長と生分解性樹脂の開発をしたこともありましたね。

小田
ある時、会長から「落ち葉みたいなお皿をつくれないか?」と相談を受けました。真意をお尋ねしたところ、「プラスチックは簡単に廃棄出来ない。ゴミになるやろ。落ち葉なら自然に帰っていく、私はゴミにならないものを作りたいのよ」との事。今から20年以上前ですよ。サスティナブルとかSDGsの概念が全くない時代に、すでに循環型の製品開発という意識をもって取組んでいらっしゃいました。

浅野
ただ20年前というのは、すこし早すぎました。
世の中が追い付いてなく、ビジネスとしては正直むつかしかった案件でした。

小田
先見の明が有りましたよね。会長はいつも夢を語られていて、私はその夢を形にする方法を考えていました。もともと考えることが趣味ですので、形になるまで本当に楽しかったですね。

浅野
夢を描き、すぐに実行する、というのが会長のやり方でした。発想力と行動力はずば抜けていましたね。

小田
仕事には真摯に向き合っておられる一方で、周りの人に気遣いをされる方でした。とても細やかなところにまで気遣っておられました。生分解性樹脂の開発を終えた後や、技術会議の後など、開発に携わっていたメンバーの皆さんを何かにつけ食事に連れて行って頂いたものです。

浅野
感謝の気持ちを伝えたかったのでしょうね。そういうところは、損得抜きで動く人でした。

小田
会長が美味しいと思われる、お店や食べ物をいつもすすめて頂き、皆が美味しそうに食べている姿をながめて、嬉しそうに微笑んでいらっしゃいました。人を喜ばせるのがとてもお好きでしたね。

浅野
たった一人で事業を始めて、本当に苦労してきた人でしたから。だから、助けてくれる人に感謝する気持ちも大きいのだと思います。

小田
つらい時もあったと思います。金沢箔工芸品が認知されるように、創業時より全国をかけめぐっておられましたからね。箔一という一企業の成長もさることながら、業界の発展を願って行動されていましたね。その姿を見てとても応援したくなりました。


浅野
企業間の取引だと、駆け引きとか計算とか普通はありますよね。でも、会長にはそれがなかった。いつもまっすぐに本音をぶつけていた。

小田
どなたに対しても真心で接しておられましたね。経団連に入る際のお話しをお聞きしました。会長は中小企業の有るべき姿をご自分の考えとして当時の榊原会長にお話しされたようです。

浅野
経団連の方々が金沢に来られた時のことですよね。その会合のあと、榊原定征会長が浅野邦子を経団連の理事に抜擢しました。地方の中小企業経営者で、しかも女性というのは異例の人事でした。


小田
自分の為では無く、中小企業の為に何が出来るのか?真摯に話をされる姿に皆さんの心が動いたのでしょう。会長はいつも自分の事じゃなく、世の中にとって何が良いのかを考えられて発言されていましたね。

浅野
それでも、身内とすると不安でしたよ。というのも、経団連が相手にしているのは、日本経済や国政という規模の大きなものです。当然、変えるのには時間がかかります。意見を通すにしても、根回しや駆け引きも必要でしょう。会長の率直な性格や、仕事のスピード感からすると、もどかしい思いもされるのではないかと。

小田
それは大変だったと思いますが、「私は中小企業経営者として初めて経団連の理事になった。だから中小企業を代表してここにいると」とおっしゃっていました。とにかく自分の事じゃないのです。苦労したとしても、それで中小企業全体が良くなればいいと。

浅野
経団連の参加者は、日本を代表する大企業のトップばかり。ほとんどが名門大学の出身者でしょう。そんな人たちと渡り合っていくのは、相当なことです。

小田
会長は高い志をお持ちでした。ご自分の事など関係なく、中小企業全体が良くなるために一生懸命でした。箔一の創業時もそうだったんだと思います。オイルショック後の大変な時、金沢箔業界全体が良くなるために、金沢箔工芸品を全国に販売しようと挑戦を始められました。皆さんの事を考えて、誠意を尽くしてやり抜いてこられたからこそ、成功をおさめられたのだと思います。

浅野
そうかもしれませんね。業界をもっとよくしたいという強烈な思いがあり、その手段として起業があった。それが、結果として箔一という会社になっていった。

小田
そうだと思いますよ。会長からは輝くようなオーラを感じました。もともと輝いていらっしゃいましたが、苦労を重ね磨かれてこられたからこそ、年々いっそうの輝きを放っておられたのだと思います。宝石も原石を研磨すればするほど輝きを増しますね。苦労は自分を磨き知恵を得る大切な経験だと思うのです。

浅野
会長が残してくれたものを、私たちも受け継いで大切にしていきたいと思います。小田社長、本日は本当にありがとうございました。


金沢ロック株式会社
石川県野々市市徳用三丁目34番地
【業務内容】塗料(アルミニウム用特殊塗料、工業用塗料、自動車補修用塗料、建築用塗料、遮熱塗料、再帰反射塗料)、電子部品用材料(シリコーン樹脂、エポキシ樹脂、ウレタン樹脂、エポキシプリプレグ、導電性接着剤)を国内外に提案。その他、特殊コーティング膜(DLC)及び設備機器の提案
https://kanazawarock.co.jp/


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