マレーシアインターンの日常
8月、インターンとして1ヶ月マレーシアで過ごした。インターンの内容は、「自分、他者、環境、社会、未来をケアする」。
どんな毎日だったのか、ふりかえってはあたたかい気持ちに包まれて、日記を見返しては鮮明な記憶がよみがえる。
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洗濯から始まる1日
寝返りでベッド全体が揺れる、グラグラの2段ベッドを降りて身支度をする。歯磨き、洗顔、日焼け止め必須。
朝食まですこし余裕があるので、洗濯を済ませる。インターンの家に洗濯機はないので、たらいに水を溜めて持参した粉石鹸でゴシゴシ…。洗ってゆすいでを何度もくりかえして、それを絞って干す。手洗いって意外にも労働だ。恥ずかしながら、マレーシアでの生活に本来の人間らしさを見た気がします。自然との共生、強いコミュニティの繋がり、時間に過度に追われることもなく、いい意味で適当…。それが良いか悪いかは置いといて。
朝食を食べ終えたあとは、メインハウスを掃除する。メインハウスは、ご飯を食べたり子どもたちが勉強や楽器の練習をしたりする場所で、子どもたちの生活の中心、憩いの場といったところか。2階のスタディルームの前にあるひらけた場所は、風で砂やら塵やらが運ばれてきてかなり掃除のしがいがある。特にここはみんなの昼寝場所だから、俄然やる気が出る。
生きている仕事
掃除が終わると、スタッフのミーティングが始まる。このミーティングの時間もインターンにとっては大事な学びの場。議題があっちこっち色んな方向からポンポンと増えていく会議を見て、つくづく「CFFスタッフの仕事って生きているな」と感じた。
備品管理など事務的な確認に始まり、子どもたちに関するトラブル対処の話まで。何時に終わるかなんて議題次第。業務が時間で測れないからこそ、プライベートと仕事の区別が難しい。でも子どもたちの人生と直結しているからこそ、手は抜けない。昨日と同じように物事が進むとは限らない、そんな生きた仕事なんだなと思いながら脱帽の気持ちだった。
正午に昼食を食べたら、そのあとはしばらくのんびりできる。2時間ほど自由なので昼寝をしにメインハウスの2階へ。
最年少6歳の子はこの時間、すでに保育園(?)から帰ってきていて、2階で元気いっぱいに走り回っている。クッションで遊んだり追いかけっこをしたり、もう昼寝どころではない。ばたばた、きゃーきゃー。
午後、子どもたちが学校ごとにぞろぞろ帰ってきた。帰宅後は勉強をしたり楽器を練習したりと思い思いに過ごすことになっている。
ある14歳の子が、毎日15分のピアノの練習をすることになっていた。私は一応ピアノ歴10年なので、少しでも教えられることがあるかなと彼の練習に付き合うことにした。毎日、というわけにはいかなかったけれど、自分からピアノの前に座って鍵盤を鳴らす姿は楽しそうで生き生きとして映った。しかもどんどん弾けるようになっていく。
韓国人夫妻が毎月子どもたちに楽器を指導してくれる機会があったので、その子のピアノの練習を見学させてもらった。先生に教わりながら、時折褒められると後ろを見てにこーっとしてくれる。そのたびに私も「見てるよーっ」とジェスチャーする。授業参観みたい。隣に誰かいることで練習のやる気が出るのであれば、1ヶ月だけでも隣で練習の過程を見ていたいなと思った。
スタディタイムでの発見
夕食を6時にとったら、スタディタイム。子どもたちの横にくっついて、数学とか英語を教える。数学が苦手なのと、英語で説明する必要があったのとで、なかなか伝わらずもどかしい。マレー語で書かれた教科書をめくりまくる。でもこっちが真剣に頭を抱えて伝えようとすると、子どもたちも「こういうこと?」「あ、分かった」ってくみ取ろうとしてくれる。それがとてもやりがいだった。
❖子どもたちの勉強を見ていて驚いたこと
• マレーシアの学校では電卓を使って算数を解く。(なんでだろう)
• 歴史の教科書に、日本の侵略の歴史が書かれていた。日本では見ないからドキッとしてしまう。でもすごく大事なこと。日本でも加害の歴史は教えるべきだなと思う。そのページを子どもと一緒に見て、複雑な気持ちになった。
• 最近入所した子がそれまで学校に通えていなくてアルファベットもまだ勉強中なのに、学校からの宿題で英語のことわざを学んでいた。学ぶというより本人はちんぷんかんぷん。遅れてる子に進度を合わせるのは難しいけれど、どうにかならないのかとその子が不憫だった。
夜は、子どもたちのベッドが並ぶ建物へ。そこで1時間弱のお祈りをする。CFFマレーシアはキリスト教をベースに活動していて、子どもたちもクリスチャンだ。マレーシアではムスリムがマジョリティだが、CFFでは今はクリスチャンのみの受け入れを行っている。
お祈り最後で、いつも日本人のキャンパーや私たちインターン、日本のために祈ってくれる子がいた。私にとっては毎晩お祈りをすること自体新鮮だったし、誰かのために祈れるって素敵なことだなと毎回感心した。祈ってくれる人がいる、それだけで愛されているんだなと感じる。
”「施設の子」だからじゃない”
以前フィリピンに行ったときに日記を書かずに後悔したので、今回はしっかり日記を書いた。それを日本で読み返しながら我ながらはっとする表現にいくつか出会い、過去の自分に刺激を受ける。これぞ日記の醍醐味。
(CFF=Caring for the Future Foundation は様々な事情から家族と一緒に暮らせない子どもたちのために、児童養護施設「子どもの家」を運営している。子どもたちはここで共同生活を送り、多くを学んでいく。現在は日本、フィリピン、マレーシア、カンボジアで活動中。CFFのHPはこちらから ↓ )