「答えは一つなのか?」
子供の頃に遊んだパズル
子供の頃にタイトル画像のような
パズルで遊んでいました
個性的な形をした幾つかのパーツを
一つの枠(型)に綺麗にはめ込む遊びです
試行錯誤しながら完成させたものですが
私の遊んでいたパズルには
小さな専用ノートも付いていて
どんな組み合わせで完成させたのかを
図に書いて記録するようになっていました
つまり
このパズルは正解が一つではなく
何通りものはめ込み方があるパズルなのです
コツは
画像の右下にある六角形のような整ったパーツを
最後にはめる事だったと思います
人の世もおそらくは
全てのパーツが綺麗に調和して
整うようになっているのだと思いたいですね
そしてその在り方には
幾つものパターンがあるのではないでしょうか?
教育の仕方?
私の古い知識なので
今では違うかも知れませんが
以下のような
象徴的な事例があったと思います
日本の教育は算数で言えば
3+2=( ) ①
という出題方式ですが
海外では
( )+( )=5 ②
という出題方式だと聞いた事があります
①は何と何が出会えば
どうなるかという話で答えは一つです
②はこの目標(答え)に至る為には
何と何が必要かという話で
答えは幾つかあるのです
どちらも必要な能力ではありますが
②の方が実社会ではより有用かも知れません
日本人は
物事の答えは一つという先入観を持つ人が
もしかしたら多いかも知れませんね
どうでしょう?
算命学における答え
算命学で鑑定をする時も
「宿命が○○だから△△しなさい」的な
占いをしてしまう可能性があり得ます
つまり
機械的に一つの答えを出してしまうのです
もしそうなれば
算命学もパソコンで膨大なデータから
答えを拾えばいいだけの占いに
なってしまいます
同じ天中殺や同じ格に入っていたとしても
置かれている環境や本人の事情も違うので
同じアドバイスは通じないと思います
例えば
生年中殺の人がいた場合に
算命学では
「早めに家を出た方が良いですよ」という
アドバイスが一般的です
それは生年中殺を消化する一番穏当な方法
だからだと思います
※生年中殺は親との縁が薄い宿命です
親に頼ってはいけない宿命です
しかし
たとえ家を出ても
その後に経済支援を親から受けていたならば
生年中殺を消化した事にはなりませんし
親の七光で就職したら
それも生年中殺を消化した事にはなりません
唯、家を出れば良いというものではないのです
逆に
家に残ったとしても
経済的に自立して親に頼らない生活圏を
確立していれば問題がない場合もあるでしょう
その方の家庭環境や本人の事情などを
少し深く知る事が出来たならば
家を出るというアドバイスが
ベストではない可能性もあり得るのです
生年中殺の消化の仕方は一つではありません
その家庭ごとの経緯によって
どんな選択肢があるかを
探す事が必要です
親が病気がちで
家事もままならない状況であれば
既に生年中殺の消化と見て
わざわざ家を出る必要はないかも知れません
生年中殺が人物で言えば配偶者中殺にも
なっている場合があるでしょう
そして
配偶者に対して何か問題を抱えていたとすれば
配偶者中殺として消化していると見て
生年中殺の現象は現れないという事も
あるのです
その場合は実家暮らしも
あり得るという事になります
型にはめ込まない鑑定
細かい話になってしまいましたが
算命学は理論的であるが故に
演繹的にもなりやすいのです
技法を優先して
現実を杓子定規に裁断するような事も
してしまうかも知れません
その結果
窮屈な鑑定になってしまうのです
決定論的に人生を見つめないで
幾つもの可能性がある事を
幾つものチャンスがある事を
忘れないようにしたいものです
ましてや
算命学の学びの途上にある身としては
どこまでも謙虚に
宿命と向き合っていかなければと
思う日々です
最後まで読んで頂い
ありがとうございました
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