「最後に決めるのは自分自身」
誕生日から私の命式(宿命)が
決定するわけですが
その命式には何十万通りもの種類があります
命式(宿命)に良い悪いはないと考えますが
やはり
本人にとっては
「この宿命か。。。」という思いもあるでしょう
しかし
宿命がすべてではありません
結論を言ってしまえば
私の「考え方・生き方」が重要なのです
今回はその辺のことを考えてみます
自分の宿命の認識
算命学を学び始めると
個々の星の意味などを先ずは教わりますが
そのうちに
「宿命通りに生きる」ということを
学ぶようになります
しかし
ややもするとこの「宿命通りに生きる」
ということが
自分を苦しめる意味になってしまうことも
あり得ます
自分の宿命を固定的に解釈して
「〇〇でなければいけない」という
宿命観に縛られてしまえば
悩むことがあるかもしれません
言うなれば
宿命の檻に囚われる姿です
例えば
宿命全中殺を持っているとすれば
天中殺を自分の宿命内に持っているわけで
身内とは縁が薄い宿命という判断になります
身内に頼ってはいけないという意味で
辛い宿命だと受け取ることもできます
人によっては
自分が宿命全中殺であることで
落ち込まれる場合もありますし
がっかりしたり
怖がったりすることもあります
天中殺という言葉自体にインパクトがあって
鑑定する時には伝え方に要注意です
算命学を学んでいる方であっても
自分が全中殺であったりすれば
凹むことがあるかもしれません
あるいは
「閉畢命式(へいしつめいしき)」だと言われれば
誰でも(・_・;)ではないでしょうか
※この命式は家系が終わるという宿命です
宿命を柔軟に捉える
自分の宿命自体は変えることはできませんが
どうその宿命を発揮するかは自分次第です
下格の宿命であっても
困難を耐えることができて
苦手なことにも真摯に取り組めれば
運勢は向上していきます
逆に
難しい環境に置かれていることを
「やっぱり下格だからなぁ。。。」と
自分の宿命を卑下するような
考え方になれば
宿命は生きてこないでしょう
宿命に対する自分の認識が
自分の人生を狭くしていると言えます
宿命が主体ではなく自分が主体です
どんな難しい宿命でも
自分がその宿命を背負って
生まれてきたということは
その宿命の活かし方があるはずです
算命学はそのヒントを見出すための
手段です
宿命を解明して解釈して
じゃあ自分はどうするのかは
自分が決めていかなければなりません
答えは自分が出すのです
例えば宿命全中殺
年月日すべてが中殺されていると
宿命全中殺です
すべての家族身内と縁が薄いのです
頼ることができない人生です
人間関係だけではなく
現実的な財や名誉などに対しても
拘ってはいけない宿命です
では
結婚も子供も諦めないといけないのか
というとそうではありません
家族を持っても
過度の望みや期待を持たなければ
問題はないのです
要は考え方・生き方です
宿命全中殺というだけで
悪い人生になると決め付けることはできません
確かに連合赤軍の重信房子はこの宿命でした
悪く出ると社会全体から孤立するような
人生になるようですが
月面に降り立ったアームストロング船長も
この宿命でした
良く出ると誰もやったことのないことを
成し遂げる人になるようです
今の人で言えば横澤夏子さんや
山崎育三郎さんが宿命全中殺です
このような宿命でも
立派に成功する人もいるのです
ということで
宿命の形に捕らわれ過ぎて
自分の人生が萎縮してしまっては
算命学を学ぶ意味がないと言えるでしょう
自分の宿命の可能性を信じて
算命学を土台として良き人生を
創り上げて行きたいものです
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最後まで読んでいただき
ありがとうございました