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「北風と太陽が賭けをしたんだって!?」(翻弄される人間)

皆さん良くご存じの北風と太陽の話です
本来の教訓は人を動かすには
力ずくの外的パワーではなく
本人自らしたいと思わせる方が
効果的であるという話

太陽が勝ったのですが
天邪鬼な私は
旅人のマントを脱がす賭けではなく
目的地に早く辿り着かせる賭けであれば
北風が勝っただろうなどと考えてしまいます

古代人の感覚

旅人は急な日照りや北風に翻弄されて
「???」だったでしょうね

古代の人々は何の前触れもなく
天候が変わり
環境が変わる事に
不思議だと思うと共に
恐怖や畏怖の念が湧いた事でしょう
自分達の命に係わる環境の変化には
敏感だったはずです

人は必ず「何故なのか?」という
理由や原因を知りたがります
納得できる原因が分からないと落ち着きません
一番分かりやすい原因探しは
結果として
自分の思いや行いに帰着する事でしょうから
私が〇〇だったから
こんな困難がやって来ると反省するわけです

そこには現代的科学的な因果関係は
ないかも知れませんが
自分の生活を振り返る良い機会でもあります
人は知らず知らず傲慢になりやすいですから

西洋の世界観

学問的な内容ではありませんが
私が感じるに
西洋では「北風と太陽」のように
異世界における人格的な存在の
相互の関わりから人間が影響を受ける
という世界観があるようです
(人格的という事は恣意的だとも言えます)

旧約聖書の「ヨブ記」の中に
「北風と太陽」に似た話があります
神と悪魔が
ヨブという人物について意見が分かれました
神は善人(信仰者)であると言い
悪魔は偽善者だと言います

神と悪魔はヨブを試す事になり
ヨブは突然家族や財産を奪われたり
自身が病気になったりと
散々な目に遭います

西洋ではこの様に
人の背後で善悪の闘争があるという
世界観・人間観・人生観があると思われます

東洋の世界観

対して東洋(古代中国)は
人の背後に善悪の人格的対峙があるのではなく
陰陽の法則性が存在するという考え方です
誰に対しても客観的な法則性が
自動的に働いているというモデルです

西洋は目に見えない背後の何かが
意図的に(恣意的に)人に関わるからこそ
神の愛的なものの可能性があるわけですが
東洋は「天」や「道」と言われる
陰陽の法則性がこの宇宙を貫いているので
人に対して冷酷なまでの客観的対応になります

算命学では「淘汰」という言葉を使います
必要なので生まれる
なので必要がなくなれば淘汰される

宿命に合った生き方をすれば運も上がりますが
宿命から外れれば
たとえ人間的に良い人でも
淘汰されると捉えます
惜しい人を亡くしたという時がありますが
そういう不条理とも思える事も起きます

算命学では特別扱いはないと言えるでしょう
つまり奇跡はないという事ですね
奇跡のような事が起きたとしても
先祖の恩徳(余慶)や
縁者達の犠牲という理由があるはずなのです

人間という不思議な存在

宇宙の根源にあるのは
西洋的な人格的な神なのか?
東洋的な法則的な道なのか?
結論が出ない問いです

この世界に法則性があるのは
間違いないでしょう
しかし
人間には人格(喜怒哀楽)があり
予測不可能な自由意志があるのです
何故このような人間が登場したのか?
役目は何なんでしょうか?
興味は尽きませんね

今回は特段の結論があるわけではありません
常日頃思う事を少し書いてみました

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羽久風
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