蛇行式日本半周旅行記
はじめに
転職前に余った有給休暇を使い、私は11月から丸々1ヶ月間の休みを得た。休みを得たからには旅をせねばならん。それはこの脚でどこかへ向かう物理的な旅でもよいし、映画や小説、ゲームなど作品の世界へ飛んでゆく仮想的な旅でももちろんよい。
しかしながら仮想的な旅は仕事終わりや土日の休みにでも楽しめるものである(そう言いながらも日々疲れ切ってしまい何も観ざる読まざるやらざるの日々がこれまでに何遍もあったことは否定しない)。そうしたわけで、折角であるから私は物理的な旅へ出ることにした。
とはいえ11月に入って最初の1週間はお世話になった方々から酒の席へ呼ばれていたこともあり、2週目少しに入った11/9(土)から旅へ出ることとなった。こうして労いの会を設けてもらえるのは大変ありがたいものである。
さて、それではどこへ行くか。
折角の長期休みであるから今まであまり旅をしたことのない土地へ、しかもなるべく遠いところへ訪れたいと私は考えた。それでいて私は異文化や異言語などの不慣れな環境・状態に臆する性格であるから国外は避け国内を旅したい。
そうなると九州、あるいは東北・北海道が選択肢として浮上する。
九州に関して、私は大学時代に小倉を訪ねたがそれより先へは進んでいない。また殆ど記憶はないが子供時代には長崎にあるハウステンボスへも行ったようである。
要するに私は九州については四捨五入すれば大きく未踏であると言っても過言ではないのである。
東北に関して、私は出張で半年ほど仙台に居たことがある(土日は東京へ戻っていたので正確には半年ではないが)。また同じく仕事の都合で福島、岩手にも半日ほど訪れたことがあるし、今年の頭には小野川温泉に旅をしに山形へと訪れている。しかしそれだけである。秋田、青森には行ったことがなく、さらに北の北海道も同様である。
そんな九州と東北・北海道、どちらを訪れるか。逡巡する暇もなく私は前者を選択した。私は寒さがえらく苦手であり、冬はできることなら暖房が存分に効いており適度に換気された部屋でぬくぬく生きていたいような生物なのである。であるからして11月という冬の序章にわざわざ寒々とした地域へ行く判断をするつもりは毛頭ない。
そうしたわけで私は九州を旅することにした。
なおこれより私が書くのは紀行であるからして基本的には文の力にのみ頼り、どうしてもこの風景だけ、画だけは、というものがあれば写真を載せることとする。
第一章 金沢
九州へ旅をする、と書いておきながら本紀行は金沢から始まる。何も私が石川県を九州地方の一部だと信じてやまない馬鹿というわけではなく、少し事情があるのだ。
11/9(土)、石川県立図書館で私が敬慕する小説家・森見登美彦氏のトークイベントがある。抽選式であったが運良く当選し、当選したからには行くほかない。ゆえに私はまず金沢へ向かった。なおこの時点でいつ、どのように九州へ向かおうか、私は特に決めていなかった。この旅は大雑把でおおよそ無軌道な旅なのだ。
東京駅の北陸新幹線のプラットフォームでは、土曜のまだ朝早い8時だというのに自由席待ちの列が蛇尾のようにえらく長い列を形成していた。幸いにも窓側の席を確保できたが、欧州から来たであろう訪日観光客が私の周りの席を占められたので私はユーロスターにでも乗り込んでしまったような気分になった。
今回の旅で初めて北陸新幹線に乗ったのだが、私はすっかり気に入った。何ならあらゆる幹線の中で北陸新幹線が一番好きかもしれない。
それは車窓からの景色がどちらを向いていても素晴らしい点にある。西側に座れば浅間山や立山連峰などの広大な山々を、東側に座れば日本海を眺められるのである。今回、私は西側に座り山々を眺めたが、次回乗る際には是非とも東側へ座ってみたいと考える。
金沢へ到着し、私は他の観光客よろしく鼓門の写真を撮り、それだけでなく駅から降りて鼓門の手前にあるガラス式の天井(もてなしドーム、というらしい)の写真も撮影した。
どうも鼓門の写真を撮るのみで満足する観光客が多いようだが、大変勿体ないことと私には思われる。確かに真正面から見た鼓門には力強さがあり、圧倒される感がある。
しかし、真下から見るもてなしドームにもまた別の魅力がある。金属製のパイプとガラスとが組み合わさって建てられたドームは美しい。特に真下からの眺めは最高である。ドームと青空とが重なり、そこに人の手の及んだ人工物と人の手の及ばぬ自然との調和の美が現れるのだ。
駅前のランドマークを写真に収めたのち、近場の喫茶で昼飯を済ませて私は県立図書館へ向かった。
森見登美彦氏のトークイベントはいつもの如くよいものであった。だがそこでの内容を逐一ここへ記すと本記が紀行ではなく議事録になってしまうので一つだけ色濃く記憶しているものを記すに留めたい。
それは「ペンギン・ハイウェイだか恋文の技術だかで(どちらか失念してしまった)『おっぱい』という言葉が煩悩の数だけ、つまり108回も出てくる」というものである。わざわざ数えながら書いたのだというその執念には愛すべき阿呆かな、と思わざるを得ない。
トークイベントが終わるとサイン会だが、私の順番が来るまでは時間が掛かるようであったので図書館をぐるぐるすることにした。
数十分見回っただけだが、知を保管し拡げるという図書館の本義だけでなく、ただ回るだけでも心が豊かになる気がする、素敵な設計であると感じた。鼓門やもてなしドーム、そして県立図書館といい、この街の建築哲学、思想が私は好きになった。
無事森見先生からサインを得た私は西へ戻り、純喫茶ローレンスへ向かった。前々からTwitter(新エックス)のおすすめタブで何度か見かけていた喫茶で、金沢に来た暁には必ずや訪れたいと考えていたのである。
喫茶の入ったビルの2階に上がると、店主の老婦人が門を開けて出迎えてくれた。喫茶自体は3階にあり、先に来ていた女子大生と思しき二人組の後から私も階段を上がっていく。
門を施錠した店主も階段を上がって、店のドアを開ける。先に店内に入った女子大生風は感嘆するような声をあげ、私は一体どんなだろうと焦らされる気分であった。
入ってみると、そこはまるで時が止まったような、私が先程までいた場所とは分断されたような、魔力めいたものを感じる一室であった。そこかしこに置かれたドライフラワーやアンティークな品々、薄ぼんやりした照明などの深妙な趣向が私を異世界へ連れて行ったような気分にさせる。不思議な世界である。
店主の風貌が芸術家のようである(実際に油絵か何かの先生もやられているようである)ことも相まって、さながら凄腕の魔女がこっそりと営む喫茶のようである。
その魔力のしからしむるところかは定かではないが店主が自慢するココアはかつて飲んだどんなココアよりも旨いものであった。甘いだけでなく、少しスッキリする味わいがあるのだ。
居心地も良く、ごく個人的な名店喫茶五選に加えたいほどであった。ちなみに残り四選が何処かと言えば一つは出町柳のタナカコーヒ、もう一つは誰にも教えたくない谷根千の名店、残り2つはまだ未定である。
ローレンスを後にし、私はホテルへと向かった。一日の気分がずっとほがらかなほど興奮して少し疲れていたので、また寝不足気味であったので私は歓楽街に消えることなくホテル近くの寿司屋で遅めの夕食を済まし、それから寝た。
目を覚まし、私は九州へ行くにあたっての大雑把な道のりを考えた。
ここから九州への経路として、小松空港まで出て福岡空港へ行くという案があった。しかし本数の少なさゆえか高くつく。であれば大阪までサンダーバードで行き関西空港か伊丹空港まで出て福岡へ、あるいは富山まで戻り高山本線で名古屋へ南下しセントレアから福岡へ、という案もある。
私は3つ目の案、つまり高山本線経由を選択した。
高山へ訪ねたい理由を一つ、思い出したのだ。
私の好きな作品に米澤穂信先生の書いた『氷菓』という青春ミステリがある。氷菓がアニメ化された際、バグ・パイプという実在の喫茶をモデルとする喫茶店が劇中に出てきたのだ。そこもローレンスと同じようにいつか行こうと考えていた。そのいつかは、今だろう。
こうしたわけで未だ九州は遠く、されど次なる目的地は決まった。
高山へ向かうのは午後以降にするとして、私は特に何か目的があるでもなく金沢をぶらぶらとした。喫茶店を梯子するなどして朝を過ごした。その他、浅野川を眺めておおらかな気持ちになったり、泉鏡花記念館へ足を運んだりもした。
さて、私は泉鏡花作品に若干の苦手感がある。
というのも過去に『高野聖』を読むのに難儀し、へばってしまったのである。それでも記念館を訪ねたのは「馬鹿な私でも何か気安く読めるような泉鏡花作品はあらぬか!?」という思いからである。
そうして展示内容をふむふむと眺めていると『春昼・春昼後刻』に食指が伸びたので買ってみることにした。
それから街の古書店にも訪れ、ニッカウヰスキーの創業者・竹鶴政孝著『ウイスキーと私』を買った。私は酒にはあまり強くないが、酒の本、酒好きや酒に造詣の深い人の書いた本などはついつい集めたくなってしまう質である。現に今ふと本棚を見ると坂口謹一郎『愛酒樂酔』、多田富雄『独酌余滴』、マイク・モラスキー『呑めば、都』などがある。
こうして旅先で二冊買い、旅路の総重量が増すことになった。おかげで旅先から帰った今も少々肩が痛い。
私は旅先でついつい古書店に訪れる癖がある。どうしてだろうか、旅先の古書店には並々ならない魔力があるのだ。
しかし旅先で訪れたくなるのは古書店だけではない。古着屋にも訪ねたくなるのだ。東京にも下北沢という古着の街があるが私は自らの方向音痴グセのために少し苦手としている。
下北沢はくねくねと入り組んだ街並みをしている。それに右を向いても左を向いても古着屋がある。そうすると私が贔屓にしている店がどこか分からなくなることが多々あり、結果、迷うだけ迷って疲弊することがままあるのだ(Googleマップなどでリスト化すればいいのだが、いつも失念する)。
一方で旅先の古着屋は下北沢ほど店舗数も多くなく、また一本道に密集しているおかげで整然としていて分かりやすい。だから私は旅先の古着屋街を訪れるのが好きであって、竪町商店街の古着屋をぷらぷらしていた。
そうしてビビッとくるトレーナーに出逢い、買った。衣服は本に比べれば大抵は軽いけれど、しかしリュックの体積を占めてくる。
こうして我がリュックは次第に重く、それからパンパンに膨れ上がっていくのであった。
第二章 高山
高山を目指し、私はIRいしかわ鉄道に乗り込んだ。これで富山まで進み、それから高山本線で鈍行に揺られてゆくつもりだ。
IRいしかわ鉄道に乗るのも初めてのことであったが車内の作りがJR西日本の雰囲気を有しており、大阪出身である私は懐かしい気持ちになった(後でIRいしかわ鉄道がJR西日本から経営分離されたものだと知った)。
18時ほどに富山に着いた私は、高山本線では交通系ICカードが使えないというので高山駅までの切符を買い、早速高山本線に乗り込むことにした。
改札で駅員さんが「19時半から発車する電車もありますが……」と言うがGoogleマップを見れば18時半の富山駅発猪谷駅着に乗り、それから1時間待って20時半ほど発車の高山駅行に乗りなさいと書いてある。
馬鹿な私は愚行にもGoogleマップを鵜呑みにし「大丈夫です!」と駅員さんに言い、改札を通ったのであった(後から調べると19時半からの電車に乗って20時半ほど着の猪谷駅で降り、それからすぐ発車の電車に乗り換えすればよかったらしいのである。猪谷駅は確か単一プラットフォームだから乗り換えに時間も要さない。要するに私が大馬鹿だったのである)。
それから1時間ほどして中継地点の猪谷駅に着いた。猪谷駅は名前の通り谷に位置する駅で、プラットフォームからあたりを見渡しても待合室と山々、それから真っ暗な空しかない。随分孤独な駅である。
私は次の列車が来るまでの約1時間、待合室で時間を潰した。
待合室にある自販機は空で、木目調の椅子の端には誰のものか分からないジャケットと登山帽らしきものが無造作に置かれている。風の音も、鳩の鳴く声も聞こえない。待合室も淋しい。
電車を出たときは他にも何人かいたのだが、待合室には私ともう一名、男が居るのみである。
淋しい駅に自分以外の誰かが居る、それは必ずしも孤独を癒やすものでは全くない。無関係の、縁の無い人が同じ空間にいても、それは互いに一人ぼっちでしかないのだ。見知った人が同じ空間にいて、一人ぼっちというのは初めて解消されるものだ、とひしひしと感じた。
きっとこれが水曜どうでしょうの旅中であれば大泉洋が「あんたふざんけじゃないよ、だからぼかァ駅員さんを信じましょうと言ったんだ」などと藤村Dにボヤいているんだろうな、と愉快な妄想をした。
けれど私は一人だ。誰も私の馬鹿な旅程を笑ってくれる人、文句を垂れる人はいない。一人は淋しい。
ひとりある身はなんとせう。
駅ノートがあったので読むことにした。
でかでかと1ページ使って「〇〇参上」と書いた人。短い文だけれどここへ来た目的を書いた人。可愛らしい絵を描いた人。海外から来て何かを書き残した人。
今この時間ではないけれど、いつかの日、いつかの時間に誰かがここを訪れていたのだ、ということが感ぜられると淋しい気持ちは少し薄れた。
森見登美彦『夜行』の聖地巡りでここへ来た、あるいは通過中だと書いた人もいた。そうだ、そういえば奥飛騨が『夜行』に出てきていたな、と思い出した。
『夜行』の聖地巡礼がてらに一筆書かれた駅ノートに、森見登美彦氏のトークイベントを経由して旅を続ける私が出逢う。なんとも面白い、妙な縁だと感じた。
私も書くことにした。森見登美彦のトークイベントで金沢へ行き、そしてこれから米澤穂信『氷菓』の聖地を訪ねて高山へ行くことを。
長々と書いていると丸1ページ、使い果たしてしまった。
そんなことをしているうちに時間がやってきて、私は電車へ乗り込んだ。
高山駅に着いたのは確か22時前ほど。もはや居酒屋などに寄る気力もなく、私はコンビニを経由してホテルへ行き、名古屋へどう向かうかも考えずに寝たのである。
翌朝である。
ホテルを出る前に名古屋への旅路を考え、それから念願のバグ・パイプへ寄った。私はここでもココアを啜った。ココアブームが来ているらしい。
メニュー表を見ると季節限定のジュースがあるらしく、冠に春季や夏季などと付いている。私は氷菓の聖地で小市民シリーズを想起せざるを得なかった。
名古屋へは14時発の高速バスに乗って向かう予定だ。
それまでの時間を潰すべく、私はそこらをうろつくことにした。宮川沿いを歩いたり、櫻山八幡宮を訪れたり、それから『氷菓』の千反田えるの飛び出し坊やに偶然にも出会い写真を撮ったりするなどした。
また、道中で大きな招き猫を見かけた。
これは幸運の兆しかもしれない!と思い近くにあった煙草屋でスクラッチくじを1,000円分買った。名古屋へ着いてからホテルで削ったが、当たったのは200円×2枚の計400円だけであった。
しかし思い返せば前日のエリザベス女王杯でスタニングローズとラヴェルのワイドを800円分買い、それが29,000円くらいになって返ってきたので幸運を前借りしていたのだと思う(よく写真を見ると、招き猫の手前にお馬さんの絵もある)。
それでもまだ14時にはならない。私はタイムスケジュールを計画するのが下手であるが、時間を無闇矢鱈に潰すのは得意である。
もう一軒、気になっていた喫茶に寄ることにした。
藍花珈琲店という喫茶で、こぢんまりとしているがなんとも雰囲気の良い店である。
歩き続けて小腹も空いたのでピザトーストを頼んだのだが、これが旨い。今まで食べたどんなピザトーストよりも旨いのである。
隣では中国か韓国から来たであろう留学生、あるいは旅行者の女性が「どぶろくを呑むんです」と少しカタコトな言葉遣いで店主と喋っていた。なんだかよい一幕を見たような、微笑ましい気分になった。それにしても何故カタコトの言葉はあんなにも可愛く、愛おしく聞こえるのだろうか。
第三章 名古屋
昼下がりの移動は眠い。
特に電車での移動よりも高速バスでの昼下がりの移動は特に眠い。空気の入替が電車ほど発生しないことで二酸化炭素濃度が比較的高くなるためだろうか。
そういうわけで高山から名古屋までの移動はただ眠く、憶えていることといえば隣が中国人観光客だったことのみである。
この旅では金沢行きの新幹線といい、喫茶の隣客といい、訪日観光客と隣になることがやたらと多い。こうして旅先にわざわざ日本を選んでくれているのだから、良い思い出を一つでも多く増やしてほしいと願うばかりである。
名古屋へ着きホテルへ荷物を置くや否や、私は栄の方へ足早に向かった。
なぜ栄に向かったのか、その詳細は尾籠な話となるのでここで述べるのは差し控えたい。あくまで本紀行は健全で無垢なものであるからして、詳細は補遺にでも書くこととしたい。
諸用を済ませた私は、夜来香(イエライシャン)という名の餃子屋で夕食をとった。町中華の愛好家である私は1週間ほど中華を口にしていなかったため中華料理を猛烈に掻き込みたい口になっていた。その折に栄をぶらついていると「餃子なら夜来香」と喧伝するような看板を見つけたので入るほかなかったのである。
頼んだのは焼餃子と若鶏のうま煮ご飯、それと生ビール。
先述の通り私はあまり酒に強くなく、特に生ビールは進んで呑まないのであるが、餃子の旨味や旅の疲れも相まってか久しぶりに生ビールを美味しく感じたことができ嬉しかった。
夕食を済ませた私はバーへ向かい、ちびちびと酒を呑んだ。
バーでウイスキーカクテルを飲みながら昨日手に入れた竹鶴政孝『ウイスキーと私』を読む、これをどうしてもやりたかったのだ。
実際、ウイスキーを呑むにあたってこれほどに適した文の肴はないほどに、楽しく書を読めたのであった。
ホテルへ帰り、私はセントレアから福岡空港までの航空券を予約し、眠りについた。
翌朝、セントレアへ向かうために最寄りの伏見駅から東山線に乗って名古屋駅へ向かった。名古屋の地下鉄へ乗るのはこれが初めてであったがインターネットで指摘されている通り奥へ詰めない人がたくさんおり「これが噂の!」と少々感動した(ちなみに我が故郷・大阪では1.5人分のスペースを一人で占めたり微妙に隣とスペースを空けたりする人がいるために例えば6人座れるシートが5人で占められることがままある。電車の乗り方も街によって違うのだろう)。
それから名古屋で名鉄空港線に乗り換え、私は空の旅へ出かけたのである。
第四章 博多
飛行機に乗るたびにいつも感じることがある。それは不安と喝采である。
前者の不安とは離陸した際に浮遊感を感じるときや機体が曲がろうと傾くとき、キャビンアテンダントが何やら慌ただしく話しているときに私が感じる「何かあったのではないか」というものである。
飛行機で事故は滅多に起こらないと知っている。けれど不安性な私はついつい「落っこちてしまうのではないか」と気が気でなくなるのである。
そして後者の喝采とは、飛行機が無事に離着陸した際に拍手喝采してしまいたくなる気持ちのことである。離着陸が成功すると私は感動してつい拍手をしたくなるのだが、他の人はどうなのだろうか。
ともあれ博多空港へ着いた。ついに九州上陸である。
私は博多駅まで行き、バスターミナルの地下1階で牧のうどんを食した。九州に来たら食べたいと思っていたのだ。
とにかく出汁が甘くて驚いた。少し過剰に例えると汁気のある和菓子を食べているみたいである。それに量が想像以上に多く、私は資さんうどんも食べたいと考えていたのだが、流石にその日中に食べるのは到底無理だ、と結論づけた。
またごぼう天も大変美味かった。後に訪れた資さんうどんでもごぼう天がさも当然のように出てきたので、ごぼう天うどんは文化なのだなと思った。
それから食べ過ぎで腹の苦しくなった私は吉塚駅へ移動し、ホテルに荷物を置いて小休憩の後、祇園へと向かった。
なぜ祇園に向かったのか、その詳細は尾籠な話となるのでここで述べるのは差し控えたい。あくまで本紀行は健全で無垢なものであるからして、詳細は補遺にでも書くこととしたい。
祇園へ向かう前に少し時間があったので、私は天神の方まで足を伸ばして古本屋へ訪れた。
私が旅先の古本屋へついつい訪れてしまう理由として金沢章で「魔力がある」と書いたが、それを噛み砕くと「その土地で生まれた、過ごした、あるいは活躍した文士の作品を取り扱うことが多い」という点にあろうか。
私は夢野久作作品を取り扱ってなかろうかと期待してその古書店へ入ったのだが、残念ながら私の観察した範囲では見られなかった。そうしたこもよくある、仕方ない。誰の落ち度でもない。敢えて言うならば勝手な期待を寄せた私の落ち度である。
しかしながら柄谷行人『反文学論』を手に入れられたのは大きな収穫であった(しかも講談社文芸文庫版ではなく、より古い講談社学術文庫版なのだ!)。
それから諸用を済ませた私は、ホテル近くの居酒屋で夕食をとることにした。
私は酒にはあまり強くない、というのを何度も書いた。しかしながら特例がある。それが日本酒である。当然、大酒飲みと比べるなんてことは恐れ多くてできないが、酒に強くない私でも比較的美味しく楽しく、そしてあまり悪酔いせずにぐびぐび呑めるのが日本酒なのである。
日本酒のアテにクリームチーズ酒盗を頼んだが、これがもう名前の通り酒が進む進む。
またTwitter(新エックス)のフォロワーに「九州は出汁だけでなく醤油も甘いよ、よかったら是非!」みたいなお言葉を頂いていたので刺身盛り合わせを頼んで、その甘い醤油とやらを楽しむことにした。甘くて旨いのだが、それ以上に、醤油を注いだ際にどろり、と粘性があるのに驚いた。
そして〆におでんを頼んだ。餃子巻きという見かけない具もあったが、出汁の中でほろほろになった餃子がこれまた旨い。
出汁まで呑んで酔いを若干覚ました私はホテルへ帰り、これからの旅路を考えた。
もう飽きていた。旅に飽きてしまった。
よくよく考えると私はある一つの街にだけ少しのあいだ滞在してその街の良さをさも現地の人と同じ目線で感じ取る、というエスノグラフィー的な旅が好きなのであって、短期間のうちに蜂がびゅんびゅん飛び回るように目まぐるしく移動していく旅はあまり得意としていないのだった。
だから疲れてしまって、旅に飽きが来ていたのだ。
しかし、あと一つ、どこかへ寄りたい。そして帰りたい。
もともと九州へ着いたら長崎、別府、鹿児島へも寄りたいと考えていた。長崎には私が好きな近代建築やビジュアルノベル『さくら、もゆ。』、映画『きみの色』の聖地がある。別府ではマラソンの如くいくつもの温泉を梯子してみたい。鹿児島では安心安全の鳥刺しを味わいたい。
この選択肢から全ては選べない。全てを訪れるほどの精神的体力はもう残っていない。仮にこの状態で全て回っても万全に楽しめる保証がない。それは旅先や旅という行為への失礼にあたる。
だから一つだけである。
そうして私は別府を選択した。
ちょうど持病の痔が悪化しており湯治したい気持ちであったゆえの選択である。
私は別府行きの高速バスを予約し、眠りについた。
第五章 別府
喫茶で朝食を終えた私は天神バスセンターから高速バスに乗り込み、別府へと向かった。
やはり眠くなり、高速バスの旅中での出来事は語るに値することは何もない。
あるとすれば隣の席の観光客が私の降りる手前の駅で下車する際、車内にスマホを忘れていったことくらいだろうか。気付いた私は車内を駆けバスが出発するまでに無事に手渡すことができた。異国の地で生活インフラであるスマホを失くしてしまってはとても心細いだろう。
別府へ着くと私は路線バスで「さんふらわあ」の乗り場近くにある資さんうどんまで向かった。どうも九州はこの時季でも暑く、体を冷やしたかった私はぶっかけそばの冷を頼んだ。
やはり量は多いが、美味かった。うどんは冷に限る。
私は別府駅の方面へ戻り竹瓦温泉へ浸かった。初め、お寺だと思っていた建物が実は温泉だったので驚いた。別にお寺として建てたものを温泉に改築したとかではなく、もとから温泉だったというので余計驚いた。
私は旅の疲れを癒やすように、そして尻の痛みが引くのを感じながら湯を楽しんだ。
湯の後、私はカップルひしめく別府タワーへ上った。「人間強度が下がるから恋人はいらないのだ」と狐が葡萄を諦めるように誤魔化しながら私は別府の夜景を眺めた。
それから私は歓楽街の方へ向かった。
なぜ歓楽街に向かったのか、その詳細は尾籠な話となるのでここで述べるのは差し控えたい。あくまで本紀行は健全で無垢なものであるからして、詳細は補遺にでも書くこととしたい。
翌朝、起きるなり私は1階へ降りてホテルのスタッフにもう一泊可能かと聞いた。もともと一泊して帰るつもりだったが、元来、別府へは湯治のために来た。もう少し、ここでゆっくりして湯治、それと旅の疲れの清算をしてもいいだろう。
幸いなことに同じ部屋にそのまま泊まってよいとのことだったので支払いを済ませて、私は温泉巡りに出かけた。
『別府フロマラソン』(著・澤西祐典)という小説がある。
別府八湯それぞれに一つだけ割り当てられたその年の当たり湯を一番乗りで全て制覇した者の願いが叶えられる(しかも期間はたった一日で、移動に際して文明の利器を用いてはいけないという制限もある)、という珍妙なイベント・別府フロマラソンを巡るなんとも諧謔的で幻想的な一作である。
流石に八湯全てを巡るのはしんどいが、この作品に触発される形で別府駅周辺の温泉をなるたけ入ってやろうと思ったのだ。
そうして別府2日目にまず訪ねたのは田の湯温泉である。熱い、熱い。非常に熱い。
それから次に朝見温泉に浸かる。朝見温泉は暑がりな私でも比較的入りやすい温度である。
先客の地元住民の方とお話をする中で「東京の銭湯ってなんぼなの」と聞かれたので「500から600円くらいしますねえ」と答えると「高いねえ、別府なんて100円、200円あれば入れるのに」と笑っておられた。
別府温泉の入浴料の破格の安さは、別府に住まう人々の誇りでもあるようだ。
さて、次なる温泉はいずこか。
しかしながら温泉巡りに対する求道心は既に湯に溶けてしまっていた。身体がほくほくして気持ちよくなって、もうこれ以上入らなくていいかな、という気持ちになっていたのだ。
私はそのままホテルへ戻り、二度寝を貪ることにした。なんて怠惰で素敵な過ごし方であろうか。
目を覚ましたのは15時前であった。
腹の空いた私は東洋軒でとり天定食を頂き、それから別府で暖を取る猫達を探す旅に出た。夕暮れも近づき、身体が次第に冷えてきたので私は再び温泉で身体を温めることにした。
4軒目は別府駅近くにある駅前高等温泉である。
熱湯、ぬる湯が設けられているが熱いのが苦手な私は迷わずぬる湯を選んだ。しかし、熱い。ぬるいとは一体何か。ぬるさの定義に一悶着を起こすような熱さである。
それでも入っているうちに身体が慣れ、段々と気持ちがよくなっていく。冷えた身体にはこれくらいが丁度よいのかもしれない。
温泉から出ると番台さんが話しかけてきた。
「どこから来はったの」
「東京です」
「東京は銭湯高いでしょう」
「ええ、500円だか600円だかします」
「別府ならそれで2、3回は温泉入れるのにねえ」
やはり別府温泉の入浴料の破格の安さは、別府市民の誇りでもあるようだ。
温泉によっては百円玉たった一つで温泉にざぶんと浸かれるのだ。有り難いったりゃありゃしない、と私も思う。
第六章 小倉
翌朝である。私は別府から特急ソニックに乗り込んで小倉に到着した。
小倉へ来たのは実に7年ぶりである。
7年前、大学生であった私はアイドルマスターシンデレラガールズの5thライブ・Serendipity Parade!!!を観に、小倉までやって来たのであった。
その頃訪れた小倉と、久しく訪れた小倉は何も変わっていない気がした。それは私の興味関心が今と比較して狭く、訪ねた場所が限定されていたからかもしれない。ライブ会場であった西日本総合展示場も外から見ると当時と変わっていないように思われたし、あるあるCityも懐かしいものであった。
当時、愚鈍なことに宿を取らずにいた私が閉店時間まで粘っていたマクドも変わらず営業を続けていた。
懐かしさに染み入る一方で、私は懐かしく感じることのできない、つまり7年前には訪れたことのない方へも足を伸ばしてみることにした。
私は小倉のアーケード街へ入った。
四方八方に様々な店があり、人の往来も平日とはいえ多く、賑わいのある楽しい街並みである。
アーケード街には数店の古着屋があり、私は店員さんの話術に乗せられるままパーカーや革靴などを買ってしまい、またもや荷物が増えた。しかし、これも楽しい旅路である。
小倉駅へ戻り、新幹線の切符を買う。
いよいよ帰路である。
終章 きっとまた旅に出る
私は小倉駅からのぞみ号に乗り、5時間ほど掛けて東京駅まで移動した。
その長時間に渡る移動で私はとある一つの重大な発見をした。それは人類の尻は長時間移動に適していない、ということである。幸い、痔への影響はなかったが下車する頃には尻が尻でなくなる感覚に襲われてしまった。
7日間に渡る日本をくねくねと蛇行するように半周した旅。
いま振り返ると反省点は多い。
まず当初、九州を目的地にして金沢などを経由しながら私は旅をした。しかしその目的地たる九州に滞在したのは7日間のうちの半分ほどしかない。
さらには訪れたことのない土地を訪れることを掲げておきながら、佐賀、熊本、鹿児島、宮崎には一つも足を踏み入れていない。
当初の本懐を中途半端にしか遂げていない、この旅は失敗である。
しかし成功した旅など、この世のどこにもないのではないか。旅とは完全に満ちることのない、不満足を何処かに孕むものではないか。
「あそこに行きそびれた」、「あれを食べ忘れた」
そうした不完全が少なくとも私の旅にはついて回る。そうしてその不完全を満たしに再び旅へ出ても今度もまた「あそこに行きそびれた」、「もう一度あそこへ行きたかったのに忘れた」などと、そんな不完全がぽこぽこと生まれてくる。
だから旅というものは不完全でよい。失敗でよい。
いつの日にかきっとまた、私は九州を旅するであろう。九州だけではない。金沢にも高山にも名古屋にも訪れる。
私はまた旅に出る。
そうしてそこでまたしても旅を不完全に、失敗に終わらせて、再び何度も旅へ出るのだ。