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王羲之の模本など、新たに4件が国宝へ。うち3件は三の丸尚蔵館蔵。鳥獣戯画の断簡も重文指定
現在、東京国立博物館では、特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」が開催されていて、いつもにも増して「国宝」が注目されています。
そんななか、11月18日に文化審議会は、新たに4件を国宝に47件を重要文化財に指定することについて、文部科学大臣に答申しました。この結果、国宝は906件、重要文化財は10,872件になる予定です。
新たに国宝に指定される4件のうち3件は、宮内庁の三の丸尚蔵館が保管しているものです。昨年(2021年)まで、皇室の所有品(三の丸尚蔵館の収蔵品)については、文化財指定の対象外だったため、国宝に指定されることはありませんでした。
なんで文化財指定の対象外だったと言うと(別報道によれば)「宮内庁でしっかりと管理されていて、あえて指定する必要がなかったから」とのこと。ただし、三の丸尚蔵館の収蔵品について、宮内庁と文化庁は「皇室に受け継がれた貴重な美術品類の発信を充実させ、 国内外の多くの方々への公開を進める」という指針を立てました。つまり、今までは江戸城にある三の丸尚蔵館でした公開していなかったけれど、もっと積極的に公開していきますよ……ということ。
こうした変更により、昨年には今まで文化財指定の対象外だった三の丸尚蔵館所蔵の、伊藤若冲『動植綵絵(三十幅)』や高階隆兼『絹本著色 春日権現験記絵(二十巻)』、『紙本著色 蒙古襲来絵詞(二巻)』、狩野永徳『唐獅子図(一隻)』、小野道風『屛風土代(一巻)』の5件が、初めて国宝に指定されました。
また、従来ほぼ三の丸尚蔵館でしか公開していなかったのを改めて、東京藝術大学博物館では、特別展『日本美術をひも解く―皇室、美の玉手箱』が8月に開催されました。
さらに、その三の丸尚蔵館についても、来年の2023年10月からは、管理・運営を宮内庁から国立文化財機構へ移管。収蔵品も文化庁が管理することにしました。来年のリニューアルオープンが予定されている、シン・三の丸尚蔵館は、東京国立博物館や京都国立博物館などと同じ存在になるということです(そんな認識でよいんですよね?)。
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まぁ、もともと皇室が国に寄贈した収蔵品を展示公開しているのが、三の丸尚蔵館なのですからね。今後は、京都や奈良、九州の国立博物館をはじめ、日本中の様々な地域で、三の丸尚蔵館の収蔵品が見られるようになるのでしょう。東京へ来なくても見られる機会が増えるというのは、とても素晴らしいことだと思います。
ということで、話を元に戻すと……今までも「これは国宝級だよね」と言われていたものが、三の丸尚蔵館にはたくさんあったわけです。そうした優品が、徐々に国宝へと指定されていっているのは……つまりは、皇室だけでなく、国民の宝となってきているということです。
今回は、どんなものが新たに国宝を含む重要文化財に指定されていたのかを、見ていきまます。ほとんど知見がないので、文化庁の説明をほぼコピペしてお送りします。
新国宝『喪乱帖』中国・唐時代・8世紀(国所蔵・三の丸尚蔵館保管)
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東晋の書聖、王羲之《おうぎし》(303?~361?)の書簡を唐代に写した精巧な模本である。内容は、戦乱により先祖の墓が荒らされた深い悲しみを記す。一行目に「喪乱《そうらん》」の字が見えることから「喪乱帖《そうおらんじょう》」と名付けられている。
「帖」とは法帖《ほうじょう》、習字の手本のことである。王羲之《おうぎし》の真筆《しんぴつ》は現存せず、王羲之《おうぎし》筆の書簡などの精巧な模本が古来珍重されている。
喪乱帖は、現存する王羲之書の精巧な模本9点のなかでも、もとの書簡を書
いた年代が永和12年(356)と確かであること、文章としてまとまった内容であること、模写の技法が優れていることなどにより、第一級品とされ、書道史上たいへん貴重である。(中国・唐時代・8世紀)
新国宝『更級日記』藤原定家筆・鎌倉時代・13世紀 (国所蔵・三の丸尚蔵館保管)
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本書は菅原孝標女《たかすえむすめ》(1008~1059)が著した『更級日記』の最古写本である。
書写は藤原定家(1162~1241)が自ら行った。また、伝本に誤字、不審箇所が多いため、定家自ら朱を入れたり、注を入れたりしたことが奥書に記されている。
江戸時代、後西《ごさい》天皇(在位1654~1663)の御物《ぎょぶつ》となっていたが、それ以前から錯簡が発生していた。その錯簡は江戸時代の写本・版本すべてに引き継がれているため、本書が唯一の祖本であることが明らかとなっている。
定家自らが書写・校訂を行った典籍として、また、『更級日記』の祖本として、我が国の文学史上に極めて価値が高い資料である。(鎌倉時代・13世紀)
新国宝『万葉集 巻第二、第四残巻(金沢本)』藤原定信筆・平安時代・12世紀 (国所蔵・三の丸尚蔵館保管)
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平安時代の『万葉集』の古写本で、金沢藩主前田家に伝来したことから「金沢本《かなざわぼん》 万葉集」と呼ばれている。分類上、次点本と呼ばれる系統に属し、仙覚《せんがく》(1203~?)が校訂した新点本《しんてんぼん》以前の古写本として重要な価値を有する。筆者は世尊寺《せんそんじ》家の第五世、藤原定信《さだのぶ》(1088~?)で、壮年期の筆と推定されている。速筆で全体の流れや流動感による美しさを追求した完成度の高い筆跡であり、和製唐紙(彩牋)を用いた美麗な料紙とよく調和し、書道史上においても高く評価されている。
本帖は、平安時代の「五大万葉」の一つとして、我が国の文化史上において極めて高い価値を有する。(平安時代・12世紀)
新国宝『北海道白滝遺跡群出土品』(遠軽町埋蔵文化財センター保管)
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全1965点から成る一括。約15,000~30,000年前の遺物であり、わが国で最も古い国宝となる。
後期旧石器時代前半期の小形剝片石器を主体として石刃技法が顕著な石器群
と、同時代後半期の細石刃石器群、および細石刃石器群に優美で精巧な作りの尖頭器を伴う石器群などに分けられ、後期旧石器時代前半期から後半期に至る石器の変遷と組み合わせを明瞭に追うことができる。中でも、全長 36.3 センチメ せんとうじょう もくようけいせんとうき ートルの超大形の尖頭状石器をはじめ、多数の木葉形尖頭器、それらの製作にかかわる数百点の剝片・砕片を接合した接合資料・石核、現存最大長の大形石刃等が注目される。わが国の旧石器時代遺跡出土遺物の中でも、内容・質量ともに 群を抜く一括資料である。(後期旧石器時代・約 15,000~30,000 年前)
以下は重要文化財への指定
重文『絹本著色雪舟等楊像』雲谷等益筆 江戸時代・17 世紀・常栄寺(山口県立美術館寄託)
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重文『紙本金地著色南蛮人渡来図』桃山時代・17 世紀(国所蔵・三の丸尚蔵館保管)
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重文『紙本著色世界図』桃山時代・17 世紀 (国所蔵・三の丸尚蔵館保管)
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オランダ製壁掛け世界図(1609年版、ブラウ作製カエリウス改作)を主な典拠とする大型の屛風絵で、右隻には上部に王侯騎馬図、その下に28都市図とポルトガル地図を並べ、左隻には中央に世界地図、左右に42の諸国人物図を配する。我が国の初期洋風画にみられる諸画題を網羅的に併置することが特徴的で、精緻で崩れの少ない描写は見応えがある。初期洋風画のなかで屈指の優品である。
重文『築地明石町・新富町・浜町河岸』鏑木清方筆・昭和2年・5年(東京国立近代美術館保管)
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重文『紙本墨画 鳥獣人物戯画 甲巻断簡』平安時代・12世紀 (滋賀県のMIHO MUSEUM保管)
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秋草を背景に、擬人化された猿、蛙、鼠たちが左右それぞれに視線を送る様子が秀逸な墨線で描かれる。古くは右が競馬、左が蹴鞠の場面に接続していた。
国宝・鳥獣人物戯画(京都・高山寺)甲巻に現状で直接接続するものではないが、様式と紙の特徴から、甲巻の断簡であることは確実である。本断簡は甲巻ひいては鳥獣人物戯画の全体像を考える上で極めて重要な作例である。
重文『紙本墨画 鳥獣人物戯画 丁巻断簡』鎌倉時代・12世紀 (MIHO MUSEUM保管)
重文『紙本墨画 鳥獣人物戯画 丁巻断簡』鎌倉時代・12世紀 (滋賀県のMIHO MUSEUM保管)
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前半に馬に乗った二人、後半にもう二人が相撲をとる様子をおおらかな墨線
で描く。国宝・鳥獣人物戯画(京都・高山寺)丁巻に現状で直接接続するものではないが、様式と紙の特徴から、丁巻の断簡であることは確実である。甲巻以外の断簡で現在知られているものは本作が唯一で、本断簡は丁巻ひいては鳥獣人物戯画の全体像を考える上で、極めて重要な作例である。
重文『絹本著色雪舟等楊像』雲谷等益筆 江戸時代・17 世紀・常栄寺(山口県立美術館寄託)
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重文『絹本著色 惟松円融像』雲谷等顔筆 江戸時代・17 世紀・常栄寺(山口県立美術館寄託)
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常栄寺3世・惟松円融(?~1614)の肖像画で、その晩年に弟子の法雲恵藤に
与えられたものである。画面向かって左下の印と様式から、毛利輝元に仕えた雲谷派の祖・雲谷等顔(1547~1618)の作であることも判明する。堂々とした形態把握と気迫を感じさせるやや陰鬱な表情に、きらびやかな彩色とがあいまって独特な存在感を示す優品で、雪舟風の重厚な墨画で著名な等顔が、着色画においても本格的な技術と個性的な作風を持っていたことを示す代表作として高く評価される。(桃山時代・17世紀)
重文『金銅の密教法具』小網寺
館山にある、小網寺(千葉県館山市出野尾 859)の密教法具。
同寺には、1286年(弘安9年)には物部国光によって鋳造された、重要文化財に指定された梵鐘がある。梵鐘の銘文には「金剛山大荘厳寺」とあり、これは小網寺の古称といわれている。
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銅製鍍金の密教法具類で、五鈷鈴(ごこれい)・五鈷杵(ごこしょ)・独鈷杵(どっこしょ)・金剛盤(こんごうばん)・輪宝(りんぽう)と輪宝台・羯磨(かつま)と羯磨台・花瓶(けびょう)・四橛(しけつ)などの組み合わせである。鎌倉から室町時代の製作で、当初からの一具ではないが、法具として後世に組み合わされたと思われる一群である。
鎌倉時代の法具は、鋳上がりのよい優品であり、また、金剛盤・蓮華台・花瓶等には金沢審海の刻銘があることから、房総半島対岸の金沢・称名寺の開山である妙性房(みょうしょうぼう)審海に関連する遺品であることがうかがわれる。
安房における密教道場として、鎌倉時代には大規模な伽藍が整備され、隆盛した小網寺に伝来した。本件は、鎌倉時代の優品を含む中世の密教法具の遺例として貴重である。(鎌倉~室町時代・13~16世紀)
年に何度か館山へ行くのが、いつか行ってみたいと思っていた寺です(家族が渋い顔をするので、なかなか行けず……)。
その他の新たな重文指定
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