国宝『伴大納言絵巻』のストーリーを(講談風に)ざっくり解説【下巻】
さて、前2回のnoteでは、やまと絵《伴大納言絵巻》についてお話させていただいております。改めて、この絵巻は貞観八年、西暦で言いますと866年、紫式部や清少納言などが生まれる100年ほど前、平安時代の前期に起きた「応天門の変」という大内裏の南の門が焼け落ちるという事件を題材に、事件のおよそ300年後に、後白河法皇が『年中行事絵巻』とともに描かせたものと伝わっておりますが、定かなところは分かっておりません。
それでも出光美術館に残る《伴大納言絵巻》は、上巻、中巻、下巻の3巻で構成され、上巻は約8m39cm、中巻約8m58cm、そして今回お話する下巻は9m31cmにも渡って描かれたものでございます。
上巻では、検非違使が応天門へ駆けつける場面から始まりまして、群衆が燃え盛る応天門を間近で見てやろうと、我も我もと集まっておりました。火災がおこると、伴大納言こと伴善男が、すかさず天皇、御門の元へ参りまして「応天門は左大臣の源信によって放火された」と注進いたします。さらに伴大納言が謁見した後には、太政大臣の藤原良房が参りまして「伴大納言の言葉を信じてはいけません」と、すかさず忠告いたします。事件はすんなりと解決するのか、それともこじれにこじれていくのか……。そうして読み進めて行くと、中巻では、容疑者とされていた源信の屋敷の様子が描かれております。主従ともに、厳罰に処せられると悲嘆しているところへ、朝廷からの使いがやってきて、なんと罪に問われないことが決まったのでございます。これで事件は未解決のまま終わるのかと思いきや、京七条の棟割長屋の子供どうしの喧嘩が元で、応天門火災の直前に「伴大納言が応天門の階段を下りてきた」という重大証言が飛び出し、この証言が、京の洛中に広まることと、あいなったのでございます。
この舎人の話を聞いた数十人が、訳知り顔に数十人に話し、それを聞いた数十人がさらに家族や隣人に話し、尾ひれを付けながら洛中に広まっていき、とうとう、当時の警視庁とでも言うべき検非違使にまで聞こえるところとなりました。
そしてついに、出納(すいとう)と舎人の家のある、京七条の棟割長屋に、馬がいななく声が聞こえてきたのでございます。馬が……ではなく馬に乗った、検非違使(けびいし)が、舎人の板壁の家の前で止まる……手下が狭い家をサッと囲んだところで、家の扉をドンドンドンッと叩きます。
「検非違使である! 舎人はおるか⁉︎」
すぐに扉が開き「舎人でございます。何ようでございますでしょうか」と顔から血の気の引いた舎人が顔を出しました。あたりの住人は誰も彼もがひっそりと息をひそめ、締め切った扉や窓に耳を押し付けて、その様子を伺っているのでございました。不気味に静まり返った街中に、検非違使の役人の声が響きます。
「応天門の火災について、おぬしに問いただしたきことがある。検非違使庁までついてまいれ。よいな⁉︎」
舎人は「かしこまりました」と言うしかございません。整える身支度もありません。「この時が来た」というように、家の中で不安げな顔で見つめる妻にうなずくと、そのまま家を出ていく。血の気を失った顔の妻は、ふらふらと立ち上がると、扉にもたれかかりながら、夫が検非違使の下級役人に腕や肩を掴まれながら連れて行かれるのを見つめていたのでございます。
この時、不安だったのは、舎人やその妻だけではございません。一連の騒動の元となった、隣家に住む伴善男の家人……出納(すいとう)の夫婦も同じように「これからどうなるのだ……えらいことになっちまいやがった……」と、自宅の扉を開いて、こちらもまた、連れて行かれる舎人を見つめているのでありました。
役人に取り囲まれながら、舎人が連れて行かれた先は、検非違使庁の、判官(ほうがん)の執務室の庭先でございました。判官とは、検非違使庁の尉(じょう)……すなわち四等官の3番目にあたりまするが、検非違使庁においては実質的な責任者でございました。
時代劇で遠山の金さんが片肌脱いで桜吹雪の刺青を見せる……その奉行所のお白洲のような場所を思い浮かべてくださいまし。身分の低い舎人は、今とは違って役所内には上がれない。引っ立てられるように、庭先へ放り込まれると、そのまましばらく額を地面につけて「いったいこれからどうなるんだ」と、うずくまっておりました。まわりの樹木は美しく紅葉しておりましたが、もちろん舎人が、その美しさに気がつくわけもございません。
舎人がそうして30分ほども待ったでしょうか。ついに判官が現れたのでございます。遠山の金さんとはだいぶに様子が異なるものの、凄みのある低い声で「おぬしが舎人か?」と問われます。もちろん当時の高位者は、直接平民に声がけすることはなかったかもしれず、この時にも、実際に舎人に問いかけたのは、判官の部下だったかもしれません。しかしそれでは語るのも面倒、話も詰まらない、ということでここでは判官が舎人に直接問うことにいたします。すると舎人は……
「ははぁ! 舎人でございます」
いっそう地面に額を擦り付けながら、舎人が震えた声で答えます。すると判官は軽くうなずきながら、さらに問いかけます。
「ぬしは、応天門が焼けた直前に、その場所にいたそうだな。仔細を申せ」
舎人は、体の震えが止まりません。言って良いものかどうか、言った場合にどうなるかが分からず、できるならばもう何も言わずにおきたいと考えていたようでございます。庭の土が爪の間にめり込むのも構わず、何かに縋りたくて、土をガッシと掴みながら……
「それはご勘弁くださいませ。わたしは何も見てはございません。お許しください。わたしは何も見ておりませぬ」
ひたすら「ご勘弁を! それだけは…」と平伏し続けたのでございます。もちろんこれで「それならそれでけっこう」などと判官が許すわけもございません。判官は「ちこうよれ」と言いながら、笏を振って、舎人を手招きする。すると舎人が近づく。「もっと近くじゃ」と判官が呼ぶ。「ふえぇ」と舎人が訳のわからない声を出してまた近づく。すると判官が、静かにこう言うのでございます。
「申さぬとな? それではぬしが洛中に嘘を触れ回ったとして、厳罰に処するしかなくなるが、それでも良いか?」
そう脅されると、そんな理不尽な目に遭いたくもございません。舎人が考えている間に、判官は、ペシッ……ペシッ……ペシッ……と、ゆっくりとしたリズムで右手にもった笏で左手の手のひらを叩いておりました。一方の舎人は、相変わらず体をガクガクと震わせながら、黙っているべきか、それとも言うべきなのかを必死に考えるのでございますが、焦りと恐怖で頭のなかでは、「どうすりゃいいんだ?」と叫んでいるだけで、理性なんてもんは吹っ飛んでいて、カラカラと考えが空回りしっぱなしでございました。
そうして舎人が黙っていると、判官が笏を打つの止める……舎人を含む周りの者たちが「笏が止まっ……」た、と思おうとしたその直前に……
「もぉさぬかぁ〜!!」
と、判官が大音声で一喝。その声は庭に響き渡ったのでございました。控えていた役人はもちろん、舎人もうずくまった姿勢のままで、飛び上がらんばかりにビクゥ〜っと体を反応させたのでございます。
舎人は体を飛び上がらせたあとに、元の姿勢に戻ろうとしたのですが、どうやら体のどこかのネジが二三、壊れちまったようで、どうにも座ってられずに、正座したままの姿勢で固まったまま、ころんと右側に崩れてしまう。体を起こそうとするのですが、どうにも体が動かない。
そばで一緒に飛び上がっていた下級役人が、見かねて舎人を元の姿勢に戻そうとする。一旦は戻るものの、手を離すとまたコロンと崩れる。仕方なく舎人を押さえつけておくこととなりました。
どうにか姿勢を戻した舎人は、ぜぇぜぇと息を吸ったり吐いたりしておりました。それをジッと見守る判官。
息が整ってくると舎人は、もう言っちまおうと決めたのでございます。正義なんて了見はございません。ただただ、今、ラクになりたかったのでございます。言おうが言うまいが、いずれにしても処罰される怖れがあるのなら、見たことを全て吐き出してしまおうと心を決め、判官のいる縁側にもたれかかり、洗いざらいを話したのでございます。
その後は、事件直前に応天門で見た様子を舎人が話し、判官がうなずきながら聞くという時間が続きました。時々は判官が質問を投げかけて、舎人が答える。二人の問答が続いた後に、しばらくすると判官は「よう申した」と一言いうと、それ以上は何も言わずに奥へと行ってしまわれたのでございます。
さて、舎人の話を聞いた判官は、どんな裁定を下すのか……と言っても、この時代には、司法・行政・立法の「三権分立」なんて言葉はもちろんございませんし、むしろこの3つの権力は密接に関わっておりました。
そんな時代に、舎人が話したのは「応天門は、御門からの信頼もあつい、現在、一二を争う権力者の伴大納言が、応天門を放火した」ということ。
むろん判官も、その三権の中で上り詰めたいと考えているのでございますから、単に真実をあきらかにすれば良いだけではなく、時には真実に背く裁定をとることになったとしても、自身の現状の権力を守り、または盛んにしていかかなければなりません。そうした諸条件をかんがみて、どのような裁定がくだされるのか、朝廷内……公卿・公家たちは気が気ではありませんでした。
それから数日が経過いたしました。それまでに検非違使庁の判官は、頭を悩ましたはずでございます。事件のゆくえを御門が気になされているという話は、判官も聞いておりました。また太政大臣の藤原良房や、その弟である右大臣の藤原良相が何度も使いを判官のもとにやって、進捗を問うてくるのでございました。この判官が、いつにもまして、両大臣をはじめ、事件の新たな容疑者となった伴大納言こと伴善男など、公卿のなかでも高位の者たちの運命を決めることになったのでございました。
そしてとうとう、検非違使の兵たちが、ある場所へ向かうのでございました。その日は洛中を、ドドドドドドぅと地響きが立ち上りました。検非違使の役人たちの表情からは、緊張感が伝わってまいります。洛中の者たちは、あらかた何が起ころうとしているのかを察しております。そう……検非違使が向かっている先には、伴大納言……伴善男の屋敷があるのでございました。
隊列の中央には、先日、検非違使庁で舎人に話を聞いていた判官が、白と朱色の正服姿で、立派な黒毛の馬を進めております。そのまわりを、弓矢を持つ騎馬の武者や大勢の従者などが固めております。先頭のものが「ここが伴大納言が屋敷にございます」と報告すると、判官が「手はず通りに屋敷を囲めよ」と騎馬武者に下知しながら、「検非違使が来たと伝えよ!」と白い服の従者に伝えます。
判官の従者が、先に門をくぐると、伴大納言家の老いた家司が、屋敷の中から出てまいりました。家司とは、今でいう執事のようなもの。この時には、伴大納言の屋敷でも、検非違使の判官が主人を捕らえに来たと察しておりましたので、この時の家司の仕事は、いきり立っている判官をはじめとして検非違使の者たちの機嫌を損なうことなく、主人が大納言としての威儀を正す時間を稼ぐことでございました。
「ご苦労さまでございます。なにようでござりましょうか」と、ゆっくりと判官の従者に問うと、従者は「伴善男殿を捕らえに参った。既に屋敷の周りは検非違使の兵が取り囲んでおる。ここは穏便に伴善男殿を引き渡してもらいたい」といったようなことを言ったのでございましょう。老家司は、少し表情を曇らせましたが、狼狽することもなく「いま少しお待ちいただくよう、判官殿に伝えていただきますようお願い申し上げます。主人に、身支度をする猶予をちょうだいしたい」と、、判官の従者に頼むのでございました。
それから老家司は、屋敷に戻ると伴善男の部屋へおもむき「判官が参りましてございます」と言って平伏いたしました。それを静かに聞いた伴善男は「そうか……」とポツリと答えます。老家司は、「御無念にございました」と、また深々と平伏すると、伴善男はまた静かに「よい……」とだけ答え、老家司に向けるともなく「参るぞ」と言うと、55歳とは思えない身のこなしで、すっくと立ち上がったのでございます。
その頃、屋敷の中では、何が起ころうとしているのかを察した女たちが、涙を流しながら嘆いておりました。ここでも数カ月前に源信邸で起こったことが、また繰り返されているのでございました。ある者はひたすら涙を流して悲嘆に暮れ、ある者は天井を見上げて声を大にして泣き喚いておりました。良い時もあれば、こうして絶望に襲われることもある。いずれにしても、女性たちの運命が、知らないところで、彼女らはどうすることもできずに、変わっていくのでございました。
そして身なりを整えた、先ほどまで大納言だった伴善男が、屋敷から現れ、検非違使の兵や従者たちが警備するなかを、八葉車に乗り込み、屋敷を出発したのでございます。その様子を門の近くで見守る伴善男の家人たち。ある者は、涙をこらえきれずに泣き出し、ある者は、塀のそばで崩れ落ちてしまうのでございました。
「いざ! 参るぞ!」
判官が号令を発すると、「おぅ!」と検非違使たちが一斉に声をあげ、伴善男を乗せた牛車の車輪が回り始めます。屋敷を包囲していた兵たちも合流し、何事もなく捕縛できた安堵から、自然と笑みが浮かんでしまう……と思いきや、なぜだか分かりませんが、検非違使たちの表情には、安堵はもちろん、ひと仕事終えた清々しさなども感じさせるものはございません。
この後の詳細については、絵巻には描かれておりません。ただ、伴善男は検非違使……おそらく判官によって取り調べをうけたのちに、応天門放火の容疑により流刑となったといいます。
いちおうの史実としては……その後の伴善男は、拷問を受けても罪を認めることはなかったといいます。ただし罪状否認のまま、犯人として断罪され、死罪から流刑へと減刑されたものこ、伴善男は、伊豆国に流され、応天門の火災がおきてから2年後の、貞観10年の868年に、伊豆にて生涯を閉じることとなったのでございました。
これにて一件落着……なのでございますが、下巻の詞書の最終行……物語の最後の最後は、「いかにくやしかりけむ」という言葉で締めくくられております。「(伴善男は、)どれだけ悔しかったことだろう」ということでございますが、果たしてこれが、何を意味するのか……志半ばにして計画が頓挫してしまった伴善男は、どれだけ悔しかったことだろう……ということなのか、それとも……伴善男こそが冤罪で罰せられることとなり、悔しかったことだろう……ということなのか、今でも議論が分かれるところでございます。
これにて伴大納言絵巻の上・中・下巻、全てのお話が終わりましてございます。「ざっくり解説」と題しながらも、かなり長くなってしまいました。ここまでお読みいただいた方には、感謝しかございません。おありがとう、ございました。
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