国宝『伴大納言絵巻』のストーリーを(講談風に)ざっくり解説【中巻】
前回noteからお話ししている、《伴大納言絵詞(絵巻)》の続きでございます。
上巻では、検非違使が応天門へ駆けつける場面から始まりまして、群衆が燃え盛る応天門を間近で見てやろうと、我も我もと集まっておりました。そして上巻最大のハイライトである、ごうごうと音を立てて燃える応天門……そこからスコーン! と、静まり返った庭園のシーン……静かな庭に佇む男が空を見つめる場面がございまして、天皇の御座所である清涼殿では、「応天門を放火した犯人は、源信でございまする」と、伴大納言が清和天皇へ注進する……さらに直後には太政大臣の藤原良房が駆けつけて「伴大納言を信じてはなりません。裁断を早まってはいけません」と助言する……というところまでは、お話しいたしました。
その上巻では、5人の登場人物の名前が出て参りました。中巻のお話に移る前に、官位の下から順に改めてご紹介させてくださいませ。
まずは伴大納言こと伴善男。事件当時は55歳前後。没落著しい大伴氏……伴氏の出身ながら、有能だったことから大納言にまでのし上がり、清和天皇の信頼もあつかったそうでございます。さらに官位を上げるには、右大臣の藤原良相または左大臣の源信を失脚させるのが手っ取り早いわけですが、2人のうち、前者は藤原氏の中枢を担う有力公卿ですし関係は良好なので仲違いはしたくない……ならば後者の左大臣源信を……と考えるのも自然のことだったかもしれません。
その大納言の伴善男と利害が一致していたとされるのが、事件当時は53歳前後だった、右大臣の藤原良相(よしみ…とも)。左大臣の源信が失脚しさえすれば、良相が次の左大臣になれるわけであります。応天門の火災を源信の企てだとさえできれば……と思うのも自然のことのような気がいたします。
そして物語で冤罪となる左大臣の源信は、清和天皇の祖父にあたる、嵯峨天皇の息子であります。臣籍降下で源の姓を名乗り、最上位の左大臣になっていました。順当に進めば、次は太政大臣になっていたかもしれないという身分です。事件当時は56歳前後。官位の上では上位にある源信ですが、右大臣の藤原良相や大納言の伴善男……特に後者とは敵対関係にあったとも言われます。
臣下の中でラスボス的存在なのが、事件当時は62歳前後で、ほぼ引退していた太政大臣の藤原良房です。太政大臣は、該当するような人材がいなければ空位でも全く問題ない官位でございます。藤原良房は皇族などを除く、人臣として初となる太政大臣となった超実力者。と申しますのも、藤原良房は清和天皇の外祖父……つまりは、おじいちゃんにあたります。この頃から天皇家の中に藤原氏がガッチリと入り込んでいたわけです。ということで、清和天皇が幼い頃には摂政を務め、長じてからは太政大臣として補佐しておりました。一方で、跡継ぎの男子には恵まれず、甥を猶子として迎えて跡を継がせようとしていました(藤原基経)。おそらく、その点にカチンッ! ときたのが弟で右大臣の藤原良相。なぜ後継者として自分(良相)を選ばないのか! と弟に思われていたとしても不思議はなく、2人の不仲が伝わっております。そんな弟が応天門の変の主犯であると、薄々感じ、自身と家族の安泰がおびやかされるのではないか……と懸念していたのかもしれません。
最後に清和天皇でございます。先ほど申しあげた通り、太政大臣藤原良房のお孫さん。事件当時は16歳前後。既に今でいう成人式、元服を済まして2年後のことでありました。普段は伴善男を信頼していたようですが、さすがに幼い頃から世話してもらい、先生とも言える存在の、良房おじいちゃんへの信頼は、それ以上のものだったはず。
さて、源信に応天門放火の罪をきせて葬り去ろうとする判善男と藤原良相。そこに危機感を感じたのか、もしくは、仲の悪い弟を黙らせるチャンスと思った藤原良房。さらに重臣たちの間で、心揺れる若き御門……この5人の権力者が織りなす物語。事件はどのように決着をつけるのか!?
中巻では、無実の罪に着せられ、出仕停止となっていた源信の屋敷から始まるのでございます。屋敷の周りは朝廷の兵士たちが取り囲んでおり、兵士どもがザワザワ……ザワザワと話し込む声や騒ぐ声……馬のいななきなどが、源信の屋敷の中にまで聞こえてきたことは言うまでもないことでございます。
その屋敷の主人である源信は、庭へゴザを敷いて、黒い衣冠の正装で、肩を落として座っておりました。
「なぜ私が……なぜ私が応天門を放火などする必要があろうか。この歳になるまで大きな禍もなく、臣籍降下した多くの兄弟の中で、私だけが左大臣にまでなったというのに……なんの不満があるというのだ。八幡様……あなただけは私の無実を分かっておられるはず。どうか……どうかこの罪をば晴らしてくださいませ」
八幡様に祈ったかどうかはわかりませんが、この頃だと、あとは阿弥陀信仰がトレンドだったことでしょうか……まさに神にすがる思いで祈りを続け、肩をぐったりと落として座っていたのでございます。
この源信という男は、普段は嵯峨帝の息子ということで、なにかと鼻につくことは多いものの、本人に悪気はなく、人を不快にさせてやろう! などと思うような人物でもありません。まぁなんていうんでしょう。簡単に言えば良いところのボンという感じでしょうか。
そのためか、伴善男や藤原良相などから嫌われているとは自覚しながらも、身に危険を感じて、こちらから何かを仕掛けるということもなかったのでございます。特に伴善男などには、あからさまに嫌われていたのに、なぜこれだけ無防備でいられたのか、その方が不思議なことでございます。
さて……そうして源信が神に祈っている最中に、屋敷の外で何やら騒ぎが起こっておりました。なんと、屋敷を取り囲む、朝廷から派遣された兵士たちと、太政大臣の命によって遣わされた使者たちが押し問答をしている様子。どうやら太政大臣の藤原良房が、清和天皇に拝謁したのちに、使者を立てたのでございました。
実は源信の屋敷を囲むのは、藤原良相が差し向けた兵たち。伴善男が御門に謁見したのち、「御門から了解を得た」ということにして、藤原良相が近衛兵などに指示して差し向けたのです。そのことを伝え聞いたのが、兄の藤原良房。ことの次第を御門に確かめると、「兵で屋敷を囲めろなどとは、指示していない。もちろん源信に出仕停止や蟄居なども言っておらぬ」とのこと。そうと分かった藤原良房は、さっそく使いを、源信の屋敷へ差し向けたのでございました。
藤原良房の派遣した使者が「朝廷からの使いじゃ」と門番に伝えると、さっそく門が開きました。護衛の舎人や童を従えた使者が、馬に乗って門をくぐり、ゆっくりと母屋へ向かって進みます。その間にも別の門番が「使者が参りました! 朝廷からの使者が参りましたぞ!」と叫びながら、タッタッタッタァッ! っと……屋敷へ急いで駆けて参りました。その言葉は屋敷の者たちによって、奥へ奥へと伝えられていったのでございます。
「使者が……ついに裁定が下ったのですね……殿は……殿は罰せられてしまうのでしょうか……あぁ! どうなってしまうのですかぁ〜!」
屋敷の女たちは使者きたると聞いて、主人を罰する御門からの使者がきたのだと悲観し始め、前途に絶望して泣き叫び始めたのです。まぁこれは勘違いだったんですがね……というのも、応天門が燃えた晩から数カ月の間、市中では「左大臣の源信様が、放火の罪で近々処刑されるらしいぞ」……っという噂が広まっていたのでございます。噂は源信の屋敷にも伝わり、もちろん奥で働く女性たちの耳にも入り、源信の妻や老母の知るところとなっていたのです。そんな中での、使者の到来! 屋敷のなかは……特に女性たちのいる奥の部屋は、あるじがもうすぐ処刑されてしまうのだ……という雰囲気で溢れ、あるものは涙で袖を濡らして嗚咽し、あるものは天井を見上げるように号泣しておりました。
一方のあるじはと言えば……さすが嵯峨帝のご子息だけあって、さきほどまでは絶望のあまり嘆いていたとは思えないほど、それまで座っていた庭から屋敷へ上がると、水が流れるような所作で素早く身なりを整えて、汗一つ見せずに使者を迎えたのでございました。
ただし! 源信もまた、この時には処断が下ることを覚悟していました。屋敷が取り壊されるのか、または遠流か遠島か……「とうとうその時が来たかのか」という気持ちだったのでございます。覚悟ができていたかは分かりませんが、そこは左大臣にまでなった男。いざという時には肝も据わり、丁重に使者と相対します。
そして使者から申し渡された言葉に、とうの左大臣・源信が一番びっくりしたかもしれませんが、屋敷の者たちにとってはさらに想定外の内容だったのです。
その内容とは、左大臣としてこれまで通りに出仕すべしということ。つまりは、罪が晴れたと言っていいでしょう。源信は、使者たちに「ご苦労様でございました」とねぎらうと、すぐに主な部下を部屋に集めて「罪が晴れた。明日よりまた左大臣として出仕する」と告げたのでございます。
疑いが晴れたという結果も、すぐに屋敷内で広まりました。先ほどまで泣き叫んでいた女たちも「無罪となった。おぉ良かった……。まさか罪が晴れるとは……なんとありがたいことよ」と安堵し、祈りが通じたのだと、また祈り続けてたのでございます。
左大臣・源信の家では、疑いが晴れてスッキリしましたが、そうなると事件解決までの道のりは振り出しにもどります。犯人だとされていた左大臣・源信が無罪になってしまったのですから当然です。それでは誰が応天門に火を放ったのか? という話に改めて戻り、市中では様々な憶測が語られましたが、事件から半年が経つと、そのことも話題に上らなくなっておりました……。
そんな秋の頃です。場所は京の七条。棟割長屋の前の2人の少年が、相手を殴るわ蹴るわ、髪の毛を引っ張るわと、路上で大喧嘩を繰り広げておりました。当時は娯楽も多くありませんから、近所のおじさんやおばさんはもちろん、通りがかりの大人たちが「なんだなんだ」と立ち止まる。見れば喧嘩をしているのは、伴大納言の家来で、出納(すいとう)役をしている男の息子と、隣人で、さらに下級の官職である舎人(とねり)の子供。なにが原因かは分かりませんが、人々が眺めている間に、伴大納言の家来の息子がギャンギャン泣き出した。
外から息子の泣き声が聞こえてきたので「なにごとだ?」と外に出て来た、父親が「おう! うちの息子になにしてやがる!」と駆け出して子供2人を引き離す。
引き離すだけなら良いのでございますが、何を思ったか、大の大人が、舎人の息子をこれでもかと蹴倒し始めた。その息子は息子で、舎人の子供の髪を鷲掴みにして、ギュッと引きちぎる。大人が幼い子供に容赦なく乱暴をふるう姿に、さすがの見物人たちも見ていられない。……と言っても立ち去ったわけではないんですけどね。
そのうちに今度は、蹴倒されている方の父親が、家から駆け出して来た。「おい貴様、なにをしておる! 子供の喧嘩でどちらの言い分を聞くこともなく、いい大人が子供を一方的に乱暴するとは、どういうことだ!」と怒鳴ると、すかさず息子を助けたのは当然のこと。
すると大納言家の出納の男が「右兵衛府の舎人ごとき貧乏役人が何を言うか。わしは大納言様の家来であるぞ!」と凄むのでございます。
この頃の源信は赦されたとはいえ、精神的にかなり追い込まれてしまい、あれ以来、役所も休みがちなこともあり、「気の毒だが、左大臣はもうだめかもな」と噂されるほど、力を落としています。
逆に、以前に増して権勢を振るうようになったのが、伴大納言こと、伴善男です。さらに、その主人の権勢の笠を着て市中でえばり散らしていたのが、大納言の家来衆でございました。家来の中でも末端の出納まで、そんな調子でございますから、手に負えません。
ただし! 相手が悪過ぎたのでございます。
出納の男に、息子を足蹴にされた舎人《とねり》は、黙っていませんでした。
「大納言がなんだと言うんだ。そんなに偉いと思っているのは、貴様ら大納言の家来たちだけだぞ。応天門の件で、大納言が左大臣の源信様を陥れようとしたことは誰もが知るところ。みなが黙っているからといって、いい気になりやがって!」
そう舎人が叫ぶものだから、見物人は膨れ上がっていく。いいぞいいぞ、もっとやれぇ〜! と、ひとごとですから無責任なものです。それに、最近とみにえばっている出納に楯突く男が現れたのですから、観客としては気持ちがいい。
一方の出納の妻は「相変わらずうちの旦那はバカだねぇ。カッときて、やり過ぎちまいやがった」と、父親のそばからなかなか離れようとしない息子を引きずるようにして、家の中に戻っていく。だけれど旦那の出納(すいとう)は、まだ状況が把握できていないらしい。
「よくも、あるじのことを侮辱してくれたな。その暴言をそっくりそのまま報告してやる」
そう、うそぶいているのです。けれども、ひるむだろうと思われた舎人は、全く動じません。動じないどころか……
「そっちがその気なら、その前にこっちも言いたいことを言っておこうじゃねえか。おおい、みんな聞いてくれぃ!応天門が焼けた夕方に、何があったのか、この際、洗いざらい言っておくぜ」
そう舎人が呼びかけると「おぉ、なんだなんだ」と、舎人の前に集まってきたのでございます。すると続けて、舎人が驚くような告白を、大声で言ったのです。
「おれは火事が起こる少し前に、役所を上がって、応天門を通りかかったんだ。そしたら暗闇の中に怪しい男の陰が3人もいるじゃねェか」
舎人が話し始めると、妻が出てきて、怒った表情で隣に立つ。「こっちは、なにもかも知ってんだ! 出るとこ出ようじゃないかぇ!」と、妻も威勢が良い。そして妻の声に励まされて、舎人が語り始めたのでございます。
「これはキナくせぇと思って、柱の陰に隠れて、そいつらを見ていたんだ。ジッとしていると、1人は伴大納言、そして隣にいるのは息子だぁな。その2人が、家来を連れて応天門の上から階段を下りてくるところだ。おれは、なんでこんな時間に大納言が、こんなところを歩いているんだ? と不思議に思い、寒気がしたもんだ。てぇへんなもんを見ちまったとな。だから、見つからないようにそこから離れて、家まで一目散に帰ったもんだ。そのすぐ後に起こったことは、洛中の誰もが知っていることだよなァ!? これで、応天門を放火したのは誰なのか分かるってもんだ。少なくとも左大臣の源信様じゃねぇってことはたしかなこった。で、おれは余計なことを言って、とばっちりを喰うのはごめんだと、これまで誰にも話さなかった。だがよぉ! 最近の伴大納言の家来どもの態度を見ていたら、とうとう、おれの堪忍袋の緒も切れちまったってことだ。これでスッキリした。どうにでもなりやがれってんだ!」
なんとなく江戸弁っぽいのは勘弁しておくんなせェ。そうしてザザァ〜っと! 事件のあらましを捲し立てた舎人の顔は、すがすがしい様子でございます。一方の伴大納言の家来の方はと言えば、さっきまでの威勢の良さは消えちまってる。
現代であれば、証拠はなく舎人の目撃談だけでは、事件解決には至りませんが、当時は意外とそれでみんなが信じてしまう時代だったのでございましょう。
しかも、あるじの虎の威を借りるのは、なにも伴大納言の家来たちだけのことではなかったとはいえ、今は、事件後に憔悴し切ってしまった左大臣の源信への同情が集まっている時期。その源信を陥れようとうとしたと言われていたのが伴大納言なのですから、誰も言わなかったけれど、事件後に、伴大納言の家来が偉そうにしている様子は、市中で大いに顰蹙を買っていたのでございます。
この舎人の一世一代の大告発に、洛中は沸き立つってもんです。「やっぱりそうだったか」と思う人も多く、噂はどんどん広がっていく。当時はインターネットなんてない時代。それでも人の噂が広がるのは早いもんです。もう舎人が話をしなくても、舎人の話を聞いた数十人が、訳知り顔に数人に話す。またその数十人が家族や隣人に話していく。話は応天門を焼き尽くした炎のように、ひたひたと洛中に広がっていったのでございます。
もはや事件は闇の中に入るかと思われた応天門の焼失事件ではございましたが、幼い子供たちの喧嘩によって新たな展開を見せはじめました。
出納(すいとう)の家はもとより、舎人の家でも「えらい騒ぎになってしまったな……。これからどうなるんじゃ」と、生きた心地のしない数日を過ごすことになるのでございます。
はたして事件は解決へと向かうのか⁉︎ お話は下巻に続くのでございます。