エッセイ 蝶の夢
僕は古本屋が大好き。休みの度にいく。
いろんな本に出会えるからだ。
少し前に近くの古本屋で高橋留美子の
「うる星やつら」を見つけた。
古本屋では、あまり見かけない。
懐かしくて、全巻揃えてしまった。
毎回繰り広げられるハチャメチャな内容が
とても好きだった。
アニメも放映していたけれど、
当時は1家庭にTVが1台の時代。
僕がチャンネルを合わせると父親は
とても嫌な顔をしていた。
思春期真っ只中だった僕は、
有無を言わせず見ていたけれど、
やはり空気が気まずくて、
特にラブコメ要素が強くなると、
シャイな僕は、恥ずかしくて
見てられなかった。
そんな記憶も今は懐かしい。
「うる星やつら」で思い出すのは、
映画「うる星やつら2 ビューティフル・
ドリーマー」。
押井守が監督した映画で、当時話題だった。
僕の実家の田舎には映画館がなくて、
電車で1時間程の街に行かないと観れ
なかった。
一人で観に行ったのを覚えている。
*
映画の中で、夢邪鬼という妖怪がいう。
「蝶になった夢を見た男が、
目を覚ますと、考え込んでしまう。
いったい、自分が蝶となった夢を
見たのだろうか、それとも、蝶が自分に
なった夢を見ているのだろうか。
果たしてどっちだろう。」
この話しには原本がある。
荘子の「胡蝶の夢」だ。
次のように記載されている。
昔、映画を一人で観に
行った僕。
それを想い出す僕。
これが胡蝶の夢ならば、
昔の僕を想い出すとき、
僕は蝶の夢を見ている。
そして、
今ここにいる僕は、
昔の僕が見ている夢
かもしれない。
そういえば、
振り返る過去の出来事は
どれもが淡く、頼りない。
しがみついてきたものも、
手を離せてしまえそう。
これが胡蝶の夢ならば、
すべてを忘れて、
醒めてしまいたい。
醒めてしまいたい。