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エッセイ 助詞や如何に

*はじめに
先日、散歩に出かけたのですが、
いつもより長い距離を歩いてしまい、
右足のふくら脛(はぎ)がつってしまいました。次の日から筋肉痛で歩くこともままならず、家で安静にしてました。
家にいると何の刺激もないせいか、
俳句も詩も浮かびません。
(言い訳です。。)
仕方ないので少し前に書いてそのままにしていたエッセイを引っ張り出しました。
お気軽にどうぞ。

助詞についての考察とかではないのです。
感想といったところでしょうか。

でも、もしかしたら、
うんうんと、頷いてくれる
人もいるかもしれない。

本に書いてあった俳句の話しも
少し載せているので、
お読み頂ければ嬉しいです。

そういうわけで、
今回は助詞の話しを少し。

詩や文章を書いてみて
いつも気になるのは
助詞がこれでよいのかだ。
(内容はさておいて)

僕は詩でも文章でも、
何回も何回も読み直し、
直して、戻してを繰り返すのだが、

いつまでも引っかかるのは、
決まって助詞である。

直しても、戻しても、
何回読み直しても、
しっくりこない。

何日か間を置いて、
読み直してみて、
これはこう、こっちはこう、
と直せる場合もあるけれど、
本当に難しい。

何かコツがないのかと、
本屋に行って、
学生向けの参考書を探してみたり、

国語だろうか、現代文だろうかと、
ジャンルでまた悩んだり。

参考書を手に取って
パラパラと助詞の説明を読んでも、
全くもって、わからない。

例えば、

「も」は、他と同じであることを表す助詞
である。

「田村のやさしく語る現代文」より

これは、わかる。(と思う)

「は」は、他と違うことを表す助詞である。
「は」がある時は何か他に違う物事がある。
直接書いていないことまで分かる助詞である。

前出と同じ

「が」は、そこに書かれていること以外の
意味は表せない。

前出と同じ

??

ちなみにこれらが載っていたのは、
「田村のやさしく語る現代文」という
参考書。
大学入試の現代文のための参考書です。
(僕には縁遠い本ですが、エイっと、たまたま手に取りました)

この参考書に助詞についての説明として、
以下のようなことが書いてありました。
(長くなるので途中を省略し、かみ砕いた言い方はそのままにして、言い回しだけを
少し変えています)

「助詞」は、一つの<文>をきちんとした
日本語にするのに重要である。
ところで、君らの世代は「助詞」の使い方
が変わってきているので、ふだん話している
ような感じで問題をやると、出来ないんだ。
ふだんの言葉づかいはおかしいのが多いから、それに慣れている君らが言葉の問題が
出来ないのは当然なんだ。これは簡単には
直らないから、入試の現代文で一番苦しい
所だと思う。

前出と同じ

ここで重要なのは、
「言葉の問題が出来ないのは当然」
と言い切っているところ。

僕が遠い昔に国語の勉強をさぼっていたから
助詞がわからないというわけではなさそうだ。

最後にこの参考書に面白い話しが載って
いたので紹介して終わる。

この参考書の作者の先生に俳人の加藤楸邨(しゅうそん)という人がいて、その先生があるとき芭蕉の「古池や」について教えてくれたという。

古池や 蛙飛び込む 水の音  松尾芭蕉

「あの句は、静物の代表としての古池と
動物の代表としての蛙が
その一瞬だけ触れあったことを言い留めた
もので、その瞬間を逃せばもう静まって
何事もなくなってしまうのだ。」
というようなことを瞬時におっしゃった。
稲妻に打たれた思いとはこういうことを
いうのだろう。
それ以前に、僕は先生から、
「俳句は地球をまっぷたつに割るもので
あって、断裁力が必要なのだ。」
ということをうかがっていたが、
この時はじめてその意味がわかったような
気がした。

前出と同じ

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