エッセイ 1年を迎え

noteを初めて、1年が経ちました。
先日、お知らせが届き知りました。

もう、1年経つのかという想いと、
初めは半年くらい続けばいいかなと
思っていたのに、案外続くものだと
いう驚きもあります。

スキがもらえることに一喜一憂したり、
フォローが伸びないことを気にしたり。

その時々に感じることはありました。

けれど、一年続けてみて思うことは、
僕の詩や俳句やエッセイや物語を
見てくれている人には本当に感謝しか
ないのです。

皆さんに支えられながら、
励みにしながら、
続けてこれたと思います。

一年続けてみても、投稿するときには、
作品の出来について迷い、
ボツにしたり、修正したりを
繰り返して、というのは変わりません。

今日はいつも読んでくれてる方への
感謝の気持ちとともに、
僕の名前「白水」の由来を少し、
お話しします。

noteを始めようとしたときに、
自分に名前をつけることを知り、
何にしようか考えました。

「白水」の言葉は、陶淵明の詩から
拝借しました。

『願わくは、髪では髪油になって、
真黒なおぐしをその撫肩なでがたの上で
かしてあげたい。
ただ悲しいのは、
美しい人がしばしばお髪を洗いなさるため、
白水と共に洗い流されて、
からからに乾されてしまうことだ。』

岩波文庫「陶淵明全集(下)」閑情の賦

この詩に出てくる「白水」は、米の磨ぎ汁
のことで、昔はそれを煮沸して洗髪に用いた
とのことです。

佳人の髪油でなく、その髪油を洗い流す白水。
用が済めば洗い流されて、跡すら残らない。

僕の詩を読んだあなたのこころに
少しだけ触れるものがあって、
あなたの記憶に残ることなく、
僕の詩は洗い流される。

そんな白水のようになれればと思い、
名前としました。

読んでくれて本当にありがとうございます。

白水。

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