エッセイ 1年を迎え
noteを初めて、1年が経ちました。
先日、お知らせが届き知りました。
もう、1年経つのかという想いと、
初めは半年くらい続けばいいかなと
思っていたのに、案外続くものだと
いう驚きもあります。
スキがもらえることに一喜一憂したり、
フォローが伸びないことを気にしたり。
その時々に感じることはありました。
けれど、一年続けてみて思うことは、
僕の詩や俳句やエッセイや物語を
見てくれている人には本当に感謝しか
ないのです。
皆さんに支えられながら、
励みにしながら、
続けてこれたと思います。
一年続けてみても、投稿するときには、
作品の出来について迷い、
ボツにしたり、修正したりを
繰り返して、というのは変わりません。
*
今日はいつも読んでくれてる方への
感謝の気持ちとともに、
僕の名前「白水」の由来を少し、
お話しします。
noteを始めようとしたときに、
自分に名前をつけることを知り、
何にしようか考えました。
「白水」の言葉は、陶淵明の詩から
拝借しました。
『願わくは、髪では髪油になって、
真黒なお髪をその撫肩の上で
梳かしてあげたい。
ただ悲しいのは、
美しい人がしばしばお髪を洗いなさるため、
白水と共に洗い流されて、
からからに乾されてしまうことだ。』
この詩に出てくる「白水」は、米の磨ぎ汁
のことで、昔はそれを煮沸して洗髪に用いた
とのことです。
佳人の髪油でなく、その髪油を洗い流す白水。
用が済めば洗い流されて、跡すら残らない。
僕の詩を読んだあなたのこころに
少しだけ触れるものがあって、
あなたの記憶に残ることなく、
僕の詩は洗い流される。
そんな白水のようになれればと思い、
名前としました。
読んでくれて本当にありがとうございます。
白水。